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#788 批評家よ!これが文壇の救世主の声なのか!

それでは今日も坪内逍遥の『小説三派』を読んでいきたいと思います。

思ふに英國に於けるドラマ的小説家は彼(かの)女史ひとりに止めたるにやあらん、知らず女史の外にも尚あるにや。

ここでいう「かの女史」とは、ジョージ・エリオット(1819-1880)のことです。

夫の近世の魯独にこそドラマ的小説家も多しとは聞[キイ]たれ、それもいと近き程の事なり。又仏蘭西(フランス)なる諸作家バルザック、ユーゴ、ゾラ、ドーデーの徒[トモガラ]は或は我[ワガ]所謂人情派の界を越えて、人間派に入れりともいふべからんが、これとてもまた近世の作家なり。

「ドーデー」とは、『アルルの女』(1872)を書いたアルフォンス・ドーデ(1840-1897)のことです。

詮ずる所ドラマ主義の小説界に入りしは、十九世紀に於ける特相といふも誣言[フゲン]にあらじ、尚いと稚き現象なり。ウベルネ、ハッガードの徒はいふも更なり。ホルムス、ブレットハート、ベザントの如きものも、我批評家の評言を聴かば恐らく惘然[ボウゼン]と自失すべし。

「ウベルネ」は『八十日間世界一周』(1873)を書いた「SFの父」であるジュール・ヴェルヌ(1828-1905)のこと、「ハッガード」は、『ソロモン王の洞窟』(1885)を書いたヘンリー・ハガード(1856-1925)のことです。

「ホルムス」は、アメリカの作家オリバー・ホームズ・シニア(1809-1894)のこと、「ブレットハート」はアメリカの作家フランシス・ブレット・ハート(1836〜1902)のこと、「ベザント」はイギリスの小説家ウォルター・ベサント(1836-1901)のことと思われます。

当時最新のSFや冒険もの、さらにアメリカの作家まで網羅しているんですから、やはり逍遥はすごかったんですね。まさに、現実の報道者。

批評家の説の非なるにはあらねど其説の新しければなり。然るに何事ぞ今の批評家所謂人情派の小説だにいといと稀にある我小説壇に向ひて、唐突にドラマ(ギョオテの「フハウスト」シェークスピヤの臺帳)を標準として物語派の作を批判し叱咤[シッタ]一撃して是小説にあらずと喝破す。嗚呼[アア]是文壇の救済主の声か、物語派の名家みづから信ずるに厚く且頑[カタクナ]にて、絶えて改進せんの心なくば事も無けれど、改進せんの心あらば彼等そも何の方角に向ひて進むべきぞ。何故にドラマ主義を奉ずべきか、茫々然として知るに由なく、百花爛漫紅雲蒸すが如き中に立ちて、梅まづ畏れて散り桃また次ぎて散り李[スモモ]も散り杏[アンズ]も散り梨の花も散らんとせん。此時に当り幸ひに桜の咲くあらばよし、唯四五の桜の画と只二三の桜の枯枝とが空しく文園に横たはらば、花を散せし咎[トガ]は何れの嵐の罪とせん。吾人は今の批評家の花に慈ならざるを怪しむ。

いつの時代も、批評家の態度ってのは、変わらないんですねw

ということで、この続きは…

また明日、近代でお会いしましょう!

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