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#1421 方様、早く帰ってくだされ!

それでは今日も幸田露伴の『風流佛』を読んでいきたいと思います。

京都に室香[ムロカ]という芸子がいました。梅岡なにがしという中国地方の浪人の男らしさに契りを込め、世を忍ぶ男をかくまって半年あまり、室香は子を宿しますが、ここで鳥羽伏見の戦争が起こります。

さても方様[カタサマ]の憎い程な気強さ、爰[ココ]なり丈夫[オトコ]の志を遂ぐるはと一ト群[ヒトムレ]の同志を率いて官軍に加わらんとし玉うを止[トド]むるにはあらねど生死[ショウジ]争う修羅の巷に踏入[フミイ]りて、雲のあなたの吾妻里[アヅマジ]、空寒き奥州にまで帰る事は云わずに旅立[タビダチ]玉う離別[ワカレ]には、是[コレ]を出世の御発途[オンカドイデ]と義理で暁[サト]して雄々[オオ]しき詞[コトバ]を、口に云わする心が真情[マコト]か、狭き女の胸に余りて案じ過[スゴ]せば潤[ウル]む眼の、涙が無理かと、粋[スイ]ほど迷う道多くて自分ながら思い分たず、うろ/\する内[ウチ]日は消[タチ]て愈々[イヨイヨ]となり、義経袴[ヨシツネバカマ]に男山八幡[オトコヤマハチマン]の守りくけ込んで愚[オロカ]なと笑片頬[ワライカタホ]に叱られし昨日[キノウ]の声はまだ耳に残るに、今、今の御姿[オスガタ]はもう一里先か、エヽせめては一日路[イチニチジ]程も見透[ミトオ]したきを役立[タタ]ぬ此眼の腹立[ダタ]しやと門辺[カドベ]に伸び上[アガ]りての甲斐なき繰言[クリゴト]それも尤[モットモ]なりき。

吾妻里とは関東一帯の国々のことです。男山八幡とは、石清水八幡宮のことです。

一[ヒ]ト月過ぎ二[フ]タ月過[スギ]ても此恨[コノウラミ]綿々[メンメン]ろう/\として、筑紫琴[ツクシゴト]習う隣家[トナリ]の妓[コ]がうたう唱歌も我に引き較[クラ]べて絶ゆる事なく悲しきを、コロリン、チャンと済[スマ]して貰[モラ]い度[タ]しと無慈悲の借金取めが朝に晩にの掛合[カケアイ]、返答も力無[ナ]や男松[オマツ]を離れし姫蔦[ヒメヅタ]の、斯[コウ]も世の風に嬲[ナブ]らるゝ者かと俯[ウツム]きて、横眼に交張[マゼバ]りの、袋戸[フクロド]に広重[ヒロシゲ]が絵見ながら、悔[クヤ]しいにつけゆかしさ忍ばれ、方様[カタサマ]早う帰って下されと独言[ヒトリゴト]口を洩[モ]るれば、利足[リソク]も払わず帰れとはよく云えた事と吠付[ホエツカ]れ。

男松は黒松の異名、姫蔦はヒメイタビというつる植物の別称、「男松を離れし姫蔦」とは、夫と生別または死別してひとり取り残された女のあわれな様子を指します。

京都から東に向かうには東海道、東海道といえば東海道五十三次の広重、ということでしょうか……。

ということで、この続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!

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