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after all, I understood he tried to use me

 これを書くことはおそらく痛みを伴うしとてもしんどいことなのだけれども、でもやっぱり書かないと前に進めないような気がするから書く。それから有料で鍵をかけるか無料で公開するか迷ったのだけれども、わたしにとってすっかりオープンにしてしまったほうが傷が深まらないような気がするので無料公開にすることにした。それは単純にわたしの気持ちの持ち様の問題で、何て言うか失敗したり間違えたり傷ついたりした時に「人様にはお話しできない恥ずかしいこと」みたいな扱いにしてしまわない方がその対象事象に対する認識として気が楽というか、隠せば隠すほど容易に自分も含め誰も触れられないものになってしまう気がして、人生のどこかでそういう羽目に陥った時に心のポジションをセットし直すというか読み替えることを生きやすくするための方策として手に入れたような気がするので、今回もそういうやり方で対処しようと思う。あと、凄く長い。多分。とりあえず前書きはここまで。

 それは海に行った帰り道に起こった。発端は道に迷ってしまったことで、それはわたしが google map を読み違えてしまって間違った道に案内してしまったことも要因として大きいんだけれども、彼もまた自分の記憶を頼りに運転するのに分からなくなると突然わたしに頼ってでもわたしの案内する道が記憶と違うと信用しきれなくて疑うとか、それでこっちも(じゃあ訊かないで自分のこうだと思う道を行けばいいのに、迷っても文句言わないのに)と思ってナビをやめるとまた迷ってしまって突然こっちを頼る、みたいな繰り返しで、車内が不穏な雰囲気になってしまって、でもこのところ不穏になることが多かったから繰り返すのも嫌だし、努めてどうでもいいようなことを喋ろう、としていた時だった。海に行くのをとても楽しみにしていて、そして実際帰途に就くまではとても楽しく幸せだったのだから、どうしてあんな転げ落ちるように破綻が展開していったのか、なんだか信じられない。

 彼が突然「僕たちの新しいビジネスについてどう思う?」と言った。何のことだか咄嗟に分からなくて、前の晩彼をオイルでマッサージしてあげた時に感激して「マッサージのお店をオープンすればいいのに!僕のお店の2階とかうちとかで」と言い出したからそのことかと思って、それならプライベートでやりたいだけだよ、と言うつもりで「何のビジネス?」と訊いたら、彼の話し出したことはまったく違うことだった。どちらかというとそれは「彼のビジネス」の話で、彼の友人、というか彼が言うところの「アメリカにいたなら絶対付き合わないけどここは日本だから他に外国人の知り合いがいなくて結局助け合っている関係のクズ」が始めたビジネスに類似したタイプの、彼が新規に始めたいビジネスの話だった。朝からその友人から頻繁に電話がかかってきていて、彼は全部無視していたけど、多分用件はそのビジネスについての自慢だろうという見解で、ビーチにいる間、その友人のビジネスの内容や汚い手口について話を聞かされていたのだ。

 彼が考えているのは要するに一種のeコマースビジネスで、在庫を持たないやつ。サイト上に商品写真を掲載してオーダーを受け付け、サプライヤーに発注するというもの。でもやっぱり訳が分からなかった。何で主語が「we」なのか理解できなかったし、何で今までみたいに「can you help?」で手伝って欲しい内容が続く話じゃないのか理解できなかった。彼は「興味ある?なければないって言って、深く考えないで、それだけ」と言うけど、わたしの仕事が結婚支援とライターで、どちらかというと女性の権利だとか日本の結婚規範なんかに問題意識があるのは彼だって知っているし、小売りに興味を示したことはほぼないのだ。彼は自分の弱点として、カスタマーサポートやコミュニケーションの点での言葉の問題を挙げ、さらに日本のカスタマーのニーズも知りたい、みたいなことを言ったけど、結局この話で自分がどこまで関わることになるのかよく掴めなかったし、それにわたしはそれほど物質消費をしないタイプで、どちらかというとミニマムに暮らすタイプなので、日本の消費者の代弁もできないしマーケターでもないのだ。

