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BCC #Day5 手塚治虫アーリーワークス  その2 装丁編

 今日は7月5日……そもそも「ブック・カバー・チャレンジ」なんて言葉をもうみんな覚えてないですよね。コロナの流行の始まりの頃に、みんなが家にいるからってんで、本好きの人がお互いに勧め合おう、ってコンセプトだったと思うんですが。というわけでDAY 5(いつDAY7に行き着くのか……)。DAY4と同じ「手塚治虫アーリーワークス」がお題。まあ、2冊入ったセットですので、お見逃しを。今回は装丁編です。

 ブックデザインは祖父江慎さん。出版業界、デザイナー業界で知らない人はいない、とにかく無茶をする人で(笑)、まあ、今回も凝りに凝ってますね。祖父江節、ここに極まれり。真骨頂。2万円の定価だから出来るとも言えるし、これだけやればそりゃ2万円で売らなきゃ利益が出ないだろ、とも言える。もちろん中身の手塚治虫の漫画に価値のある本ですが、この造本、装丁そのものが、いまや安さが売りのネット印刷に駆逐されつつある、長年培ってきた印刷所の技術、ノウハウ、そしてそれを最大限に活かすデザイナーの能力が結晶した、「新しく生まれた遺跡」とでも言うべきものです。

 まず「手塚治虫新聞漫画集成 マアチャンの日記帳」から行きますね。これ、小口を見ると分かりますが、漫画の作品単位で、その漫画の周辺の地の色を変えてあるんですね。しかしもともと色のついた紙に刷っているわけじゃない。白い紙に色を刷ってるんです(色紙に刷ったら、逆に漫画のヌキの部分に白いインクが必要になっちゃいます……ほとんどの印刷物における「白」は通常、紙の色です。特別な効果を狙う場合にだけ、白いインクを使います)。そして色だけじゃなくて、紙の種類、厚さも漫画によってちょこちょこ変わる。ざらっとした紙、艶々の紙。厚い紙、薄い紙。そこに触覚と視覚(紙によってインクの乗りは変わってきますし、ページのテカり具合、落ち着き具合から受ける印象も違いますよね)の変化、楽しさが生まれるわけですね。大きく分けると、SF的な「火星」ものには光沢のある硬めの紙が使われて、日常的な漫画にはざらっとしたマットな紙が使われてます。

 ただ、これの何が大変かっていうと、本ってまず、紙を何度か折った状態のものを裁断して4ページとか、8ページとか、16ページとかの小冊子状態のものが出来(これが「折丁」)、それらを集積して束ねて一冊の本になる。なので一つの丁は必ず4で割り切れるページ数です。作品と作品の境目で紙を変えようとすると、そこで別の丁が始まるということですから、そこまでが必ず4で割り切れるようにページ構成を考えないといけない。一冊全部同じ紙だったらそんな面倒はありません。けっこうパズルみたいな作業だったはずです。

 それとほとんどの漫画は墨一色ですが(「火星探検隊」だけフルカラー)、後半の「ぐっちゃん」は話によって単色の刷り色が違います。これは連載当時に刷られた色を再現しているということですが、こういうのも面倒くさいですよ。本来、赤で刷るべきところを緑で刷っちゃったなんてことが起こり得るので。それが元々何色だったかなんて、原本を持っている人しか分からないので、仮に間違っても、指摘される恐れは極めて少ないとは思いますが、こういうのは神経を使う(僕も以前はDVDやBlu-rayのジャケットやブックレットなんかを作っていたので、完全に作り手の労苦を想像してしまうんですね)。

 で、さっき言った折丁を束ねるやり方が、この本は「コデックス装」といって、農業でよく使う「寒冷紗(かんれいしゃ)」という布(化学樹脂製です)に、折丁が貼り付けてあるんです。これ、ぱっと見、本の背が付いてない! 背骨がむきだし! 安っぽくね? という印象ですが、これ何がいいかっていうと、本のノド(ページとページの間)がほぼ完全に開けるんです。ハードカバーの分厚い本なんかだと、その部分にまで文章とかビジュアルが入り込んじゃって読みづらい、見づらい、ということがありますが、これだとそれがない。全部しっかり見えちゃいます。まあ短冊の4コマ漫画が1ページに2つずつレイアウトされてるので、ノドが見えないから困るという本ではないんですけどね笑。

 その寒冷紗から透けて見える「TEZUKA OSAMU EARLY WORKS」の文字。これは寒冷紗に内側からプリントしてあるのではなくて、さっきの折丁一つ一つの背の部分に、少しずつ墨でパーツが刷ってあるわけです。それらを束ねた時に初めて文字が浮かび上がってくる仕掛け。僕は1980年代末、日本最初のテレビアニメ『鉄腕アトム』の現存するエピソード全てを収録したレーザーディスク47枚組というものを制作したことがありまして(それは22万円の商品で、実に1500セット売れました。まさにバブルの時代!)、その時に、47枚の背(レーザーディスクというのはLPレコードと同じ直径30cmの円盤で、ジャケットもほぼLPレコードと同じような紙製のものでした)を並べると、アトムの絵が出来る、というのをやったんですね。そのことを思い出して、同じ手塚治虫さんの作品ということもあって、このアイデア、なんだか嬉しかったです。

 表紙は分厚いボール紙(しかも2枚貼り合わせ)。こういう紙って普通のオフセット印刷だとインクがしっかり乗らないので、シルクスクリーンでガッツリ墨が乗ってます。さらにタイトル部分で金の箔押し、タイトルまわりの枠と可愛いアイコンは空押しと、分厚い紙だからこそ出来るこの加工。ここでも触った時の歓びと、見た目の質感にすごく存在感がある。

 さて、もう一冊の「ロマンス島」、こちらはいわゆるハードカバーの作りで、ちゃんと背もあります(背のタイトルは渋い銀箔だ)。

 しかし表紙を触ってみると、背の部分から続く赤いところと、絵の入ってる白い部分の境目に段差がある。これ、まず赤い紙の表紙があって、その周りを白い紙でくるんであるんですね。

 そして、厚手のしっかりした本文用紙に、FMスクリーン印刷という、写真集なんかで使われる、網点の出ない高精細な印刷方式で、墨の濃淡を活かした74年前の手塚さんの原画が見事に再現されてます。白黒なんだから墨一色で刷ればいいだろうと思われるでしょうが、墨の黒とペンのインクの黒の違いが出るように2色のインクが使われてるとの由。もう、ページを一枚一枚切って(そんなことするならもう1セット買わなくちゃいけないけど!)、額の中に入れたくなるくらいのクオリティです。

 この2冊がしっかりした三方背の函に入っております。これ、全部特色かなあ。金の箔押しもいいし、微妙に下が透ける薄さの帯の紙もいい。汚れるとイヤなので、まわりのシュリンク包装は破らずにそのままにしてます(本の出る部分だけカッターで切りましたが、その刃先が中の本を傷つけるのではないかとビクビクしながら)。

 辞書のような大きさと辞書以上の密度を感じさせる重さ(辞書は本文用紙が極めて薄くて軽いですから)。ちょっと前に出た同じ手塚さんの大きな『アドルフに告ぐ』も2万円+税で、あれはあれでその値段を感じさせる重厚さがありましたが、こっちはこっちで、かわいい大きさと装丁にイイものがみっちり詰まっていて、その密度の高さが嬉しい。読み終わった後も、本棚からしょっちゅう取り出しては、眺めたくなる、その重さを手に感じたくなる宝箱ですね。

  



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