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執筆した文章を読んでもらいたいなら、これくらいは意識しておかないと。逆張りに溺れた人間の末路とは?『デタラメだもの』

ファンというものを抱えていない物書きにとって辛いことが、執筆した文章の面白さよりも、まずは読んでもらうというところに配慮しなければならないところ。読んでもらえなければ内容の面白さは伝わらない。しかしだ、無名の作家が執筆した文章を好き好んで読んでくれる人などそういない。だとすると重要なのは、人の目に留まり、興味を引きつけ、まずは文章を読んでもらうという難関をいかにクリアするかということだ。

殊更、インターネットで文章を披露する場合、インターネット上には無数の文章が存在しているため、読者はお好みの文章を高速で選りすぐる。その選別から漏れてしまったが最後、せっかく執筆した文章が読まれる可能性は限りなく低くなってしまう。

祭りの出店などでおっちゃんが、ヒヨコのオス・メスを選別している光景を目にしたことがある人もいるだろう。「それ、ノリでやってるんちゃいますの?」と言わんばかり、超高速でオスとメスを選別してゆく。一瞬の判断。出店のおっちゃんの手元に一切の迷いはない。凄まじい技術に度肝を抜かれてしまう。

インターネットで活字に触れようとする読者も同様、お好みの活字は一瞬の判断で選別する。凄まじい技術を持っている。選別に漏れてしまったが最後。その活字は世の中に存在しなくなってしまう。せっかく苦心して書き上げた文章だったとしてもだ。

では、何に気をつけて執筆する必要があるか。それは、見出しだ。特にインターネットの文章の場合、読者は見出しを見て、好みの文章か否かを判断する。そこで心を掴めなければ、内容の良し悪しなんて見てもらえない。まずは見出しだ。見出しを捏ねくり回そう。

ということで、後輩に今の世の中の流行りを尋ねてみたところ、どうやら今の世の中はタピオカが人気を博しているとのこと。息を吐くが如く嘘をつく後輩に尋ねてしまったため、本当にタピオカが流行っているのかについては疑問が残るが、まあ今回は後輩を信じよう。では、見出しにはタピオカを用いることとする。

ただ、ここで問題がある。話題になっているものを扱った文章というものは世の中に溢れ返っている。そう。既に飽和してしまっているのだ。迂闊に手を出してしまうと、せっかく苦心して書き上げた文章も埋もれてしまい、誰の目にも触れなくなってしまう。大量に皮から取り出した枝豆の、ひと粒の個性を見抜ける人間がそういないことと同義である。では、どうすればいいのだろうか。そうだ。逆張りを使ってみるのはどうだろうか。

人は意外性のあるものに興味を持つ。その意外性を演出する方法のひとつが、逆張りだ。世間一般の意見や常識と逆の意見を主張するという粋なテクニックだな。それじゃ、ふんだんに逆張りを用いて、人の目に留まってやろうじゃないの。

丸くないタピオカ。中高年にしか支持されないタピオカ。流行らないタピオカ。ご飯にかけるタピオカ。ストローじゃ吸えないタピオカ。空飛ぶタピオカ。SNS映えしないタピオカ。飲んでいるだけで友だちを無くすタピオカ。タピオカ殺人事件。タピオカ不景気。どうだろうか。「なにそれ? どういう意味? 逆に気になるぅ」とならないだろうか。

絶対にSNS映えしないタピオカが飲めるお店があった。
女子中高生は絶対に飲まない、中高年にしか支持されないタピオカの真相。
ストローじゃ吸えない規格外のタピオカの意外な食べ方とは?
飲んでいるだけで友だちを無くすタピオカの真相に迫る。
日本経済は、タピオカ不景気をどう乗り切るのか?