 聞けば聞くほど訳が分からなくなってきて、そしてなぜか段々フィジカルに具合が悪くなってきた。自分でも理由が分からなかったけれど、呼吸が苦しくなってきて浅くなってきて、体が固くなって身動きが取れないような状態になり、家に着く頃には、シートベルトに頭をもたせかけて目を瞑って長くて大きな呼吸を繰り返すような状態になっていた。彼は彼で無口になった上に平静を装うような格好になっていて、そんな状態になったわたしに「どうしたの?」とも「大丈夫?」とも訊かなかったし、家に着いてわたしたちは荷物を降ろしたり片付けたりして、海に持って行った残り物で夕ご飯を取ったけれど、彼はわたしから努めて目を避けて、ネコと話したりPCでゲームをしたり自分を気遣ったし始め、わたしはこういうの既視感ある、と思いながら、次第に冷静になっていった。

 寝ることになり、リビングの布団に入った。わたしは彼がなにか胡麻化してくれたらいいのに、と思ったけど彼は何もしてこず、彼のお腹に足を載せてみたら、トーコは困った子だな、みたいな態で笑って、「あのね、僕はすごく眠い」と言うので、そのまま隣で寝た。わたしも疲れているので眠れるかと思ったけれども、眠れないし、そのうち寝入った彼のいびきがうるさくていらいらするので、布団を抜け出して2階の寝室に行った。

 結果的に、布団を移ったことは良かった。物事に混乱した時は、まず混乱源から物理的に距離を置いて一人になるべきだ。リアルタイムの事象に心を乱されることなく静かに考えを巡らせていると、見えてくるものがある。

 最初に固まってきた考えは、結局彼は、わたしが何に興味があって何に優れていてどんな能力があるのか、興味がないのだ、というやつだった。彼がわたしに助けを求めてくる内容は意外と多岐に渡るのだけれども、あまり一貫性がない。今回のこの話について言えば、彼がわたしに望んでいることは要するに「できないことを補ってサポートしてくれる日本人の女の子」でしかない。彼に見えているのは「キクチトーコ」ではなくて「取りあえず彼が必要としているものを備えている日本人」なのだ。腑に落ちなかったその部分、彼がなぜわたしにそれをやらせたくてわたしを誘うのか理解できなかったけれど、要するに「使える日本人」という見方をされているなら理解ができる。だけどそういう風にわたしのことを見ているとしたら、あんまり酷いのではないか。

 さらに考えを漂わせていた。流れるままに思考を流していた。すると突然ぽっかりと本丸にたどり着いた。最奥の彼の本心が見えてしまった。お金だ。事業を始めるに当たっての初期費用となる資金がないんだ。

 分かりにくくこんぐらがった男の話には、伏流水のように一番下に通底して流れている本心が必ずある。嘘を見抜く時には、その伏流水をじっと観察するのだ。そうするとある時、すべてがきれいに繋がって、分かりやすく明瞭に流れているものが見える瞬間がある。それはそれは本当に、吃驚するくらいきれいに流れているのだ。多分、本人にも分かっていないくらいきれいに。

 彼が突然「we」を使ったこと。彼のビジネスをわたしが手伝う話じゃなくて2人でやるビジネスの前提で始まったこと。「僕たちの新しいビジネスを始めること、どう思う?」と訊いた直後に「始めるのにはあまりお金がかからない」と繋げたこと。彼の資金繰りとキャッシュフロー、プライベートに抱えている大きな支払い。前日にしていた「7月はお客さんが少なくて凄くやばい、こんなこと今までになかった」という話。彼の友人の新ビジネス、eコマースと名義貸しを組み合わせて違法スレスレでやっているらしいこと、そして市役所職員の奥さんが申請を手配してかなりの補助金を引っ張っているらしいこと。分かった、今のビジネスの売り上げがやばい、だから手っ取り早く大きく儲ける新しいビジネスがしたい、でも現状のキャッシュフローでそっちに回せる余剰資金がない、融資や補助金も自力で引っ張れない。だから、わたしに初期費用を出させたいんだ。

