空は買うことができない
さてさて。
仙台は土曜日、日曜日、月曜日と、カラッとした晴天が続いていて、空には雲ひとつない。
一昨日の土曜日に大きい仕事の山をひとつ越えて、今日は久しぶりの連休でのんびり。洗濯機を4回も回し、衣類を干しまくり、掛け布団や枕など、思いつくものを手当たり次第に陽に当てた。猫たちも外に解放。お日様さまさまである。
未完の仕事を抱えた日々。あーあ、やっちまったなあと思うことの多い日常。ともあれなんとかこなしていく毎日。
ふと立ち止まる時間が必要だな。今日がその日なんだと思い、10年日記を読み返してみた。そうか。今日はあの人と初めて会った日。エポックな日。あれから8年も経っていた。信じられない思いだ。
時間。今一番欲しいもの。時間は容赦ない。どんどん過ぎ去っていく。
時を止めることができたらな。
そうだ。今日なら、あの記憶を書き留めることができるかな。書いてみよう。
あの記憶。
インドネシアを旅していた時の記憶。ずっとほったらかしにしていた記憶。たいした出来事ではない。もう20年以上前の記憶。
インドネシアのカリマンタン島でのボランティア滞在を終え、大型船に2日間揺られ、停泊したのはインドネシア第2の都市、スラバヤ港だ。荒井由実の「スラバヤ通りの妹へ」にも歌われた街。
(動画の13分頃に該当の歌ができた経緯なんかもユーミンが語っています)
さてここからは列車に乗って、次の目的地に移動しなければならない。
港のコンクリートの車止めに座って、まずは地図を確かめた。駅までの徒歩の道順、今日泊まるロスメン(安宿)、何を食べるか、周囲の見所。『地球の歩き方』はすごいな。誰がどうやって調べて掲載したんだろう。そんなことを考えながら、駅までの道を歩いた。
朧げにしかもう覚えていない。確か、港から駅に向かう舗装されていない埃っぽい道の右側に、アンティークショップがあった。古い白い家だった。道路に面した店のウインドーディスプレイに、あれはあった。
青より青い色。
鳥、花、草の模様。
柔らかそうな手触りを感じさせる洗い晒しの古い木綿生地。一瞬で高価そうな布だと思った。予想通り、これを払ったら日本に帰れなくなる、それくらいの金額が値札に書かれていた。
有り金はたいて買おうかな。
日本に帰るのをやめて、ここ異国で路頭に迷おうか。
自分でも驚くような考えが一瞬頭に浮かんだ。
旅に病んで亡くなった歌人を思い出した。旅先で行方不明になった友人を思い出した。
ふらり。
私は、空を買おうとしていた。
もっと自由に飛べる空が欲しかった。ブルースカイ。その布の青に吸い込まれそうになった。
店のドアに手をかけた。
開かない。店は休みのようで、ウインドウから中を覗き込んでみても誰もいない。入りたくても入れない別の世界。
静まり返った暗いアンティークショップを後にして、そうして私は予定通りに駅にたどり着き、次の目的地に向かう列車に乗った。
あの時、所持金を全て青い布につぎ込んでいたら今の私はいなくて、あの人にもこの人にも、今の仕事に出会うこともなかっただろうか。それは誰にもわからない。
話は変わって、日本に帰ってきてから青い空を買った人のエッセイを読んだ。
その人の場合は、布ではなかった。インドを旅していた時、川で洗濯をしていた女性が指にはめていた指輪を買ったのだ。ブルーの大きな宝石がついた指輪。女性は売らないと頑なに断ったが、彼女は確か日本円で30万円ほどの金額で交渉した。最終的にはその指輪を手に入れることができたそうだ。どうしても欲しかったと。美しい大きな、ラピスラズリ。
ラピスラズリはラテン語のlapis を語源とし、「空」を意味するそうだ。
邪気を取り除き、正しい判断力を高め、最高の幸運を呼び寄せる力があるとされる宝石。ああ、この女性はお金と引き換えに、おそらく誰かから送られた宝石、幸運を手放してしまったのではと心配になった。
私が買おうとした青い布はバティックという伝統工芸品で、別名ジャワ更紗という型染めの布だったことを知った。アンティークは貴重で高価。ユネスコの文化遺産にもなっているそうだ。私が買うものではないな。買ってどうするつもりだったんだろうと思った。
今考えるとほんとどうかしてたし、笑ってしまう。
空は買うことなんてできない。空はそこにあるもの。ただ、仰ぎ見るもの。
空さえあれば、同じ空の下であの人ともこの人とも、つながっていられる。それにいずれみんなこの世を去って、空になる。
さて、これから自転車で海にでも行くかな。藍色の夜空で星でもみよう。
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