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ティール組織に度々ホラクラシーに関する記述がある。

ホラクラシーの提唱者であるブライアン・ロバートソンは、「親子」関係ではなく、「迫害者」「救済者」「犠牲者」から、「挑戦者」「コーチ」「創造者」という関係へと人々を突き動かす自主経営(セルフマネージメント)の力について話すことがある。

ホラクラシーについてはこちらを…

「ホラクラシー」(holacracy)とは、従来の中央集権型・階層型のヒエラルキー組織に相対する新しい組織形態を示す概念で、階級や上司・部下などのヒエラルキーがいっさい存在しない、真にフラットな組織管理体制を表します。ホラクラシーの下では、意思決定機能が組織全体に拡張・分散され、組織を構成する個人には役職ではなく、各チームでの役割が与えられます。細分化されたチームに、それぞれ最適な意思決定・実行を行わせることで、組織を自律的・自走的に統治していくシステム——それがホラクラシーです。
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自分はよく高圧的とか威圧的といわれます。恐らく議論をしているときやSlackなどでのテキストなどにそう言った傾向があるというか、その様な要素があるのだと思います。特に誰かに何かをしてほしいとか、それに対する期待感の高さと評価の厳しさとか色々あるかもしれません。自分が単に伝える力が足りないだけだったケースもあったでしょう。結論的に高圧的となります。

こういった事が起こっていた頃は自分はまだマネージャーでも役員でもなく、ただのエンジニアでした。それがマネージャーや役員に突っかかってくるんだから怖いですよね(笑)

相手にとって高圧的なアウトプットになる理由もなんとなくわかってきていて、ホラクラシー化をそもそも望んでいない人たちが少なからずいて、そういった人たちは組織やチームの最適化などにも関心が低く、いろんな意味で目標設定が違うのです。という要素が1つありそうです。

欧米などの優れたエンジニアなどが凄く秀でた技術力をもっているので組織やチームに関してケアせずに仕事をしているか?というとそんな事はないと思いますが、みんな自分の出来ることさえしていれば周りが忖度してくれていい具合に仕事が回って自分もチームも評価されていく。イベント運営の裏方の仕事を知らずにイベントを企画すれば上手く回ると思うような状態に似てますね。チームが上手く回って仕事も上手く回っているという状態は自然発生しているのではなく、誰かが作っている可能性が高く、実際に良いチームというものは良いチームを作りたいという人たちによって作られています。

自分はうっすらそんな意識を持ちながら、誰のコミットが誰にどういった影響があるのか?とか、将来誰かがチームに新たに合流したときに問題にならないようなコミットや行動なのか?もしくは習慣なのか?とかをとても大事にしていました。一部の人に

それって文化を作ってるんですよね

って言われたこともありました。まぁ、なんでもいいです(笑) そうして時に「迫害者」であり、時に「もがく者」であった自分が役員にならないか?という誘いを受けました。なかなかそんなことを誘っていただける機会なんてないので一瞬の悩みはありつつお請けしたのが今になりますが、そこから自分は徐々に口数が少なくなっていきました。理由はよくわからないのですが、いつだったかけんすうさんが言っていた「期待するから悪い」みたいなのが印象に残っててそれなんじゃないかと。

自分は最高のチームを作りたいからみんなも最高になりなよ

みたいなことから来ていたのかもなと。みんなが最高のチームを望んでいたかどうかもわからないままにです(笑) 最高のチームって何をもって最高っていえるの?みたいなとこと、それになることでどう最高になるの?といったところ。最高になることのメリットなどは自分は似た経験が過去の職場であったので、こういった効果があり業務改善に繋がるといった話はできました。しかし、業務改善がチームメンバーにどんなメリットを与えるのか?というところのインセンティブの説明が足りなかった。結局、お金というインセンティブが効果的(自分も含めて)ではあるのですが、自分のコミットがチームや組織に認められて評価されるという承認欲求を満たすというインセンティブと、それにより風呂敷効果的にチームメンバーへ与えるポジティブな影響などがどうやらメンバーには、特にチーム貢献といったところに関してはなかなか認知できないという状況がありました。

気がつけば何人かの人たちが

ときさんはとても優秀で仕事が出来るけど高圧的

という置き言葉を残して離れていってしまいました。しかし気がつけば役員になってから役員陣の中での発言や思想の共有に注意しながら一年が過ぎ、会社が今まで見過ごしていたリスクを見直して事業転換したりとか、概ね想定内の(組織としての)体質に近づきつつあるなと思っています。そのために誰よりも自分が変わって「挑戦者」となり、後発のメンバーのための道作りをせねばならないという状況がありました。チームメンバーが自分らしく働ける会社にするために、まず自分が変わるという選択をしました。

また、挑戦は自分だけのためにはなかなかモチベーションが保てないことを知りました。自分のwillが達成されることがチームのメリットにもなるといった副次的な効果を望んでいたりします。今では自分のwillが利己的ではないと言うことをメンバー・役員陣がよく知ってくれています。ありがたいです。こんな自分を生かしていただけて感謝しかないです。

逆に自分のためだけになるとみんなから反対されたり不信感を抱かれたりします。いや、自分のためだけだと思われることがデメリットです。チームメリットをちゃんと言語化できずにいると同じことが起こります。そして自分にもそれは起こっていました。ますます「挑戦者」「もがく者」の深みにハマってしまいます。チームメリットを言語化せずに挑戦する人は「迫害者」と認識されやすいです。ホラクラシーなチームではセルフマネージメントが前提なので、言語化もセルフマネージメントに含まれているのではないかと思いました。

今自分が組織で行ってきた・いることはホラクラシー化だと思います。小泉さんが「痛みを伴う改革」とむかし表現してましたね。勿論、無痛ではありません。自分やメンバーを信じて進めるしかないです。僕が作った道を通るメンバーの痛みや苦しみは出来るだけ救済します。「挑戦者」なのか「救済者」なのか、失敗すれば「破壊者」になります。

みたいなことを書かないと不安になるんだろな。何が不安なんだろ。ま、いいや。そんじゃまた(*・ω・)ノ

Freelance Cloud Architect/Consultant @ 時藤屋 https://tokifu.jp/