 笑っちゃうのはわたしには全然お金がないこと。資金引っ張る当てもないこと。笑っちゃう、そういうところツメが甘くて、わたしに関する情報を全然引き出してなくて押さえるポイントも押さえず把握もしてないのに、そんな夢を描いちゃうところ。どうしてわたしからお金を引き出せると思ったの?わたしはあなたがどこからどのくらいお金を借りていて月々どのくらいをいつまで返済しなきゃならないか、あなたのお店の月々の売り上げと経費、あなたの所有する不動産、あなたの会社の形態と定款、あなたの会社と事業に関わっている人たち、細かくはないけど全体像を把握してるのに。全部あなたがわたしに勝手に語り聞かせたのに。あなたはわたしの収入の額も支出の額も、抱えている負債も財産も、お金をそれほど借りやすい立場でないことも、まったく知らないのに。

 もう終わりだな、と思った。付き合い始める時に自分で設定した判断基準は、命や心身に危険がない、犯罪に巻き込まれない、経済上の損害を与えられない、の3つだったけど、このまま一緒にいたら明らかに経済上の損害に巻き込まれる未来が見える。まさかそっちが浮上するとは思ってなかったけれども、可能性として最も低いものだと思っていたけれども、そっちが来た。

 わたしは騙された、と言ってもいいんじゃないかと思う。彼に騙す意識はなかったかもしれないけど、わたしは初めっから「わたしが一番嫌いなのは嘘」「元夫がわたしを使ったようにあなたはわたしを使わないで」と言っていたのだし、彼は「僕も嘘が大嫌い」「僕は君の旦那さんじゃない」と打ち消して、明らかに「そうではない男」として装っていたのだから。彼は「君のお金を使わないしホショーニンにしたりしない」と言って、わたしは内心、使うっていうのはお金だけを意味するんじゃなくて気持ちや時間や労力やそのへん諸々すべてを言うんだけどな、と思いつつ、でもまあ彼がお金のことしか当面想定できなくてもいいか、と思っていたのだけれども、もうこれは彼も自分で認識していた「お金」のことに踏み込んでいるのだし。

 騙すのならもっとパーフェクトにいつまでも騙して欲しかった、という気持ちがしたけど、なぜかこの手の男は騙すのも嘘をつくのも下手だ。驚くほど自分で自分を明かしてしまう。わたしは元夫とは付き合った期間も含めて3年で終わったけど、彼もあともうちょっとで付き合って3年だ。このくらいが彼らのリミットなのかもしれないと思う。これまで、どうしてこういう男がもっと徹底的に人を騙せないのか、パーフェクトに完遂しないのか、どうしても分からなかったけれど、今回の彼のことで何となく分かったような気がする。多分、人間は悪に徹することができないからだ。自分が悪人だと感じるのが辛いからだ。自分があくどくて他人を利用していると自覚すると、心の居心地が悪いからだ。多分、利用している相手からすらも好かれたいし許容されたいのだ。騙さなくても、やさしく自主的に騙されて欲しいのだ。

 彼が余りにも一貫して「笑って、泣かないで、怒らないで」を要求してくるの、彼が人との衝突が苦手で女性の不機嫌にどう対処したらいいのか分からなくなるせいだと思っていたけれども、でもそれは、相手が自分に非がないことで不機嫌になったり八つ当たりしたりという場合にのみ、真っ当な言い分だ。明らかに自分に非がある時、相手に「笑顔しか見せてくれるな」と要求するのは結局、「自分に非があると思い知らせてくれるな」ということだ。自分が下種なことをしても相手が笑顔で受け止めてくれるなら、「自分は下種な訳ではない」という気持ちにさせてくれるなら、どんなに安心できることだろう。何をやっても相手が「あなたがやったこと、後ろめたく思う必要はないよ」と許容してくれるのなら。

