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あなたの人生が『進化の法則』に反していても大丈夫。

注意

※この記事はなんの専門家でも無い、趣味としてSF小説を創作している一般人が書いています。
※科学的に正確な記述を心がけていますが、作者の無知・勘違い等でまちがいが含まれる可能性も大いにあります。
※今回は文体を「です・ます」調にしてます。

この記事のテーマ

前回『ゴリラとチンパンジーとヒトの性』という記事を書いたのですが。

この記事は特にそうだけど、私は《生物進化》が大好きなので、基本的にnoteにはそれについてばかり書いてます。創作してるSF小説も生物進化が大きなテーマで、自分が生物進化の細々したトピックについてくわしく調べるために書いてるようなものです。

しかし、そうなると、まるで私が誰でも『進化の法則』に従うべき、みたいに考えていると思われるかもしれません。でも、それは違うということを書きたいと思います。

進化とは何か

進化生物学では《適応度》というものを重視します。

そもそも《進化》とは何かと言うと、たとえば、ある生物の種を考えたときに、

  • その種の個体にはさまざまな遺伝的多様性が存在する。これは遺伝子多型というものやエピゲノム的な要素によって実現する。
    ※遺伝子多型やエピゲノムが何かを説明するとどんどん長くなるので割愛します。

  • 遺伝的多様性によって個体に性質(能力・機能)の差が生まれ、生存環境によってその性質が生存に有利になるか、不利になるかが出てくる。また繁殖に関する性質は異性を獲得する能力の差につながる。

  • より生存に適した性質を持ち、より異性に好まれる性質を持った個体はそうでない個体よりも自分の子孫を多く持つことができる。

  • 結果的にその種の全体として子孫を多く作った個体の性質(を形作る遺伝子)が増えていくと、元の種とは違った種へと変化したことになる。その変化を《進化》という。

  • このような進化が食べる・食べられるといった他種との関係を含む自然環境によって引きおこされることを《自然淘汰》と呼び、同種のオスとメスのかけひきによって引きおこされることを《性淘汰》と呼ぶ。

つまり、進化という概念はもともと『同種の個体には生存と繁殖に有利・不利の差を生む性質の多様性がある』ことを前提にしています。

生存と繁殖の有利・不利の差を調べるスケールとして研究者たちは《適応度》というものを使います。
適応度は上のウィキペディアにあるように、『ある個体がどれだけ自分の子孫を残したか』を考えます。
《包括適応度》はこれを遺伝子単位で考えるもので、自分と別の個体がどれだけ遺伝子を共有しているかを考え、自分の子だけじゃなくて自分の甥・姪にも《適応度》を考えるというものです。

生物個体は種の進化について何かする必要は無い

まとめると、生物進化というものを学問的に調べるには《適応度》というスケールが無いと何もわからないので、それを基準にしているということです。

《進化》も《適応度》も、あくまでも学問のツールとしての概念であって、『進化することが素晴らしい』とか、『適応度が高い個体が良い』とか、そういう価値観はこの学問分野にはありません。
科学は世界を知ることが目標で、知ること以外に『良い』ことは何も無いです。

なので、普通に生きている人々が自分の人生において『人類が進化するように』何かを選択したり、『適応度が上がるように』行動する、といったことには意味がありません。
そもそも、そんなことを考えて生きてる人なんていませんよね?

人は誰でも、自分の人生について『幸せになりたい、楽して生きていたい』くらいのことしか考えていないはずです。
もしかしたらあなたは世界平和、日本の国体維持、会社の業績、家族の将来などについて考えているかもしれませんが、そういうことも結局は『幸せになりたい、楽して生きていたい』という欲望の別の形に過ぎません。(米津玄師のこの歌詞はマジで神ってことですね。)

もしあなたが結婚したいとか、子供が欲しいとか、そういうことを考えているとしたら、それはまあ、生物的本能だから、しょうがない。
でも、別に進化の法則によって生物個体が『子孫を残さなければならない』などと決まっているわけでは無いので、結果的に子孫を残せなかったとしても、それはしょうがないんです。

ヒトも生物種の1つなので、個体の性質に多様性があり、生存と繁殖に有利・不利の差があります。それはしょうがないです。
ヒトには意識があり、脳の前頭前野によって自分の状況を考える機能やシミュレーションする機能があるので、自分の有利・不利について色々と考えてしまいます。それもしょうがないです。
そのような脳の機能があるので、ヒトは自分の状況をなんとかしようと努力するのだと言われています。だから努力したいならそうすれば良いですし、努力なんてしたくないならそうすれば良いです。個体差があるので、どうしようとあなたの勝手です。

ここまで書いて思ったのは、最近の風潮として「多様性を大事にしよう」って言ってるけど、多様性を大事にするっていうのは「個体の生存と繁殖には有利・不利の差があることを認めよう」ってこととセットにしなきゃダメなんじゃないかってことですね。

人生が生まれつきの性質の差で有利・不利が決まるのなら、「機会の平等」とか「結果の平等」という概念をどうするかという問題も出てくるかと思いますが、このような知見が広まるにつれてゆっくりと変わっていくんじゃないでしょうか。私はジャレド・ダイアモンドとスティーブン・ピンカーも好きなので歴史的に見て人間社会はだんだん良くなってきてると考えるし、これからもそれが継続することを願ってます。
それから、上記のようなことを前提にすると「できる人」をことさら持ち上げ「できない人」を否定したり差別することも無意味なので、減っていくと良いなあと思っています。(称賛しまくる必要は無いけど、できる人がのびのびと力を発揮できることも同じように大事。)
誰だって手持ちのカードで勝負するしかないけど、ゲームは全員で楽しむ気持ちが無いと、誰も楽しめなくなるものじゃないですか?

私は生物進化が大好きなので、多様性は大事だし、個体の生存と繁殖には有利・不利の差があることを認めてます。
でも自分が生存と繁殖に不利な個体だったとしても、それは別にどうってことは無いです。
なぜなら、生物個体が種の進化について心配したり行動したりする必要なんて無いからです。個体はただ自分自身を必死に生きれば良いんです。
私はただ、趣味として進化の法則を調べるのが好きなだけだし、自分の人生については、ただ『幸せになりたい、楽して生きていたい』

追記:気候変動問題について

個体が種の行方について考える必要が無いなら、気候変動問題に対応する必要も無いのでは?と思いました?
実は気候変動問題は、人間の『幸せになりたい、楽して生きていたい』に直結してるんですよ。
まあ、あなたがもう若くなくて、子供も姪も甥もいないなら、関係ないかもですね。
関係ある人、心配な人は頑張ろう。

タイトル画像:"Illustration of a person who wants to be happy and live comfortably" by Stable Diffusion Online

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