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リアル70年代…洋楽女子の話①洋楽以前ユーミン、アリス、チューリップ


還暦過ぎて、過去を思い出すことも増え、子供2人も作曲家と演奏家の道を進むようになり、つくづく私の人生は、音楽と一緒だったなぁ、と。

63年の早生まれなので、70年代半ば以降、青春時代は音楽が人生を助けてくれたし、黒歴史(?)もあって。そんな音楽(日本のも聞く、洋楽好き)の話。


好きなアーティストは1人だけなら、スティービーワンダー。
次は、いっぱいいすぎて。笑
まあ洋楽以外もなんでも聞いて、好きな物は好き、気に入らないのは気に入らない。これは変わらないかも。

幼少期から音楽は好きだった


幼少期から音楽は好きだったのは確か。が、親や環境が許さず、楽器はちゃんと習えなかったのは残念。(だから、子供には「大きくなってバンドやりたくなった時に、楽譜が読めたら良いかも?」ってノリで、ピアノを始めさせてみたんだけど、2人ともどっぷりハマってしまい…笑)
小さい頃は懐かしい、ペラペラの青や赤のソノシートってレコードで、童謡聞くのが大好きで結構枚数も持ってたかなあ。アニメのハシリ?の『オバケのQ太郎』や、女の子が連れて行かれる歌詞がちょっと怖かった『赤い靴』とか。
一番好きだったのは、『かわいいさかなやさん』かも。🎶かわいい、かわいい、さかなやさん♪ってやつ。


当時母方の末の叔父が、めちゃくちゃなJAZZ好きで、まだ実家住まい。泊まりがけでおばあちゃんちに行き、おじちゃんの部屋に近づくと、爆音で当時流行っていたフリーJAZZが鳴ってた。下の動画みたいな曲で幼稚園児の私には「サッパリわからん。うるさい!」でしたが。
その叔父が、「聞くのが好きやったら…」と童謡のレコードもよく買ってくれたし、小さい(タンバリン、トライアングル等)楽器も買ってくれましたね。

他にも同居してた父方の叔母が、世界の音楽紀行的な、写真本にSPレコードより少し大きなレコードのシリーズを持ってて、小学生になったばかりの頃から色々聞いてた記憶が。
各国の代表曲、イタリアのカンツォーネとか『オーソレミヨ』、ロシア民謡や(暗くてちょっと怖かった)コサックダンスで鳴るような音楽(雰囲気はゲームのテトリスの曲の感じ)や、『カリンカ』(カリンカって歌詞で覚えてる)、ブルガリア民謡とか。
気に入ってよく聞いてたのはアメリカ編の『テネシーワルツ』だったから、やっぱりアメリカンPOPSが気に入ってたんかも。
この動画はかなり後の録音だけど、美空ひばりが歌う洋楽は上手いし、当時のオーソドックスなアレンジに感じが近いのでチョイス。
実は祖母が(JAZZ好きの叔父の母)絶大な美空ひばりファンで、テレビに出てると問答無用で彼女の歌を聴かされた。小学生の時は大嫌いだったけど、コレも後に良さ、上手さ、唯一無二な人であったことに気付くことに。

小学校時代

アイドルでは、麻丘めぐみ(可愛くて、可憐で、あんな女の子になりたかった、笑)の下敷き、西城秀樹の下敷きは持ってた。
が、テレビにかじりついて観たのは、都はるみだった。幼稚園時代だけど。
『アンコ椿は恋の花』を覚えたくて。笑