 彼がわたしのことを「comfortable」「you are my peace」と言ったのは嘘ではなかったと思う。それは「責めない」「怒らない」「追及しない」という意味での平和だったかもしれないけど、それだけではない気がする。多分、下種なことをやらないで済んだ間は、とても peaceful だったんじゃないかな。わたしは元夫と離婚する直前、揉めて関係修復しようという辺り、「トーコちゃんは俺を変えてくれそうな気がする。そういう相手は今までいなかった」と言われたことがある。この手の男たちがどうしても女を求めてしまうのは、利用したい気持ちもあるんだろうけど、もしかしたら一緒にいると自分がきれいになるような感覚があるんじゃないか。そういう間って、凄く心地いいのかも。でも、だらしない姿勢に慣れた人が正しい姿勢を覚えて一時その姿勢の快適さや体の調子の良さを知っても、正しい姿勢をキープするにはそれなりの筋肉の緊張や続ける努力が必要だから、結局は疲れて長続きしなくて元の楽な姿勢に戻ってしまうように、クリーンな自分が長続きしないのだろう。その限界が3年なのかもしれない。

 この手の人たちはあまり自分が嘘をついている感覚がなくて、おそらく彼も本気で「嘘は大嫌い」「シンプルでまっ直ぐな人が好き」と言っているのだろうと思う。確かに、彼は嘘はつかない。故意に事実と異なることを伝えて事実を改ざんするようなことはしない。でも、嘘とは本質的にはそういうことではないのだろうと思う。元夫と離婚した後、いろいろなことが分かりたくて勉強したり本を読んだりし、M・スコットの「平気でうそをつく人たち」も読んだ。確かこれは原題を直訳すると「偽りの人たち」になった筈だったと思う。彼らの本質は「嘘をつく」という「行為」にあるのではなくて、自らの本性を「偽る」、つまり「自分自身について自分自身にさえも偽る」というところにある、というのがこの本の主旨だったように記憶している。下種な本性を、自分自身に偽るのだ。だから彼らの嘘が露呈するのは、設定の造り込みの甘さや辻褄の合わせ方の完璧でなさ、根回し不足などのテクニカルなところにあるのではなくて、結局、自分自身を偽り続けるのは難しい、ということなのだろう。素でない自分をやり続けるのは、疲れるよ、おそらく。ずっと騙してくれ、というのは無理な相談なのだ、多分。

 わたしは今、「きちんと話せば彼も考え直す」「もしかして資金繰りに詰まって魔が差したのかもしれない」「思い過ごしかも」というようなことは考えていない。かなしいことだが、「これが彼の本質だった」という方が真実に近いと思うのだ。おそらくわたしはもっと早くから何となく感知していて、でもその頃のわたしのセンサーは少し弱っていたから、自分の感覚が正しいのかどうか確信が持てなかったのだ。皮肉なことだが、わたしがこうやって回復して健やかに強くなり、センサーの判断を信じられるようになったのは、彼のおかげだったと思う。彼のおかげでわたしは健やかになり、結果として彼の偽りが見えるようになった。今になって思えば、体が不思議に反応して具合が悪くなったのは、最善の対応だった気がする。多分彼の土台に乗って、提案を検討したり疑問を尋ねたり反論したりしていたら、いろいろ絡めとられてますます混乱する方向に持って行かれただろう。自分があんな風に生理的にビビッドな反応を示したのはとても不思議だったが、それができるくらい生き物として健やかになったのだなあ、と感嘆する気持ちにすらなる。

