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16/1260 日々の共鳴(シンクロ)や予知夢など

毎日投稿として始めたはずが、、、自分との約束を守れないこんな私も愛しいわたしの一つの側面。近況報告も兼ねて書きますー。



日々起きる細やかな共鳴(シンクロ)。今朝はこんな感じでした。

#1  朝6時前。今日の通訳仕事の調整のため部署に連絡。電話で応対してくれた人の名前は、Ayaka.  あら。昨夕からこれで三人目のAyakaだ。違う時間、違う相手との会話でも、それぞれ別人物のAyakaが出てきた。すべてアメリカ在住(2人はポートランド)。日本ではきっとAyakaとう名前が特別珍しくもないのだろうけど、この半日の私のAyaka密度は高かった。

#2  そのすぐ後、今夜のトラウマ関連のミーティングを念頭に、ティクナットハンの詩 『私を本当の名前で呼んでください』 ’Call me by my true names ’の日本語訳のいいのがないか、ネットで探していると、あるブログにたどり着く。そこには、Call me by my true names の素敵な日本語訳と、彼女のパートナーと出会うことを予知する夢の話があった。あ、同じ種類の人だな、とつらつらと読む。

とそのとき。
背後のベッドから 突然

"@X&$?" 

と意味不明なオットの声。
 
寝ぼけているらしい。
また寝入ったようだったのだが、気になって一応
「どうかしたの?」と聞くと、

" I thought you called my name"  「君が僕の名前を呼んだのかと思った」

と彼は言った。あら、クリーンヒットだ。なんというタイミング。

ちなみに私のホームオフィスと後ろのベッドの間には、大きなスクリーンや棚があって、ブログを読んでいたパソコンは絶対見えない。

そして、、、オットは、私が中学生のときに白昼夢で見て以来頭から離れなかったイメージの人と、顔立ちや背格好なども良く似ているのだ。もしかしたら、これを予知夢と捉える人もいるかもしれない。

以上が今朝私に起こった、ささやかなシンクロでした。



ティクナットハン。亡くなった義母の本棚にも何冊かあった。
この詩は、本当に慈悲の心そのものを表していると思う。それはキリストの説く絶対的な愛であるし、IFS用語で言えば、Selfセルフのことだ。




『私を本当の名前で呼んでください』


ティクナットハン 作 池田久子 訳

私が明日発つと言わないで

なぜって いま もうすでにここに着いているから

深く見つめてごらんなさい 私はいつもここにいる

春の小枝の芽になって

新しい巣で囀(さえず)りはじめた

まだ翼の生え揃わない小鳥

花のなかをうごめく青虫

そして石のなかに隠れた宝石となって

私はいまでもここにいる

笑ったり泣いたり

恐れたり喜んだりするために

私の心臓の鼓動は

生きてあるすべてのものの

生と死を刻んでいる

私は川面で変身するかげろう

そして春になると

かげろうを食べにくる小鳥

私は透きとおった池で嬉しそうに泳ぐ蛙

そしてしずかに忍び寄り 蛙をひと飲みにする草蛇

私はウガンダの骨と皮になった子ども

私の脚は細い竹のよう

そして私は武器商人 ウガンダに死の武器を売りに行く

私は一二歳の少女

小さな船の難民で

海賊に襲われて

海に身を投げた少女

そして私は海賊で

まだよく見ることも愛することも知らぬ者

私はこの両腕に大いなる力を持つ権力者

そして私は彼の「血の負債」を払うべく

強制収容所でしずかに死んでゆく者

私の喜びは春のよう

とても温かくて

生きとし生けるもののいのちを花ひらかせる

私の苦しみは涙の川のよう

溢れるように湧いては流れ

四つの海を満たしている

私を本当の名前で呼んでください

すべての叫びとすべての笑い声が

同時にこの耳にとどくように

喜びと悲しみが

ひとつのすがたでこの瞳に映るように

私を本当の名前で呼んでください

私が目ざめ

こころの扉のその奥の

慈悲の扉がひらかれるように



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