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#864 逍遥vs鷗外!いよいよ没理想論争前哨戦が始まるぞ!

さて……坪内逍遥の「小説三派」「底知らずの湖」「梅花詩集を読みて」「梓神子」を読み終えて、ここで、森鷗外の批評が始まります!鷗外が、「しがらみ草紙」第24号(明治24年9月25日)で、「逍遥子の新作十二番中既発四番合評、梅花詩集評及梓神子」を発表します。のちに「逍遙子の諸評語」と改題された没理想論争前哨戦の舞台をいよいよ読んでいきますよ!

さきにわれ忍月[ニンゲツ]、不知庵[フチアン]、謫天[タクテン]の三人を目して新文界の批評家とせしことあり。

忍月は石橋忍月(1865-1926)のこと、不知庵は内田魯庵(1868-1929)のこと、謫天は野口寧斎(1867-1905)のことです。

當時は實に此[コノ]三人を除きては、批評を事とする人なかりき。去年より今年(明治二十四年)にかけては、忍月居士[コジ]の評漸[ヨウヤ]く零言瑣語[アフォリスメン]の姿になりゆき、不知庵の評は漸く感情の境より出でゝ、一種の諦視[テイシ]しがたき理義の道に入りはじめたり。獨[ヒト]り謫天情仙[ジョウセン]のみ舊に依[ヨ]りて、言ふこと稀[マレ]なれども、中[アタ]ること多からむことを求むるに似たり。この間別に注目すべき批評家二人を獲[エ]つ。そを誰[タレ]とかする。逍遙子と露伴子と即[スナワチ]是[コレ]なり。

新たに注目する批評家を得た!坪内逍遥と幸田露伴である!

並[ナラビ]に是れ自ら詩人たる人にしあれば、いづれも阿堵中[アトチュウ]の味えも知らざる輩[トモガラ]とは、日を同うして論ずべからざる由[ヨシ]あらむ。われ固[モト]より善詩人は即好判者なりといふものならねど、自ら經營の難きを知るものは、猥[ミダリ]に杓子定規[シャクシジョウギ]うち振りて、枘鑿[ゼイサク]その形を殊[コト]にして、相容[アイイ]れざるやうなる言をばいかゞ出さむ。二子の文を論ずるや、その趣相距[サ]ること遠けれど、約していへば、逍遙子は能[ヨ]くものを容れ、露伴子は能くものを穿[ウガ]つ。左に少しく逍遙子が批評眼を覗[ノゾ]かむ。

「阿堵」は中国の晋・宋代の俗語で「これ・あの」という意味です。

逍遙子の評能くものを容るとは何の謂[イイ]ぞ。答へていはく。批評眼も亦[マタ]哲理眼なり。人ありて哲學の一統[ジステム]を立つるときは、その時の人智の階級にて、及ばむ限のあらゆる事物は、合して一機關をなし、其理の動くところ、悉[コトゴト]く其源[ソノミナモト]に顧應せでは協[カナ]はじ。批評も亦然[サ]なり。

ということでこの続きは……

また明日、近代でお会いしましょう!


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