 この頃のわたしは、彼の差し出すものの大きさでもって愛情を測るのはおかしい、と結論付けた訳だが、そうではなくて、わたしは彼の「収支」を見るべきだったのだ。彼が何を手出しして何を獲得しているか、その差を見るべきだったのだ。彼が明らかに少ないコストで大きなベネフィットを回収しようとしていること、そこを見るべきだったのだ。彼が絶対無理をしないのにわたしに無理をさせるのは平気であること、そこを見るべきだったのだ。彼をケチだと思ったことはなかったが、彼がわたしにふんだんに与えるものは、彼にとって大きなコストにならないものだった。じゃあ彼のコストって?と考えるとよく分からなくなるが、何となく「安住の余裕」だったのではないか、という気がする。こんな日本くんだりまで来ておいて嘘みたいだが、異国で自分のビジネスを始めておいて嘘みたいだが、彼は意外と冒険ができない。引っ込み思案だ。慣れないこと、新しいことが居心地悪い。彼は自分の心安いテリトリーを、場所としても、行為としても、あまり離れたがらない。その象徴的な例を考えると、彼が日本に来て20年近く経つのにいまだに日本語が危ういところではないだろうか。勿論わたしも英語の他の第三言語をマスターしろ、と言われたら困難を抱えるに違いないのでばっさりと斬ることはできないのだが、離婚を繰り返してパートナーを失ったことも大きいのかもしれないけど、この「安住」を手放せなかったからではないのだろうか。彼にとっては英語のできる日本人で冒険が必要な部分を穴埋めした方が安楽な場所に安住できたのだ。スタッフしかり、手助けしてくれるお客さんしかり。そして支払う対価を節約できればさらによくて、彼は専門家に報酬を支払って依頼するよりも、器用でやさしい素人に甘える方が好きだ。そういう感じで、彼はひょっとわたしに甘え、手助けを獲得してきた。

 わたしはあまり、女っぽいところで利用された経験がない。性的な征服欲によって望まない性行為を強要されるとか、ケア役割や家庭責任を一方的に負わされるとか、そういう。その代わり、搾取されやすいのは能力だ。有能さ。わたしは彼の「タスケテネ」という小さなまた大きな雑多なオーダーに応え続けたし、元夫もわたしに妻っぽいことを強いるというより、とにかく店でブラック企業の経営者のように働かせようとし続けた。元夫はよく「やる気がないなら帰れ」とか「頑張るだけなら誰でもできる」というような発言をしたが、これらは妻に対してというよりやばい職場で典型的に聞かれる発言ではないだろうか。

 わたしは彼らから「女は無能であれ」というプレッシャーを受けたことはほぼないのだが、彼らの面白いところは、わたしの能力や有能さを「自分の役に立つもの」と認識していることだ。というより、「自分の役に立つ」という切り口からしかわたしの有能さが見えない。彼らは面白いほどに、わたしが何を勉強してきたか、どんな仕事をしてきたか、その結果どんな知識やスキルを身に着けて何の専門家であるのかなどについて興味がなくて、今彼らのやらせたい、やって欲しい仕事に対処できるかどうかだけにフォーカスしている。そうでなければ勿論、広告業界にずっといた女を車屋に突っ込んだり、ライターにeコマースをやらせようとしたりなど思いつかないのだが、そもそも彼らはあまりわたしの職歴に興味がなく把握していないのだ。その時その時直面する困り事は尽きることがないので、それ故に彼らはやって欲しいことを際限なく思いつく。どこまで行っても「満足」ということがないのだ。いつでも「足りない」。

 彼らは女の有能さをあまり不愉快に思わず高学歴にも物怖じしないのでそこがとても楽ちんではあるのだが、やはり面白いことにその能力を「自分が利用し制御することが可能なもの」とナチュラルに見做していて、自分の能力の方が相手のそれに劣るとはあまり考えない。というか、自分の不得手なことや出来ないことを相手が担当している点においてそこでは既に相手の方が自分を凌駕しているのだが、不思議なほどそれに無自覚で、相手の能力を自分は御すことができると自然に思っている節がある。わたしはそのことについて、性別以外の理由を思いつかない。「この女は有能である、異論はない。そして自分はそれを使えるほど有能である、なぜなら男だから」という理屈以外に。わたしが男だったら、少なくともわたしの能力はわたしに属しわたしが行使するものとして扱われたことだろう。男が自分の外に外在化して所持している能力で、その意思によって自由に引き出せるものとして扱われはしなかっただろう。

