tokkodo/とっこうどう
#670 逍遥の言説をまんま引用するところがずっと続きます
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#670 逍遥の言説をまんま引用するところがずっと続きます

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それでは今日も森鷗外の「早稲田文学の没理想」を読んでいきたいと思います。

時文評論を読む人は、いづれの処よりか此大帰納力を得来たるべき。いはく心中没理想これなり。時文評論を書く人は、いづれの処よりか其大記実力を得来るべき。いはく常識これなり、常見これなり。
常識、常見の何物なるかは、よくも知らず。逍遥子はたゞ「コンモン、センス」といふ一英語を示しゝのみなればなり。

鷗外が指摘しているのは、逍遥の「我れにあらずして汝にあり」の最初の一文です。

常識[コンモンセンス]無き小理想家の多きほど厄介なるものは無し。実際の事に疎き空論家の増加するは、文学の為にも憂ふべくして喜ぶべきことにあらず。

鷗外はつづけます。

没理想の何物なるかはシエクスピイヤ脚本評註の緒言に見えたり。その言にいはく。造化は無心なり。自然は善悪のいづれにも偏りたりとは見えず。固より意地悪き継母の如きものとも見えねば、慈母とも見えず。さるに数寄失意の人は造化を怨み、自然を憤りて、此世を穢土と罵り、苦界と誚[ソシ]るなり。さて亦得意の人はこれに反して造化を情深き慈母のやうにおもひて、此世を楽園とおもへり。必竟人々の思倣し次第にて、苦とも楽とも見らるゝが自然の本相なり。

「造化」とは、天地万物を創造し育てることです。「没理想とは何か」という問いから、「造化」を経由して、「自然の本相なり」と結ばれます。

此故に造化の作用を解釈するに、彼宿命教の旨を以てするも解し得べく、又耶蘇教の旨を以てするも解し得べし。其他老、荘、楊、墨、儒、仏若しくは古今東西の哲学者がおもひ/\の見解も、これを造化にあてはめて、強ち当らざるにあらず、否、造化といふものは、此等無数の解釈を悉く容れても余あるなり。

ここも#662で紹介した「シェークスピア脚本評註緒言」をまんま引用してますね。

造化の作用を解釈するに、彼の宿命教の旨をもてするも解し得べく、又耶蘇教の旨をもてするも解し得べし。其の他、老、荘、楊、墨、儒、仏、若しくは古今東西の哲学が思ひ/\の見解も、之れを造化にあてはめて強ち当たらざるにあらず。否、造化といふものは、是等無数の解釈を悉く容れても余りあるなり。まことに茫として際なきは造化の法相なりと評すべし。

つづきを読んでみましょう。

祇園精舎の鐘の声、浮屠氏は聞きて寂滅為楽の響なりといふべきが、待宵[マツヨイ]には情人が何と聞くらむ。沙羅双樹の花の色、厭世の目には諸行無常の形とも見ゆらむが、愁を知らぬ乙女は何さまに眺むらむ。要するに造化の本意は人未だこれを得知らず、只おのれに愁の心ありて秋の哀を知り、前に其心楽しくして春の花鳥を楽しと見るのみと。

ここも#663で紹介した「シェークスピア脚本評註緒言」をまんま引用してますね。

祇園精舎の鐘の声、浮屠氏[フトシ]は聞きて寂滅為楽の響きなりといへれど、待宵には情人が何と聞くらん。沙羅双樹の花の色、厭世の目には諸行無常の形とも見ゆらんが、愁ひを知らぬ乙女は、如何さまに眺むらん。要するに、造化の本意は人未だ之れを得知らず、唯、己に愁ひの心ありて秋の哀れを知り、前に其の心楽しくして春の花鳥を楽しと見るのみ。

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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古本屋を営んでいます。本を読むのが好きです。