見出し画像

人の心を開きたい―抱き続けた夢をかなえるために

スバキリ一味には、「一流企業」と呼ばれる会社で働きながら、副業として在籍しているメンバーもいる。ライターとして所属する安田幸代さんは、誰もが知る超大手企業、サントリーホールディングス株式会社の社員だ。
 
「サントリーは、働いている人たちがとってもいい。そして“やってみなはれ”の社風も好きですね。アイデアをポンポン出せる風土で、誰もバカにしない。営業とかメチャクチャやってますよ(笑)。商品も好きですし、辞める気はないですね」と安田さんは言う。
 
そんないい環境で仕事をできているのに、どうして副業?一昔前なら、そんな疑問を抱く人が大半だったかもしれない。しかし彼女はきっぱりと答える。
 
「会社は、定年したら終わりじゃないですか。だから、会社と家だけだと不安。副業はサードプレイス的な感じですね」
 
そんな思いで参加したスバキリ一味だったが、そこでの経験や出会いは、彼女を大きく前進させることとなった。「本当にやりたいことをやる」に向けて一歩を踏み出す勇気を持てるようになったのだ。
 
 

夢と現実のはざまで


 
安田さんは「高野山にほど近い、山と畑しかない田舎」の和歌山県橋本市生まれ。高校生の頃から、都会での一人暮らしを夢見ていたそうだ。
 
そんな高校生の頃、一冊の本と出会った。大平 健さんの【やさしさの精神病理】である。

「家族や友人と“うわべだけの付き合い”だと感じることがあって、もやもやしていたのですが、そのときにこの本を読んで、霧が晴れた感じがしたんです」
 
精神科医の大平さんが、1対1で患者さんに向き合って心に入っていくと、症状がどんどん快方へ向かっていく様子に感激し、「これがしたい!」と思ったのだそう。
 
臨床心理士になることを夢見て、人間科学部のある大学を受験するが、センター試験で失敗。前期で第一希望の学校に落ちてしまったものの、「後期で別の大学の経済学部にひっかかり、浪人するのが嫌になって」入学。
 
しかし、結局4年間経済学には興味を持てず、勉強は一切しないで、競技ダンス部での活動に明け暮れた。

競技ダンス部引退の“フィナーレ”の日に仲間たちと


「夢は三食昼寝付き」―そんな気持ちのまま、超氷河期の就職活動では、とにかくどこかに就職を!と身近に感じていた食品メーカーをかたっぱしから受けた。グリコ・森永・ブルボン・ロッテ・味の素・カゴメ…必死になって会社ごとに面接の内容を考え、サントリーからの内定をもらうことができた。
 
 

このままでいいのだろうか、というひっかかり


 
入社後は、営業企画チームや役員秘書の仕事に従事。周りの人たちに恵まれ、会社の仕事としては楽しかった。しかし、この仕事内容をずっとやりたいのかというと、そうではなかった
 
高校生までは、自分の将来のことをいろいろ考えていたのに、大学、就職と自分のキャリアについてじっくり考えず、勢いできてしまったことにずっと引っかかりがあった。「やりたいことをやっていない。このままでいいのだろうか?」という思いを拭いきれないでいた。大学院まで行かなくても、臨床心理士と近いカウンセリングを、産業の場にしぼってできる産業カウンセラーという資格がある―大学受験に失敗したときに調べて、分かっているというのに…。
 
サントリーにはキャリアサポート室という部署があり、そこにはキャリアコンサルタントや産業カウンセラーが在籍していた。当時、秘書をやっていて特に楽しいと感じたのは、1対1でその人の要望をくみ取るという要素。「この人のためにどうしてあげよう」と考えるのが好きな自分にとって、キャリア支援の仕事は向いているように改めて感じていた。そこで安田さんは、産業カウンセラーの資格を取ってアピールすれば、いつかキャリアサポート室に行けるのではないかという地図を描く。
 
 
26歳で結婚、出産。産休・育休をとって時間ができたタイミングで「勉強できるのは今しかない」と、育休を最大の3年間取得し、産業カウンセラーの資格取得を目指すことに。理想だと思っていた「三食昼寝付き」は、実際にやってみると全く楽しくなかったことも、この決断の後押しをした。
 
2歳になった娘を一時保育に預けたり母親に見てもらったりして、週1回、7カ月間学校に通って勉強をして、見事試験に合格。
 
しかし、そこですぐに希望の部署に行けるわけではないのが、会社員というものだ。復職したのち、総務部門に異動。時短勤務に適した、働きやすい部署で、経費削減・税金納付・総務のコンシェルジュ等の仕事を受け持った。

育児と家事と仕事の両立で慌ただしい毎日を過ごし、自分のキャリアについて考える時間はなかった。
 
 

キャリアコンサルタントを取得


 
娘が小学3年生になり、お留守番もできるようになった頃、再び自分のキャリアについて考えるようになる。「産業カウンセラーだけでは弱いな」と思った安田さんは、キャリアコンサルタントが国家資格になるというタイミングだったこともあり、再び資格取得のために勉強を始めた。
 
会社に通いながら、独学で学び、見事合格。会社にアピールをしようかと思っていた矢先に役員秘書室へ再度異動になった。
 
秘書の仕事は好きだから嬉しい、という気持ちが半分、やはり資格を活かせる部署に行けないのが残念な気持ちが半分だったという。
 
「会社のなかでは、キャリアサポート室や、シニア開発室へ行くのが目標。それらの部署は東京にあるので、娘が2024年、希望している東京の大学に合格したら、一緒に東京進出するのが夢ですね」と安田さんは言う。

仕事としてキャリコンや産業カウンセラーとしての知識を使うことはなかったとしても、何か活動を…と始めたのが「キャリコンマスターとキャリコンママ」という取り組みだった。
 