 切ないことに、わたしは男と一緒に過ごしそこを離れるたびに、わたしはスキルアップしてどんどん一人で何でもできるようになっていく。元夫や彼の求める細々としたことを片付ける過程で様々なことを身に着けたし、何よりも自分でビジネスをやる男と関わることで、勤め人じゃない働き方の感覚が、自分で稼ぐことの空気感が、分かるようになった。多分わたしの能力の大きなところは、個々の知識や体験を繋げて汎用性と応用性を高めていくところにあるんじゃないかと思う。彼らがその場その場の個々のニーズに対するわたしの逐一利用に気を取られている間に、わたしはそれに要する能力を自分の中で繋げて、もっと総合的に活用することができるようになっているのだ。だからわたしはもう、自分一人で自分のビジネスができる。自力で取りあえずは自分のビジネスをコンプリートすることができるのだ。彼らは自分たちの不足分をわたしに補わせることで、自分がその不足分を欠落したままであるのにわたしがその辺の能力を回収して巻き取ってしまったことに、おそらく気づいていないだろう。元夫は運転の覚束なかったわたしが県内津々浦々を車で走り回りあまつさえ時々自分の店の前を通り過ぎていることなども知らず、間違えた書類を作ったりしていることだろう、わたしが一時家出をしていた間に車を取り違えて一度登録手続きしてしまったみたいに。彼はわたしが彼の手助けを必要としていないことに気づかず、一方わたしがいなくなっても依然として「器用でやさしい日本人」に依存しないとビジネスができないままだろう。

 女をずっと従属させておきたいのなら、徹底して無能な何もできないままにしておくことだ。それなのに彼らは、女の有能さがなければ自分が成り立たないから、女をどんどん有能にして何でもできるようにして何でもやってもらってほくほくとして、そしてなぜか無邪気に信頼しているのだ、ずっとこの女は自分を見捨てず助けてくれるのだと。狡猾なのにどこか抜けて子供のように無垢で弱く、わたしはかなしくなる。いつもいつも。駄目になるたびに。強権的に縛り付けて搾取し尽くせばいいのに、なぜか肝心なところで女の愛情を疑いもなく信じているから、そんな危うい一点を拠り所に詰めの甘い馬鹿をやるから、なんだか本当にかなしくなるのだ。

 こういう自己イメージが、なぜか実現してしまう。なぜか予感が当たってしまう。馬鹿で子供っぽい男を可愛いと思ってしまい惹かれてしまい選んでしまい一時は幸せなのにその馬鹿さゆえに続けられなくなってしまう。

 おんなじことを繰り返すのは嫌なのに、彼と揉め始めた5月からここに至るまでの展開は、とても既視感があった。離婚直前の展開と。彼らは謝る。誠実な約束をする。でもその誠実な約束を実行する前に、また次の悪手をやらかしてしまうのだ。ちょっと待って、誠実な実績を作って、騙してから踏み込めばいいのに、それができない。手堅く投資できない。彼らの、損をしたくなくてなるべく少ないコストで大きな利を得たい気持ち。でも、目先の得に執着しているうちに、一番大きなものを失ってしまう。損得抜きに、愛情から無償で与えられるものが一番大きいのに、なぜかそれが見えていなくて、もっと得たい、もっと得たいと我欲を出し続けて、結局全部失ってしまう。女を無条件にまるっと信じている癖に信用できなくて、要求して獲得したものでなければ、目に入らないのだ。

