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9/1260 祈り(3)一周忌

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【毎日投稿9日目】昨日から今日にかけて、弟の命日。まだ一年、で、もう一年、たったんだなあ。

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昨日の続きを書こうと朝から何度もトライするんですが、やはり今日は気分が乗らず、ごめんなさい。産後の話は明日書きますね。


弟がこの世界からあちら側へ逝ってしまって一年。彼の命日の前日に、懐かしい同級生からFacebookのお友達リクエストをもらった。

嬉しくてさっそく承認ボタンを押して、プロフィールページを見たら、
あれ、弟と同じ誕生日だ… 

もしかして「姉ちゃん、友達を大切にしなよ」ってメッセージ?

ありがとうね。

頻繁にこういうことがある。ただの偶然、ただの解釈と言われれば、それまでだけれど。

日中は在宅でビデオ通訳の仕事なので、noteはその合間に書くようにしている。昨日は、私の出産の経緯話だった。そしたら通訳のメイン案件は、出産現場&私が受けたのと同じ不妊治療について、たっぷり3時間以上関わった。

以前、急に息子の体調が悪くなって祈ったときも、その20分後には、息子と同じ名前のお子さんとご家族の通訳をしていた。日本にいたら別に普通の名前なのだが、アメリカ在住で同じ名前に出会ったことは、その時以外多分ない。(交友関係が狭いのもあるけど)

と思ったが、息子が生まれて、やっと名前を決めた1時間後に、同名の選手がオリンピックで金メダルを取ったんだった。

そういうときは、ああ、神さまが私の祈りを聞いてくださったんだな、と思う。

何年もの間、
「あなたが本当にいらっしゃるのなら、私に分かるようにサインをください、わたしの信仰を強めてください」
としつこく祈っていたから。

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。(ヘブル人への手紙11章)

何回も何回も、ささいなことでも祈るたびにサインを見せてもらって、やっと確信に近い気持ちでいられるようになった。『望んでいて、見えない事実』とは、愛だ。神さまは愛そのものだから。

神は愛です (ヨハネ4:16)


ねえ、こちらとあちらを隔てている見えないベールの向こう側に行っちゃったけど、音楽だったら届くかな。祈りは届くよね。

弟は、愛を知っていたかな。愛は伝わっていたのだろうか。

もっと話を聞きたかったな。話して欲しかったな。

心が静けさを取り戻すと、やっぱり涙が溢れてきて

愛が行き場を探している。


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