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自分さえ良ければ…

弊社の携わるある患者さんは、入院治療により病気の症状はだいぶ落ち着き、退院の話が出るようになりました。ここまで来る間には、主治医の先生はもちろん、看護師さんやワーカーさんに根気よく支えていただきました。

退院後はグループホームに入居する予定ですが、本人の「あれは嫌、これは嫌」があまりにも多いため、先方からも「お断り」されるなど、なかなかうまくいきません。いわゆるパーソナリティの問題になりますが、病院側は「治療の範疇ではない」と言いますし、一方で施設側からも受け入れを拒否されるという、板挟みの状態です。

本人はどう認識しているのかと思い、「〇〇さんは、人と仲良くやっていこうという気持ちがないの? 自分のやりたいようにできれば、人からどう思われてもいいの?」と聞いてみました。すると、即座に「うん」という答えが返ってきました。こうなると、人間関係において抑止になるものがなく、他人の存在に目を向けることがありません。

最後は、周囲とトラブルになるか、誰からも関心を持たれずに孤立するか……自身に痛みを伴う結末が待っています。本人が医療や支援につながっていても、一般社会に身をおけるだけのコミュニケーション能力に乏しいため、家族だけでなく支援者にとっても対応の難しいケースです。

「そもそも、自分以外の人の気持ちに関心がない」という極端なパーソナリティの背景には、精神疾患や発達障害などがある場合もありますが、それとは別に生育歴を見たときに特徴として挙げられるのが、社会では通用しないコミュニケーション(倫理道徳観の欠如や、協調性のなさ等)を、親が長年にわたり許容してきたことがあります

そこに、両親の夫婦仲の悪さがあることも、とても多いです。子供の面前でDVを伴う激しい喧嘩を繰り返しているような夫婦はもちろんのこと、夫婦関係が完全に冷め切っており人間的な関わりさえもないケースも要注意です。

両親が不仲を理由に互いに無関心になり、存在を消して生活するというコミュニケーションを、家庭内で繰り広げているのです。そこには、「子供の目の前で喧嘩するよりはマシだろう」という妥協がありますが、どんなに取り繕っても、子供はその殺伐とした空気を感じ取ります。

もっと根源的なこととして、このような夫婦関係の元では、子供が幼少期に「なぜ自分は生まれてきたのか」と疑問を持ってしまうこともあります。こうして育った子供が、自らの殻に閉じこもり、「自分さえ良ければ」という思考を持つようになるのも当然と言えます。

近隣との関わりが豊富にあった昔であれば、親以外に目をかけてくれる大人がいて、家庭とは違う価値観と接したり、自尊感情を持てるような経験を積んだりできましたが、昨今はそのような環境に身を置くことすら難しくなりました。

対人関係が苦手で、社会との関わりが薄いタイプの子供ほど、家庭の殺伐とした空気に大きな影響を受けます。いじめなどトラブルがあっても、親には相談できずに不登校になるケースも多くみられます。そして不登校になっても、両親が互いに話し合うことすらないため(母親が父親に相談できずに抱え込んでしまうケースが多い)、そのまま長期ひきこもりへ…というパターンです。

夫婦はもともと他人であり、うまくいかなければ「離婚」という選択肢がありますが、子供は親を選べません。努力しても夫婦関係をうまく築くことができないような場合ほど、子供が社会で生きていけるように(健全なコミュニケーション能力を高められるように)、早い段階から家族内に第三者を介入させていくことが重要です

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