今聴いても西城秀樹は声が良くて好き。
(彼の曲を歌って良いなぁ〜ってなるのは、もんたさんと西川貴教だけか?もんたさんが亡くなって彼の歌うのが聴けなくなったのは、めちゃくちゃ悲しい)
『傷だらけのローラ』は出だしのバックのサウンドも、当時としてはなかなか洋楽感強くて面白い感じ。キチンと編曲して、色々な楽器を録音して重ねてる感じて、制作に力が入ってるのがわかる。当時だから全部演奏して重ねてるでしょうし。一つ一つの楽器の音をちゃんと聴いて欲しい曲。ちょっとやり過ぎな感じはあるけど。笑
そして伝説のオーディション番組「スター誕生」は毎週ずっと観ていて、三人娘だと山口百恵が好きで、アルバムも聞いて、引退するまで曲も好きだったなぁ。

小学校高学年になると、さっきの叔父は日本のフォークを聞かせてくれたり、ギターで弾いて教えてくれたから、かぐや姫の『神田川』が歌えた。笑
久々に聞いたけど、歌詞を考えたら、コレを歌う小学生って?と、自分でも思うけど。

小5の時、新任の男の先生が担任で、新設校だから教室にも音楽室にも楽器がなかった。なので音楽の時間は先生のギターの伴奏で、教科書の曲を歌うか、笛を吹くしかなく、合間に当時流行ってたフォークソングを歌うことも多くて、楽しかった!
フォーク系だけど、バンドとの出会いはこの時のチューリップの『心の旅』だなぁ。大好きで覚えたいので、何度も先生にリクエストした。

ラジカセを手に入れて
世界が変わった


中学に入学して、待望のラジカセを手に入れた。これで好きな音楽をラジオでいっぱい聴ける!となって、音楽は欠かせない物になっていって。録音出来るってことも大きかったな。気に入った曲を好きなタイミングで、再生出来るってことは画期的。
カセットテープを、ラジカセを発明した人を拝み倒したいぐらい感謝しかない。カセットだけのレコーダーは前に出ていたけど、カセットとラジオを合体したのが素晴らしく、私たちのニーズに合っていた。オープンリールでしか、高価な録音機材でしか出来なかった録音を簡便にしてくれたから。

オープンリールデッキ


当時叔父の部屋で時間になると、頼まれた「基礎英語」を録音してたから、操作の面倒さも知ってました。テープをセットするのがまず大変。ねじらせたりしないで、大きなリールを落とさないようにデッキにセットするんだけど、中々上手くいかなくて。
値段も中高生に手が出るモノじゃない。
当時の値段で15万円ぐらいしたらしい。(今の換算だと、30万円近く)
もちろんアンプやスピーカー、他の機材も必要だったし、テープも高価だった。カセットとは一桁違う価格。
録音時間はかなり長かったけど。
全部内蔵し、カセットの形にし、ボタンを押すだけの楽ちんさにラジオまで録音出来る。これを実現してくれた技術者の方々に、本当にお礼を言いたいです。

メーカーの技術者さんは優秀


日本のメーカーの技術者さんたちは、優秀だったんだと。その後のウォークマンや高級オーディオに繋がっていったんだなぁ、と。
ラジカセを発売した世界初は、どうやら松下さんだったようですが、私の初代ラジカセもNational製でしたね。小型の重くないタイプの物。

ラジカセの利点

ラジカセの何が良いって、まずラジオがそのまま簡単に録音出来ることだったけど、乾電池を入れたら、どこへでも持ち運び出来るのも利点。
オープンリールはデカいし重い。あちこち配線が繋がってるから、移動は無理。テープもヘッドも剥き出しなので、埃を嫌うから野外で気軽にも使えない。
最近またオープンリールデッキも需要があるみたいだけど、音質は良いとされてるからか?
高校に入る前辺りで、SONYの大きな(下敷き2枚分ぐらいのサイズの)ラジカセにグレードアップ。スピーカーが左右に付いてるので、音が格段に良くなって、ボリュームもかなり出るようになったかなぁ。

人力録音作戦

でも、レコードプレーヤーとは繋がってないので、レコードを録音するには、ラジカセを前に置くしか無くて(マイクも持ってなかった)家の人たち(特に妹たち)には、静かにして部屋に入らないように、いちいち頼んでたっけ。アナログ以前の、チョー人力(?)な方法だったな。笑
今の時代無料でYouTubeであれこれ見られて、ちょっと課金したらSpotifyで聴き放題の環境は、真面目に羨ましい。