 でも元夫は曲がりなりにも結婚してクロージングしてから刈り取りに入ったのに、多分彼の結婚イメージが男が多くを持って行かれて損をするイメージだったのだろうけど、結婚はもうヤダ、男と女が comfortable じゃなくなったらただサヨナラすればいいと思うと常々言っていて、それはそれなりに同意だけど、そんなわたしを自由でいつでも離れられる立場に置いたままでクロージングもせず刈り取りに入るなんて、少し可笑しくなってしまう。何で繋ぎ止めておけると思ったのかな?ウワキダメよ、と言い続けていれば囲い込めると思ったのかな?それとも、トーコは深く考え過ぎ、もっとシンプルに考えて、と繰り返せば牽制できて、わたしが深層まで到達しないと思ったのかな?そうだ、彼らはいつもこちらの聡明さを見くびり見誤る。彼はわたしが事実婚も視野に入れていたことや、彼が晩年になって働けなくなった頃にわたしが稼得を支えるつもりでもあったことなど、知らないまま行ってしまうのだろう。

 離婚する時わたしは元夫と対峙してやり合ったけれど、彼に対してはそれはやらないだろう。彼の望み通り笑顔をキープしながら、核心に触れることなく、徐々にゆっくりと距離を置いてフェイドアウトするだろう。彼はおそらくわたしに切り込むことはできないだろう。それをするには、自分の下種さを話題に載せることになるから。彼の家には殆ど自分の物を置いていなかったけれど、その少しだけの物ももう回収してきてしまった。わたしはその気になれば、もう彼の家に赴く必要もないのだ。そして彼はわたしの家を知らないので、こちらに来ることもできないのだ。すべての労力をわたしに負わせた代償は、何のアクションも自分からは取れないということだ。楽をすることの裏には、そういう怖さがある。

 以前傷ついた時、気持ちは「12界の一番奥」から離れることがしばらくできなかったが、今の気持ちは「NOT DEAD LUNA」という感じだ。わたしは死にゃしない。多分今年が終わる頃には、何らかの結着がつくだろう。離婚した後は半年くらいは折に触れて号泣したが、今回もそのくらいでケリがつくだろう。離婚してから5kgちょっと痩せてしまったが、あともうちょっとは痩せるだろう。そしてガンガンに働いて、金持ちになるのは無理だろうけど、もう少しお金を貯めて回復させよう。離婚した後もわたしは貯金を吐き出して一文無しになったが、そこから立て直したんだから今回もできるだろう。今度恋をする時は、「子供っぽい馬鹿」じゃない相手にしよう。なぜそういう相手に惹かれてしまうのか、まだ自分でよく分かっていないし整理もついていないけど。かといって「老成した馬鹿」も好きになれないし、日本の男はみんな薄っすらとは馬鹿であるような気もするし、かといってクズはインターナショナル、ということも知ったし(このフレーズは思いついて自分でちょっと笑ってしまった。さらに言えば、今回彼のことは「養育費を払う方のクズ」という分類に入れた。養育費をきちんと払うクズがいるとは知らなかったし思わなかった)、次は女の子と恋をしてもいいと思った。わたしはもともと女の子のこと好きなので。あるいは、気の合うおばあさん同士の楽しい老後の共同生活、みたいなものもいいのかもしれない。

 そしてなぜわたしの能力を搾取する類の男とばかり仲良くなってしまうのかという問題は、おそらく父とわたしの問題に突っ込まなければなるまい。わたしの能力を搾取した筆頭はおそらく父だから。父の場合はわたしの能力を問題解決に利用したというよりも、自己のアイデンティティの確立に利用したのだけれども。父はわたしの「頭の良い娘」というブランドが必要で、問題解決能力ではむしろ自分が娘を凌駕する、という位置づけに置いていた。でも、わたしが本当は何が得意で何に優れていて何に関心があってどんな能力を発揮しているかということについてはあまり見ようとしない、という点については、彼らと同様だ。でもこの問題は荷の重い問題であるので、今後の課題。長かったけど、ここで終わりだ。多分そして、前に進める。

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