
【先行公開!】未来を先取りした小松ワールド 解説 池上彰/『小松左京“21世紀”セレクション1 見知らぬ明日/アメリカの壁 【グローバル化・混迷する世界】編』
解説──未来を先取りした小松ワールド
池上 彰(ジャーナリスト)
二〇二〇年春、新型コロナウイルスの感染が拡大し始めたとき、にわかに注目されたのが、小松左京によって書かれた『復活の日』だった。この書が最初に世に出たのは一九六四年のこと。その後、角川文庫になっていたものが、時ならぬベストセラーになった。
未知のウイルスによって人類の生存が脅かされる。新型コロナウイルスの正体がはっきりしていなかった当時の時点で、「たかが風邪のウイルス」で人類絶滅の危機が訪れるという設定は、あまりにリアルだった。
この小説では、イギリス陸軍細菌戦研究所で試験中だった猛毒の新型ウイルスがスパイによって持ち出され、スパイが乗っていた小型飛行機がアルプス山中に墜落することで、全世界に拡大していく。
一方、新型コロナウイルスの発祥はどこか、いまだにはっきりしない。そもそもコロナウイルスも「ただの風邪のウイルス」だったが、変異したことで人類にとって脅威となった。変異が自然に起きたのか、人為的に引き起こされたのか。中国・武漢のウイルス研究所から漏洩したという説は、有力な証拠に欠けるが、中国政府が調査に非協力であることによって、「ありそうなこと」として消えることはない。
ここで驚くのは、一九六四年の段階で、小松左京が、このようなリアルな着想を得て、作品に結実させたということだ。
作品が発表される前の一九五七年から五八年にかけて「アジア風邪」が猛威を振るっていた。発生地は中国南部・雲南省だった。世界中で一〇〇万人を超える犠牲者が出て、日本でも死者は五〇〇〇人を超えた。風邪と呼ばれたが、要はインフルエンザだった。インフルエンザでも多くの人が犠牲になる。この作品の着想になったかも知れない。
私がSF作家としての小松左京を知ったのは中学二年だった一九六四年。東京オリンピック開催の年だった。創刊されて間もない「SFマガジン」を毎号読みふけっていて、不思議なテイストの作家を知った。『日本アパッチ族』という奇妙なSFを書く作家というのが最初のイメージだった。
この作品は、人間が「鉄を食べる人種」に進化するという荒唐無稽なものだったが、次第に綿密な取材・調査にもとづき、科学的な根拠のある作品を発表していくことになる。
当時、「SFマガジン」に紹介されるアメリカのSFは、きちんと科学的な根拠にもとづいた作品が多かったのだが、日本の作品の多くは、文字通り「空想」だけで書かれていた。
ところが小松左京の作品は、科学的な根拠のあるものに発展していく。それが『復活の日』であり、『日本沈没』であった。
『日本沈没』は、当時の最新の科学的知見「プレートテクトニクス理論」を基にしている。
日本列島の下には、ユーラシアプレートと北米プレート、フィリピン海プレートと太平洋プレートの四枚がぶつかり合っている。このうち太平洋プレートとフィリピン海プレートが、それぞれ日本列島の下に潜り込もうとする。その結果、北米プレートやユーラシアプレートの先端部分が引きずり込まれるが、やがて反発。大きく跳ね上がって元に戻る。このとき巨大地震が発生。これが海溝型地震と呼ばれるもので、東日本大震災の地震のメカニズムであり、やがて発生すると心配されている南海トラフの巨大地震も、このメカニズムが想定されている。
『日本沈没』は、引きずり込まれたプレートが跳ね上がることなく、海中に沈下してしまったら、どうなるか、という発想から書かれた。プレートの上に乗っていた日本列島も沈没してしまうではないか。
プレートが動いて沈み込む。いまでこそ、これは常識となっているが、『日本沈没』が出版された一九七三年の段階では、一般の人たちに知識がなかった。このため「荒唐無稽」という感想も聞かれたが、地質学者や地球物理学者たちは、「なるほど、こういう設定で日本を沈没させるのか」と唸ったものだった。
ここには、小松左京の戦争体験が影を投げかけている。太平洋戦争終戦時、彼は一四歳。徴兵年齢に達してはいなかったが、学徒動員など若者たちが次々に兵隊となり、特攻作戦で若き命が消えていった。彼も、いずれ兵隊になって死ぬことになると覚悟していたという。「本土決戦」が叫ばれていたからだ。もし本土決戦に突入したら、日本という国家は消滅する。もし日本がなくなったら、日本人はどうなるのか。そうした設定のSFにするためには、まずはリアルな形で日本を消滅させなければならない。これが小松の思いだった。
つまり、日本列島が沈没し、日本人が故郷を喪失した後、どのような人生が繰り広げられるか、というのが小松の問題意識だったようだが、結局、小松本人による続編は書かれなかった。やはりSF作家の谷甲州が担当し、二〇〇六年になって『日本沈没 第二部』として出版された。
その後、日本経済はバブルを引き起こして破裂。長いデフレの時代を迎える。まさに「日本沈没」という言葉がメディアに氾濫するようになってしまう。ここでも小松左京は、未来を予言していたのだ。
今年は小松左京生誕九〇年、没後一〇年の節目の年に当たる。改めて小松の作品を読むことで、彼の先見性を私たちは知ることになる。
たとえば、このアンソロジーに収録されている『アメリカの壁』は、ネタバレになるので詳説しないが、まさに「現代版モンロー主義」ではないか。ドナルド・トランプ前大統領の「アメリカ・ファースト」を想起させる。
後継のバイデン大統領も、アフガニスタンから軍を撤退させ、アメリカは世界秩序を維持するという責任を放棄しているように見える。すっかり内向きになっていくアメリカ。それを小松は、SFの形で予言していたのだ。
あるいは『四月の十四日間』は、厄介な日本の防衛論議に奇想天外な形で終止符を打つ。
かつて一九六八年から六九年にかけて、東京都内各地で学生のデモ隊と警察の機動隊が衝突していた。そんな現実を背景にした娯楽小説ではあるが、日本の行く末を読者に考えさせる構成になっている。
『見知らぬ明日』は、地球外生物との戦争を描く。「宇宙人が攻撃してくる」というのは、昔からのSF小説の定番だが、そこは小松左京。東西冷戦時代に地球外生物が中国大陸にやってくると、何が起きるのかを、綿密なシミュレーションで描いていく。
地球外生物と戦うために国連が招集されるが、当時の国連の常任理事国は中華人民共和国ではなく、台湾だった。本書では「国府」と表記されている。つまり国連に加盟していない中国に地球外生命が飛来すると、何が起きるのかを国際情勢を背景に展開する。読んでいて、「ああ、そうそう、あのときに宇宙人がやってくれば、こんなことになったろう」と唸りながら読んでしまった。
地球の危機に直面しても団結できない地球人たち。これでは〝地球の危機〟に立ち向かうことができないのではないか。そんな問題意識を感じさせる作品だ。
こうした宇宙人との戦争では、宇宙人の弱点を衝くことが勝利に結びつくが、小松は、さりげなく地球外生命の弱点を読者に推測させる伏線を張っている。
良質なエンターテインメントであるが、それにとどまらないのが小松作品だ。作品発表当時を知らない若い人たちにも、ぜひ読んでもらいたい。
二〇二一年九月
10月8日(金)発売です!
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