どうだろうか。人の気を引く粋な見出しになっているのじゃないだろうか。見出しを読んでいるだけで、ついクリックしたくなる。なるほど。この手を使って活字を連ねれば、瞬く間に人気者になれるはず。困窮する生活からも脱出できるはず。やがては日本武道館でライブだってできるはず。

億万長者になれるビクトリーロードが見えたところでふと気づく。逆張りは会話にも転用できるのではないだろうか。「初対面の人となかなか会話が弾まなくて」と悩む人は多いはず。そんな人は一度、逆張りのテクニックを会話にも用いてみてはどうだろうか。

例えば、クソ寒い冬の日に「今日って暑いですね」と言うだけで、相手は「え? ほんとですか?」と返してくるだろう。寒い日に「今日は寒いですね」という何の変哲もない会話をおっ始めてしまうから、相手も「そうですね」と、終息に向かう返事しかできないわけだ。見てごらんよ。前者はちゃんと「?」で終わってるじゃあないの。まだまだ会話のラリーが続くってことじゃあないの。

おっ。この発明は、多くの人の手助けになるんじゃないの。近い将来、実用書が出せるんじゃないの。となると、瞬く間に人気者になって、困窮する生活からも脱出でき、やがては東京ドームでライブだってできるはず。はははん。

味を占めたことにより、全ての会話を逆張りで構成してみた。なぜかって? 東京ドームでライブをやるためさ。はははん。

「日本って好景気ですよねぇ」
「え? そうですか?」
「ですです」
「儲かってらっしゃるんですね?」
「いや、儲ける気は、さらさらないですね」
「え? じゃあ今回のデザイン案件は無料でやっていただけると?」
「もちろんですよ」

あかんあかん。仕事がタダになってしもうとるがな。これじゃ本末転倒。会話は弾んでいるとしても、業績が沈んでしまう。意味がない。

「キムチって甘いですよねぇ」
「え? そうですか?」
「ですです」
「辛いもの、お強いんですね?」
「辛いって感じがしないんですよね」
「え? じゃあ今回の納期1日仕事だって辛くない?」
「もちろんですよ」

あかんあかん。納期1日の仕事を飄々と請け負ってしまっているだけでなく、辛い(からい)という言葉が辛い(つらい)という意味にすり替わっているじゃあないの。なぜに同じ漢字だのだ。辛いものが好きな人にとっては辛いものを食べることは快楽で且つ享楽でしかないのに、なぜに辛いという言葉と同じ漢字なのだ。解せん。解せん。先方の怠慢でスタートが遅くなってしまった仕事のくせに、こちらに短納期を押し付けられることが解せん。

「お嬢さん。丸くないタピオカって知ってるかい?」
「はい。知ってます」

あかんあかん。逆張りに対応してくるタイプの猛者的な女性やった。こういう気丈なタイプに逆張りする場合は要注意。寒い冬の日に「今日って暑いですよね」と逆張りしたとしても、「確かにそういう日もありますよね」などと、柔軟に打ち返してくるケースがある。さらには、「ほんとですよね」と、逆張りに乗っかってくるケースだってある。こういう場合は、負けん気の強いタイプの相手か、もしくは、こちらの会話に微塵の興味も持っていないタイプの場合がある。

後者の場合、それが異性間で起こってしまっているなら、その相手とは距離を置いたほうがいい。付き合おうなんて考えているなら、その先に明るい未来は待っていない。

「近ごろ、年齢のせいか、肩や腰がすごく凝っちゃうんだよねぇ」

あかんあかん。本当のことを言ってしまっている。逆張りすることに日和りすぎて、逆張りすらできなくなっている。こんなセリフが飛び出した日には、逆に張ることを考えるより、湿布を貼ることを考えたほうがいい。

「嗚呼、この記事、いつまでも書いていたいなぁ」

そうです。逆張りのネタがもうなくなってしまったので、ここらで筆を置きたいわけです。すなわち、日本武道館や東京ドームへの道も遠ざかり、生活の困窮からはまだまだ抜け出せず。よっしゃ、気を持ち直してタピオカでも買いに行こうと、近所のタピオカ屋さんに行ってみたところ、女子高生の行列ができており、並ぶのに気が引けてしまい、悩んだ挙げ句、3軒隣の焼き鳥屋で、持ち帰り用の焼き鳥を買って帰った。

デタラメだもの。

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