「人の心を読む」ことと「人のニーズを汲む」ことと「自分で判断する」ことは全くの別物だから、男の人は一体どれが苦手だって言ってるの?

 うちの父の対面コミュニケーションは、だいたい相手のニーズを外す。質問をすると大抵(それを訊いているんじゃない)という答えが返ってくるし、ニュースを見ていると、画面からの情報提供に集中しているのに、訊いてもいない傍流の知識の披露が始まる。甘えたくて寄ってくるネコを放置する一方で、抱かれたい素振りも見せていないネコを急に抱き上げて嫌がられたりする。これで観光ガイドなどもやっているので、(観光客にちゃんと欲しい情報を提供できているのか)と、若干心配になる。

 多分父は無意識にやっているのだと思うが、「相手の求めているものを提供する」というコミュニケーションの原理に、無頓着なのだと思う。おそらく、「俺から分かち与えるものを、畏まって拝受せよ」というスタイルに、慣れているのだろう。受け手目線ではなく、発し手目線なのだと思う。ある年齢以上の、会社や組織などで上の立場にいた男の人などは、大体このスタイルなんじゃないだろうか。

 女の子化教育を受けていないわたしですら基礎教育として身に着けているのが、「相手のニーズを汲む」ことだ。女性は大体、このスタイルを蔭に日向に叩き込まれる。要するに、「気を利かせる」「気を配る」こと。相手のニーズを先回って満たすことが、「配慮の行き届いたできた振る舞い」と褒められる。年の行った男性がこれをできないのは、「配慮の利いた振る舞い」の「与え手」ではなくて「受け手」として過ごしてきたからだと思う。女性がそれをできるのはトレーニングの結果であって、別に性差でもなんでもない。後天的に学習する「観察眼」「スキル」「慣れ」の組み合わせだ。そしてそれは、「人の心を読む」ことともちょっと違う。エスパーじゃないんだから、どんなに気が利く女でも、人の心は読めない。

 さて、ここまでは前振りで、本稿でメインに扱いたいのは、こちらである。「夫よ、家事や育児の大変さをもっと察してくれ」問題。世の夫さんたちが言いがちな「やってほしいことがあるなら言ってくれ」、その気持ちも分からないではないが、本当に「言わなきゃ分からない」のだろうか。

 前述したように、「察する」は実は「心を読む」特殊能力などではなくて、単に「観察眼」と「スキル」と「慣れ」の合わせ技だ。やろうと思えば、ある程度までは「言われなくても分かる」。そのくらい、世の夫さんたちも、上司やクライアント相手に発揮しているんじゃないのか。言葉で言われなくても、上司やクライアントや市場のニーズを観察したり、察したり、汲んだりすることぐらい、やっていないか。それを妻相手にすると「言わなきゃ分からん」で押し通してしまうのは、結局は「僕は、家事育児に関しては、観察眼を働かせる気もないし、スキルも磨く気はないし、それを習慣化する気もありまセン!分かりやすく都度言葉でお願いシマス!」と甘えているのに等しいと思う。

 そしてもうひとつ考えて欲しくてもっと大事だと思うことは、多分別に妻は、「わたしのニーズを汲んでくれ」と要求している訳じゃないんだろうな、ということである。そもそも家事育児のニーズは、妻のニーズじゃなくて、巡り巡って夫のニーズであることも多いと思う。ご飯や洗濯や掃除や子どもの世話が滞って困るのは、どなたなのか。つまり、妻が求めていることは、「わたしの意図を汲んでそれを代行して欲しい」ということではなくて、「当事者として、課題を自分で見つけて、自分で判断し、行動に移して欲しい」ということなのだと思う。NPO法人ファザーリング・ジャパンの代表、安藤哲也さんがどこかでお書きになっていたと思ったが、「妻は夫に、家庭において、アルバイトスタッフじゃなくて正社員になって欲しいと思っている」ということ。「わたしのスタッフ」じゃなくて「わたしの共同パートナー」を求めているんだ、ということ。