キャリコンの資格を持っていて、すでに積極的に副業をはじめていた先輩と、月1回ほど、終業後、社内でお酒とおつまみを準備して(さすがサントリー!)、いろいろな部署の人たちの、キャリアに関する話を聞くということをはじめた。

「ママになりたいというのは、私の5番目くらいの夢だったんです。役員さんにスナックに連れていってもらったとき、人気のママの聞く姿勢は本当に素晴らしいと感動したんです」

「キャリコンマスターとキャリコンママ」はコロナ前まで続いた

 
お酒のある場が好き、と安田さんは言う。酔っぱらって楽しくなって、前向きな話をしたり聞いたりするのが好きなのだ。いいお酒は、人の心を開く潤滑油となる。「家ではほんのちょっとしか飲まない」という彼女にとって、お酒は人とのコミュニケーションの手段なのだ。
 
安田さんは、高校生の頃からずっと持ち続けている「人の心を開きたい」という思いを、「キャリア」や「お酒の場」という切り口で、少しずつかたちにしていったのだ。
 

スバキリ一味との出会い


 
役員秘書としてのキャリアも長くなってきた2020年、安田さんは小西さんが講師をつとめる「お金の料理教室 オンライン講座」に参加する。残業をして働くのは好きではない、不労所得に憧れる、副業にも興味がある…そのような思いから、お金の勉強をしようと思ったのだそうだ。

現在のスバキリ一味には、この「お金の料理教室」出身者多数


お金の料理教室全7回の終了後、その延長線で企画された「スバキリビジネスコミュニティ」にも引き続き参加を決めた安田さんは、小西さんが始めたこの「スバキリ一味」でのライター募集に手を挙げた。
 
仕事としてライティングをしてきたわけではない。でも書くことは全く苦にならないし、一対一で話を聞くのも好き。何よりスバキリ一味には楽しそうな人たちが集まっている、とチャレンジしたくなったのだ。
 
まだ今のような研修制度も整う前にスバキリ一味に加入した安田さんは、かなりスパルタに現場に送り込まれた。ライティング未経験にもかかわらず、数回先輩ライターの取材に同席して、練習として書いたものを添削してもらったあと、さっそく小西さんが行うインタビューに同席して案件のライティング。これも数回だけで、すぐにインタビューとライティングを完全に任された。
 
「サントリーなんて、1年くらい先輩についてOJTをした後に、ようやく大きいことをさせてもらえるという感じだったから、こんなにすぐ案件を任されるなんて驚きました。最初は全く自信を持てなかったんです。でも…やったらやったで、何となくかたちってできていくんだなって、はじめて実感しました」
 
スバキリ一味の古くからいるメンバーたちの、「前向きにどんどんやっていくパワー」に圧倒されながら、「いい意味で、あまり深く考えすぎずに行動に移していくことの大切さ」をますます感じるようにもなっていた。

特に、初期メンバーののましほさんとちびぃさんのあふれるエネルギーには、多大なる影響を受けたという

安田さんの、自称「慎重すぎる性格」が、環境によって変わりはじめたのだ。
  

やらないと、進まない


 
安田さんは、「何かやらないと進まない」と自分の本当にやりたいことも見つめ直し、一歩を踏み出すことにした。
 
以前取得していた終活アドバイザーの資格取得者のサークルのメンバーに、自分から「せっかくサークルがあるんだから、何かやりましょう!」と連絡をとってみた。かたちだけの、何も活動していないサークルだったのだ。
 
「月1回のミーティングの他に、ゴルフにいったり飲み会も開催したりしました。そのメンバーで今度の10月と12月に公民館で講座をすることになったんです」

終活アドバイザーたちの「阪神南サークル」メンバーたちと

この終活アドバイザーの他の地区のサークルのつながりで、一晩バーを借りて、「幸代ママ 一夜限りのキャリアコンサルタントBar」も最近開催した。

団長の小西さんも忙しいなか駆け付けてくれた

スバキリ一味がプロデュースしたクラウドファンディングで知った、キャリアコンサルタントと一般の人が気軽につながれるWEBサイト「キャリア・オアシス」にも登録した。

本職では、今年の4月に、大阪・関西万博準備室に異動。慣れない仕事に奮闘しつつも、一歩ずつ、「本当にやりたいこと」に向けて、会社の枠にとどまらず、自分の足で踏みだしている。

「本当にやりたいこと」をかなえる手段
 


今の安田さんの理想は、本業での収入で生活を安定させ、スバキリ一味で得た報酬を元手として、自分が本当にやりたい「女性の働き方や、終活を含めたセカンドキャリアについての相談に乗る」という活動を広げていくこと。どちらも、自分自身や身内のこととして経験し、心から多くの人にしっかりと考えてほしいと思うことなのだそうだ。
 
どんな資格であっても、取得するよりも、それを活用することのほうがうんと難しい。教科書に沿って勉強して、知識を身に着ければ合格点をもらえる「資格」と違って、それを活用するには、自分で方向性を探って道を切り開いていかなければならないのだ。

もしも、今から20年と少し前、志望校に合格し、そのまま専門性の高い臨床心理士になっていたら?―それはそれで、安田さんは多くの悩める人を救えていただろう。
 
でも、会社員として働き、社会でいろいろな人に出会って、たくさんのことを感じたからこそ、救える人もきっといる。病室で「先生」と呼ばれる人に救われる人もいれば、お酒の席で「ママ」と呼ばれる人に救われる人もいる。かたちは違っても、人の心に入り、その人をよい方向へといざなうことは同じだ。
 
きっと、今までの道を歩いてきた安田さんにしかできないアドバイスがある。そして、彼女はこれからも「本当にやりたいこと」に向かって歩き続けるのだろう。

取材・執筆―石原智子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?