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#832 私の言う理想詩人はまだ誕生の産声を上げていないが…

それでは今日も坪内逍遥の『梓神子』を読んでいきたいと思います。

第四回は、「我慢」の上中下を論ずるところから始まります。我慢の「最大」は一切の善悪を受け入れて余りある状態で、我慢の無いことに等しい状態。我慢の「中[チュウ]」は衆善を容れる量はあるが、衆邪を破るには疾風のなかの枯葉を掃うに似ている。そして我慢の「下々[ゲゲ]」は、目の無い笊[ザル]のようで、善をも容れなければ悪をも容れない。ゆえに自分を尊び、思い上がる。巫女に乗り移った目の前の怨霊は、まさにこれで、どんなに論じても退散の効き目がない。ひとたび外郭を乗っ取り、写実派の旗を立てるのが目的成就の道理であるが……

然るところ此[コノ]たび起らんとする理想派の勧懲詩人といふは、其[ソノ]格構[カッコウ]面がまへ甚だ以て足下[ソコモト]と相肖[アイニ]たり。足下が狗[イヌ]の肉ならば彼輩[カノトモガラ]は羊の肉なるべく、足下が贋薩摩[マガイサツマ]ならば、彼輩は本場なるべし。かくいへば足下を酷[ヒド]く貶[オト]して言[イウ]やうにて、お贔屓[ヒイキ]さまの手前[テマエ]些[チト]相済[アイスマ]ぬ儀[ギ]なれど、我謂[ワガイ]ふ理想詩人とはまだ誕生の産聲[ウブゴエ]あげぬ輩なれば、假[カリ]にミルトンかシェレーか其邊[ソノヘン]の格構の男と想ひたまふべし。例の頭くだし立腹ある可[ベカ]らず。さて古来[コライ]肖[ニ]て非なる奴の近所にあるばかり迷惑至極のことはなし。孔子が陽虎[ヨウコ]に迷惑せられ、吉田の少将の御臺[ミタイ]が天狗の怪異[ケイ]にて二人となりて果[ハテ]られし例[タメシ]などいはずもあらなん。

陽虎は、中国の春秋戦国時代の魯の政治家で、どうやら孔子と容貌が似ていたようです。そのため、孔子は、陽虎をうらむ人々に見間違えられ、危難に遭ったことがあるそうです。

「吉田の少将……」の箇所は、近松門左衛門(1653-1724)作の人形浄瑠璃で、1720(享保5)年8月大坂竹本座初演の『雙生隅田川[フタゴスミダガワ]』のことかと思われます。

吉田少将行房[ユキユサ]が鳥居建立のため、杉を大量に伐採したことを恨む次郎坊天狗は、お家乗取りをねらう吉田家執権の勘解由兵衛景逸[カゲユヒョウエカゲハヤ]に共謀を持ちかけます。行房には班女[ハンジョ](妾)との間に梅若・松若という双子の兄弟がいましたが、次郎坊天狗の恨みをかい、松若は天狗にさらわれ、祟りに悩まされた行房は御台所(本妻)を刺殺、自身も舅の奸計で殺されてしまいます。梅若には、家督相続の許しが出ますが、証として朝廷より預かった「鯉魚の一軸」を持参せよとのお達しが出ます。ところが、景逸たちにそそのかされ、「鯉魚の一軸」の絵の鯉に目を描き入れたため、鯉は絵から抜け出し梅若は出奔、心労が重なった班女は狂乱してしまいます。そのころ、吉田の家来だった淡路の七郎は、使いこんだ主家の金一万両をつぐなうため惣太と名のって人買い業を続け、あと10両までこぎつけたところで、都生まれの稚児を折檻して殺してしまいます。その稚児が梅若と知った惣太は非を悔い、天井を突くと家中に貯めた小判が降りしきるなか壮絶な最期を遂げ、その一念によって天狗となります。班女が隅田川で、梅若の最後を知って悲嘆に暮れているところ、惣太の化身した天狗が松若をつれて現れ、班女と惣太の妻・唐糸は天狗の助勢を受け舅を討ち、松若が家督を継ぐ、という話です。で、行房が御台所を刺殺してしまう場面ですが、祟りを起こすために次郎坊天狗が偽の御台所に化けて登場するため、御台所がふたりになる場面があるのです。

というところで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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