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#148 守山くんを待つあいだに…

では今日も坪内逍遥の『当世書生気質』を読んでいきたいと思います。

小町田くんと任那くんと守山くんのお父さんは、任那くんの西洋行きの支援者・三芳さんと守山くんを、八百松で待っていました。時刻は午後7時頃、夏の雷雨が降り始め、まるでそれは、話の今後の展開を暗示しているようでした。なぜなら、田の次を引き連れた吉住さんが八百松へ登ろうとしていたからです。

任那は降込[フリコ]む雨をも厭[イト]はず、二階の欄干[ランカン]に立寄りつつ、川の面[オモテ]を打[ウチ]ながめて、小町田粲爾をさしまねき、
任「どうだ小町田。実に跌宕[サブライム]極[キワマ]るといふべしだ。…吹折[フキオル]ウ、崑崙[コンロン] 引 山頂のウ樹[ジュ]ウ。喚醒[ヨビサマ]すウ東海のウ老龍君[ロウリュウクン] 引。……アア怪絶々々。」

任那くんが歌っているのは、『水滸伝』の第十九回「林冲水寨大併火 晁蓋梁山小奪泊(林冲、水寨にて大いに併火し、晁蓋、梁山にて小しく泊を奪う)」の一節です。

飛沙走石 捲水搖天 黑漫漫堆起烏雲 昏鄧鄧催來急雨 傾翻荷葉 滿波心翠蓋交加 擺動蘆花 繞湖面白旗繚亂 吹折崑崙山頂樹 喚醒東海老龍君
小「どうもいへない景況[アリサマ]だネエ。バイロン(英国の詩人の名)得意の天とは、此般風景[サッチ・シンネリー]をいふんだらう。」

ジョージ・ゴードン・バイロン(1788-1824)に関しては、森鴎外(1862-1922)や北村透谷(1868-1894)の読書感想文を書くときに、頻繁に出てくると思うので、ここでは一旦置いておきましょう。w

友「任那さん。何か名吟でも出来ませんかナ。急がずばぬれざらましを旅人の、それとは反対[アベコベ]で、後[オク]れずばぬれざらましを、恰[チョウ]ど今時分、吾妻橋辺へ乗だしなすつた頃であらう。いい加減に歇[ヤ]めばよろしいが。」

守山くんのお父さんが言っているのは、太田道灌(1432-1486)が詠んだ

急がずば ぬれざらましを 旅人の あとよりはるる 野路[ノジ]の村雨

という歌です。

ちなみに、『当世書生気質』が刊行開始した1885(明治18)年、木造の吾妻橋は、7月の大洪水で、上流から流れてきた千住大橋の橋桁が衝突し、共に流失してしまいます。それから2年後の1887(明治20)年に隅田川最初の鉄橋として再架橋されました。

任「雨ばかりなら驚くに足[タリ]ませんが、風が頗[スコブ]る非常だから。」
小「さうネエ。事によると船が出されないかもしれないヨ。」
任「時に守山さんお聴[キキ]なさい。拙者が三十一文字[ミソヒトモジ]を製造しました。」
友「ハハア。何と出来ましたな。」
小「守山さん。老実[マジメ]でお聴なすッてはいけません。任那君の三十一文字は、腰折[コシオレ]どころでない、骨折[ホネオレ]ですから。」
任「余計な横槍を入れるべからずッ。まづその緒言[ショゲン]に曰[イワ]く」
友「ナアル。」

「ナアル」は、「な〜るほど」の略ですね!

任「来[コ]ぬ人を待ちくたびれて、」
友「ヘヘイ。」
任「無聊[ブリョウ]にたへかねける折、白雨棒[ユウダチボウ]をならべたてたるが如くふりいだしければ。」
友「ナアル。」
任「エヘン。徒然[ツレヅレ]の茶うけにせよと空からも盛[モリ]いだしたる雨ン棒かな。」
友「ハハハハハこれはおもしろい。なかなか狂詠気[キョウカゴコロ]がありますネ。……それはさうと、三芳さんや倅[セガレ]は、どうしましたか。もうほどなく七時過になりませう。」

さて、ふたりは、いつやってくるのでしょうかね!

この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!



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