ときたまこ

ときたまこ

最近の記事

復活『ゴジラ』(1984年)

 「英雄の陰にひそむ孤独とでもいうのかね、なんか淋しさみたいな、ものが雰囲気として出るかなあ、ということで。だから、手法では、たとえば新宿では、わりと伏せ目のアングルを多用してる訳ですよ」(中野昭慶/『東宝SF特撮映画シリーズVOL.1 ゴジラ』)。  本篇志望だった中野昭慶特技監督は、「作品内容」に合わせてゴジラの「アングル」を決定している。ともすれば現代の諸々の諸相に踏み潰されそうなゴジラ──それが中野の狙いだった。  「新宿の高層ビル群の、高い檻に囲まれたお前のとまどい

    • 〈SF映画=記録映画〉論

       「純粋のSF映画を作るには、まず第一にリアルであること、正攻法で描くことが必須条件である」という大伴昌司は、そのお手本として『遊星よりの物体X』(1951年)を挙げる。  「北極の氷のなかから発見された未知の生物の恐怖を、きわめてリアルな記録映画手法で描いた傑作である」(大伴昌司/『世界SF映画大鑑』)。  大伴の言う「記録映画手法」とは、未知の生物の「影響」を、原則や法則や状況といった「過程」を踏んで描くというもの。その中には表現の自由を保障した合衆国憲法も含まれている。

      • 『空の大怪獣ラドン』(1956年)──記録映画としての円谷特撮

         「円谷特撮のサイズや構図は、本物の怪獣がいたらこう撮れるだろう、全身は簡単には撮れないだろう……という、撮影者のドキュメンタルな姿勢から生まれたものだ」(池田憲章/『特撮円谷組 ゴジラと東宝特撮にかけた青春』)。  円谷特撮の「アングル」は撮影者の「ドキュメンタルな姿勢」から生まれている。怪獣が本当にいたとしたら、周囲にどのような「影響」を及ぼすか。1956年の『空の大怪獣ラドン』では、ラドンの都市破壊が記録映画手法によって描かれた。  「その翼が産み出す衝撃波=ソニックブ

        • 〈日本映画=暗い〉論

           2024年11月8日〈金〉、日本テレビで『トップガン』(1986年)をオンエア。ドラマ(喜怒哀楽)にこだわる日本映画は当時、とかく「暗い」と言われがちだった。だが、トニー・スコット監督の演出には邦画のような湿った感じが一切ない。その「明るさ」はアメリカ映画に共通のイメージでもあった。  日本映画の「暗さ」は、たとえば1985年のお正月映画『ゴジラ』(1984年)に端的に現れている。凶暴なゴジラ復活を謳いつつ、怪獣を哀れみの対象とする『ゴジラ』スタッフ。現代の観客が期待した、

          感覚の世界──小林恒夫の『点と線』(1958年)

           「なによりも僕は戦争映画が好きだから、戦争をベースにしながらSF的な世界観を描く、この『地球防衛軍』のスタイルにこそ表現者として憧れを感じるね」(川北紘一/『別冊映画秘宝 東宝特撮総進撃』)。  川北紘一が憧れた『地球防衛軍』(1957年)のスタイルとは、「現実の兵器と架空の兵器とが渾然一体となってスクリーンに登場し、空想性の強い光線やメカに強烈なリアリティが宿る」というものだった。「架空の兵器」しか出てこない後半部分に対しては「ちょっと退屈かなぁ」。「SF的な世界観」が強

          感覚の世界──小林恒夫の『点と線』(1958年)

          『忘れえぬ慕情』(1956年)と松竹スペクタクル特撮の世界

           「物語は長崎の造船所に技師として来日しているフランス人マルサック、彼のあとを追って日本にきた典型的なパリ女フランソワーズ、それに両親の死後も女手ひとつで呉服屋を営む日本娘乃里子の三者がからみあう天然色のラブ・ストーリー。シアンピ監督は日本と西欧の対比を心理的な面で追及、あわせて日本滞在五ヵ月間に感じたものを一切とりいれて、ネオリアリズムの手法で一九五六年の日本を表現してみたいと意気ごんでいる」(毎日新聞夕刊1956年4月10日〈火〉)。  1956年の日仏合作メロドラマ『忘

          『忘れえぬ慕情』(1956年)と松竹スペクタクル特撮の世界

          角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開

           角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開。  「ガメラとギャオスの戦いを三度描き、舞台も陸、海、空とさまざまに移り変わり、内容的にも濃く、ガメラシリーズの最高傑作との声も高い」(『大特撮 日本特撮映画史』)。  「ガメラシリーズの最高傑作」とも言われる本作は、日本映画輸出振興協会からの融資で作られた。製作費は1億9千万円で当時の怪獣映画では最高額。ただし大映の場合、大半は社員のボーナス資金に使われ、現場にはほとんど回って来な

          角川シネマコレクションで『大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス』(1967年)を2週間限定公開

          映画監督山根成之

           後期必殺の演出を手がけた山根成之監督は、日活の鈴木清順監督の「影響」を受けているという。自称「日本のヒッチコック」というだけあって、山根演出は技巧にこだわったものとなっている。デビュー作は1968年の『復讐の歌が聞える』。貞永方久との共同監督で、山根はドラマパートを担当。『復讐の歌が聞える』は特撮映画よろしく、ドラマパートと殺人パートに分かれて撮影が行なわれた。原作と脚本が石原慎太郎ということで、日活アクションのテイストも漂う。山根監督は1970年代には松竹青春映画の旗手と