ラジオ番組がファンを育てた

音楽と同じぐらい好きだった漫画の影響で、バレー部に入るかテニス部に入るか悩んだ。が、「やっぱり私は、世界の岡ひろみになる!」と決心して、中学時代はテニス部に入ったので、通学で6時過ぎに起き、部活でクタクタだったけど、夜ふかししてラジオの音楽番組を聴いてましたー。
地元の番組や、ヤンタンって、「ヤングタウン」をチンペイさんこと谷村新司さんがやってたのもよく聞いてたな。
70年代は深夜帯のラジオを聴く中高生が、7割超えとも言われてたらしいけど、ウチの学校(女子校)では、中1でラジオを聴いてたのは、多分クラスで3、4人で超少数派。徐々には増えたけど、TVで歌謡曲派が断然多くて。

当時はAMラジオしか聞いてなかった。お喋りが多めの。が、そのDJが話し、曲を推す状況がヒットを作り、初心者リスナーの役に立ってたし楽しかった。
当時もLPは2500円〜2800円したから、なかなか買えない。(今の貨幣価値だと4500円以上らしい)
が、買えないとアーティストの情報も何もわからない時代。(ライナーノーツは端から端まで、舐めるように読んでた)
ネットなんか無いし。雑誌はひたすら立ち読み。TVは歌謡曲以外はたまに流れる程度で、洋楽はBGMにすらあまり使われてなかった。だからラジオでDJが話すことは、貴重な情報源だった訳で。

チューリップ、イルカ、アリス
ユーミン


まず日本人アーティストのフォークなんかから聞き始め、チューリップ、イルカ、アリスを好きになったのが中1の時。75年。
チューリップは『心の旅』がヒットしてたけど、イルカもアリスもまだヒットに恵まれず、後に『なごり雪』、『今はもう誰も』がヒットした時は、めちゃくちゃ嬉しかったなぁ、自分が認められたみたいに。笑
推しが活躍して、世の中に認められるのが嬉しいのは、今も同じかなぁ。自分の目利きが褒められたような感じかも。

そしてユーミン。75年の『ルージュの伝言』はラジオでも推されてて、よく流れていて。ファンの友達に遡ってアルバムも借りて聞いてました。薄いオニオンペーパーってエアメール用の紙に、歌詞を色サインペンで書き写したりしたのも懐かしい。
ユーミンは社会人時代も聞いたし、歌詞のセンスは変わらず好き。そして松任谷正隆さんのアレンジが好きで。今聴いても、そんなに古くさく感じ無いところが、彼の編曲の魅力かなぁ。流行りのイマドキな感じじゃなくても。ユーミンらしさは、かなりアレンジが作り出してるなと。イントロに秀逸なメロディーも沢山あるし、コレでユーミンワールドが始まる感が素晴らしい。
ユーミンだと一番は『埠頭を渡る風』?
やっぱり『ディスティニー』?
どっちも好きだから、今でもカラオケで歌っちゃう。つい先日も同年代の友人と、熱唱しました〜!

そのユーミンファンの友達に紹介されて(正確にはお姉さんの影響)、吉田美奈子、大貫妙子、山下達郎を聴くようになり、どハマりしたのが、山下達郎で。
中3ぐらいには、借りたアルバムをアナログタイマーに繋いで、毎朝爆音で鳴らして起きてたなぁ。『SPY CY』も好きだったけど、中学時代なら、『GO AHEAD』がアルバムとしてお気に入り。高校大学と沼っていきます。
大貫妙子もあの独特の声が好き。今も変わらない声。今、彼らがシティポップで再注目されてるのはとても嬉しくって。

そして何故かジョン・デンバーから洋楽歴が始まることになります。
②に続く。



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