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ピカソ無双

『ミステリアス・ピカソ 天才の秘密』という映画があって、これはamazonプライムに入っている人なら追加料金なしで今すぐにでも見られる。

死んでから誰かが作ったドキュメンタリーではない。現役バリバリのピカソが、水森亜土ちゃんのごとく、画用紙の後ろから浸透性の高いインクで絵を描く、その絵をリアルタイムやタイムラプスで見せてくれる作品である。監督は『恐怖の報酬』のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー、編集は『かくも長き不在』の監督としても知られるアンリ・コルピ、音楽は『ローマの休日』のジョルジュ・オーリックという弩級の名人揃いの1957年作。もう読むのはやめて今すぐ見た方がいい。

線がいい。色がいい。ピカソは何が良いんですか?と思ってる人はこれを見れば分かる。分からなかったら、「残念でした」としか言えない。本人が出て喋るところもあるけれど、基本的には絵が出来ていく過程を音楽に乗せて見せるだけだ。しかし飽きない。これを肴に何杯でも酒が飲める。

80分くらいのこの映画、途中までスタンダード・サイズ(縦横比1:1.37)なのだが、最後にピカソが「もう、いつもアトリエで描いてるみたいにデカい油絵描きたいな」と言い出して(それも、いかにも台本に書かれた通りの小芝居なのだが)、急に画面がシネスコサイズ(1:2.35くらい)に拡がる。『宇宙戦艦ヤマト』世代なら「ワープディメンション方式」と言えば伝わるだろう。SF映画好きならダグラス・トランブルの『ブレインストーム』である。

そこで描き出すのが上の写真の「ラ・ガループの海水浴場」(その1)という作品であって、この完成品は東京・竹橋の国立近代美術館に常設されている。その完成に至るまでがもう、とんでもない。描き変え、描き足し、消し、他に描いた絵を貼り、剥がし……ピカソは途中で「どんどん悪くなる」なんてうそぶくのだが、本心ではそんなこと思ってない。とにかく「こうも出来る、これならどうだ、いや、こっちの方がいいかな……」と、いかに自分が天才であるかをコレでもかと見せつける。そしてその局面、局面が、全て「ピカソ」作品として完成されているのだ。絵が変わるたびに「はっ」と息が漏れてしまうほどの官能がある。最終的に完成されたあの絵の下にこれほどのバリエーションが塗り込められていると、誰が想像出来るだろう。そして、その堆積のレイヤーはこの映画の中でしか見ることができない。

最後にピカソは画面いっぱいに自分のサインを描く。このフィルムにしか残っていない絵があることを考えれば、この映画そのものもまた、彼の一つの作品なのだ。

「海水浴場」の中で、僕はいかにもちょいちょいと適当に描いた風な、浜辺に寝そべっている小さな人が気になって仕方がなかった。この人は一体いつ消されてしまうのか、自分の中にサスペンスが生まれていたのだが、途中、見えなくなることはあったけれども、彼は最後まで生き残った。なんだ、ピカソ、分かってんじゃん。


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