          映画監督山根成之

          日活特撮小史

           「水の抵抗のあるモーターボートの、しかも小型エンジンでこれだけの馬力が出せるということは驚くべきことなんだよ」(『星と俺とできめたんだ』・1965年)。  水の抵抗を受けながら、猛スピードで進むモーターボート。そのイメージは「五社協定」の抵抗に遭っていた新生日活の姿に重なる。  「当時、日活撮影所は、既存映画会社による「五社協定」の抵抗に遭いながら、他の映画各社から監督、スタッフ、俳優を集めて製作を開始していた」(松本平/『日活昭和青春記』)。  1942年。日活は戦時企業

          日活特撮小史

          末期必殺論(その2)

           「画面で見ると爽快感がない。猫がねずみをいたぶっているように見えるのである。どんな極悪人でも、そのシーンになると、なぜかかわいそうになってしまう」(山内久司/「仕置人始末」)。  『必殺仕置人』(1973年)での「生かさず殺さず、死以上の苦しみを与える」という新趣向は、「爽快感がない」という理由で変更となった。末期必殺の主水イビリも、そのシーンになると何故か可哀想になってしまう。スタッフが主水を「いたぶっているように見えるのである」。  「主水の降格もついに百軒長屋の出張番

          末期必殺論(その2)

          末期必殺論

          『必殺ワイド・新春 久しぶり! 主水、夢の初仕事 悪人チェック!!』(1988年)  必殺ワイド第10弾。『剣劇人』で「古い」と言われ、『大老殺し』で「いるところ」がなくなった仕事人・中村主水。今作ではとうとう、俳優・藤田まことが演じる架空のキャラクターということになってしまう。  この時期の必殺は作り手が主水を明らかに扱いかねており、幻の企画『TANTAN狸御殿に恋が散る』では、主水は完全な脇役となっていた。どこにも「いるところ」がない男は、果たしてどこへ向かうのか?

          金田啓治特撮監督論

           日活映画における「特殊技術」は通常、「合成」のことを指す。日活ではこの「合成」を金田啓治が手がけていた。金田の「特殊技術」について、竹内博はこう説明している。  「いわゆる大じかけの特撮映画と違い、一本の映画の中にさりげなく数カット使用されているケースが多い。例えば窓外の月を合成で入れこんだり、セット内に建てた一階家を作画合成で二階家に見せたりとか」(『元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年』)。  金田の「合成」で多いのは、離れた場所にいるヒトやモノをひとつのフレームに収め

          金田啓治特撮監督論

          日米安保と怪獣映画

           「ちなみにどちらの映画でも、自衛隊がゴジラによって壊滅させられたというのに、在日米軍は全く登場しない。日米安保条約はどうなったのかということも注目されるべきであろう」(佐藤健志/『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)。  不在の「在日米軍」に言及した佐藤健志のイデオロギー論は、同時代の作り手に少なからず「影響」を与えた。日本が怪獣に襲われた時、同盟国であるアメリカはどう動くのか? 2023年の『ゴジラ-1.0』では、アメリカが「軍事的関与」を行えない中、民間人がゴジラ対策に

          日米安保と怪獣映画

          日活アクションと必殺 

          『新必殺仕事人』第26話「主水 仮病休みする」  鯉盗っ人の罪を秀になすりつけようとする島本。勇次が糸を投げるカットを横からのアングルで見せるのは珍しい。本エピソードでは南町奉行所や中村家のセットも横構図で撮られている。監督は日活出身の松尾昭典。  「裕次郎の魅力は、すでにくり返し書いたように、年と共に役柄の設定が変ったとはいえ、つねに彼自身の自己を脅かすものに対して闘う姿勢にあるのだ」(渡辺武信/『日活アクションの華麗な世界』)。  島本にハメられ、下手人に仕立てられた秀

          日活アクションと必殺 

          『大巨獣ガッパ』(1967年)

           1978年。TBSの『日曜★特バン 輝け!テレビ怪獣SF映画25年』で『大巨獣ガッパ』(1967年)のフッテージが紹介された。ガッパの熱海襲撃場面に強烈な衝撃を受けたことを今でも憶えている。その翌年、地元のテレビ局が第3次怪獣ブームに合わせて怪獣映画を特集。その中の1本として『ガッパ』がオンエアされた。全篇に漂う暗黒映画のようなムード。他社の怪獣映画とは違う何かを感じさせた。  「昭和三五年(一九六〇年)ごろ、小林旭の〈渡り鳥〉または〈流れ者〉のあらわれるところに、必ず、

          『大巨獣ガッパ』(1967年)

          『宇宙戦艦ヤマト』と『大日本帝国』

           東映シアターオンラインで『十一人の賊軍』公開記念として『大日本帝国』(1982年)を特別配信。監督は劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(1977年)の舛田利雄。  「『宇宙戦艦ヤマト』は「日本の立場を枢軸国側から連合国側に移した第二次大戦の物語」なのだ」(佐藤健志/『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』)。  終末論の流行を背景に、よみうりテレビで放送されたSFアニメ『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)。第二次大戦を模したその物語は、「ヤマト」=「連合国側」という図式に沿って組み立てられて

          『宇宙戦艦ヤマト』と『大日本帝国』