 例えば多くのご家庭で夫さんの担当となっている「ゴミ出し」だが、「ゴミ出してきてね」と言われて「あー……はーい」と玄関に出してあるゴミ袋をゴミステーションまで持って行くのがスタッフの仕事だとすると、パートナーの仕事は、ゴミ出しカレンダーを把握して、分別をきちんと行い、(月曜日と木曜日が生ゴミの日だが、今度の月曜日は祝日だ。うちの生ゴミペースは大体月曜一回で十分だが、祝日でゴミが回収されないとなると二週間分溜まってしまう、では、今週は木曜日も出さねばなるまい)といったマネジメントも担当する、そのくらいは必須なのではないか。

 ご家庭内というシチュエーションにぴんとこない男性は、是非オフィスに置き換えて考えてみて欲しいが、「言ってもらわないと何をやればいいか分からないから、やりませんでした!」と堂々と言い張る後輩もどうかと思うし、「課長のご指示通りにしました!」に終始する部下も、その先はないな、って感じがしないだろうか。一スタッフとしてのみ働くつもりならそれでもいいかと思うけれど、経営に加わるつもりなら、タスクを与えられなくても、自分で全社や市場や日本社会経済くらい見て、課題を設定して、判断して、動いてほしいと思う。そして、ご家庭においては夫婦は共同経営者なので、妻は別に夫の上司じゃないし。

「他人の心なんて読めない」「言ってくれなきゃ分からない」と、字面もっともらしいことを掲げることで、本質的には「他人のニーズを汲む観察眼やスキルを磨くトレーニング」「自分の頭を使って判断して対応する主体性」の放棄が行われている、ということが、見えなくなっているんじゃないかなと思う。極限まで進行してしまうと「何も言われなくなる」が起こると思うのだが、会社で自分に何も仕事が回ってこなくなったら、(相当、まずい)と青ざめるくらいの肝が冷えるシチュエーションだろうに、どうしてご家庭だと安穏としてしまうのか疑問である。ご家庭でも、リストラくらい、ある。

 タイトルに戻るが、「言ってくれなきゃ分からない」という男性は、一体、「人の心を読む」「人のニーズを汲む」「自分で判断して動く」、どれを苦手だと主張しているのだろう。人の心は誰にも読めない。人のニーズを最初から汲める人はいない。自分で判断して動くことは主体的にならなきゃできない。妻だって、得意だからやってる訳じゃないし、先天的に獲得している能力な訳でもないのである。「苦手ですから」でやめるのは簡単だが、得意だろうが苦手だろうが結婚生活にはどうしても伴ってくるあれこれに向き合おうと頑張ってる人に、「お任せしマス!」と下駄を預けるのは、ちょっと違うんじゃないか。「苦手だ」って言っていいのは例えば、「料理は苦手だけどきれい好きだから掃除は担当する」とかそういったシチュエイションの場合で、「ご家庭のことは苦手だから任せる。家にいる時は世話を受けるだけにしたいし、くつろぎたい」というのは、「働くのは苦手。会社には在籍するけど仕事は任せる。給料はくれ」というのと、大差ないと思う。

 結婚って、どんどんしなくても生きていけるものになってきていると思う。現代社会、自分ひとり養うくらい、稼いで身の回りのことをしていくのは難しいことじゃない。だから、これからの社会、結婚は主体たる当事者同士の愛情とパートナーシップという土台の上じゃないと、成立しないんじゃないだろうか。「仕事はしないけど給料は欲しい」そういう都合のいい就職がないように、「家のことはしないけどケアは享受したい」そういう都合のいい結婚も、ないよ。「現金収入を得てきているのは俺だ!」という意見もあると思うけれど、結婚で得られるものは金銭の対価じゃないし、それしかないなら、結婚じゃなくてお金を払ってサービスを買えばいいと思う。それに、そこを拠り所にしちゃうと、お仕事辞めた途端、存在意義がなくなっちゃうしさ。

「うちは夫が主に家事をしている」「妻の現金収入の方が多い」「同性カップルだ」などという場合は、適宜、ご自身の状況に引き寄せて読み換えてくださると幸いである。

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