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1000日チャレンジ(3):何か変わったか?


二週間目

無事、二週間目を終えた。意外と続いている。三日坊主の予想を大きく外れ、14日も続いた。自己肯定感バク上がりである。

何か変わったか

ゴールというか、目的としては『脳をクリエイティブ』にすることである。
レイ・ブラッドベリ先生曰く「1000日やればクリエイティブになるYO」とのことなので、続けているわけだ。

確かに、変化を感じている。
確かに、アイデアが増えた。

小説のアイデアだ。
エッセイで知った単語や社会の話と、短編で得たオチの付け方、詩で感じた情緒がうまいこと混ぜ合って「こんな話はどうだろう」とか「こういう展開ならどうだろう」と色々とアイデアが出てくる。

問題は


問題は小説を書く予定がないことだ。

たしかにレイ・アヤナミベリ先生はクリエイティブになるといったが、
何のクリエイティブとは言っていない。
正直始める前から薄々気づいていたが、このクリエイティブは文学的なクリエイティブのことだったのだろう。

そりゃそうだ。
素振り1000回でサッカーがうまくなるわけないし、天ぷら揚げる師匠を横で見て寿司をうまく握れるわけがない。

じゃあ、何のクリエイティブが欲しかったのか。
仕事に関すること、子どもとの遊び時間、家事、挙げ始めたらきりがないが、今のところ、短編「檸檬」の別ルートの妄想アイデアなどが活かせるものじゃないのは確かだ。

ほしいものは

たしかにBlenderでオリジナルガンプラパーツ作ってみたいし、小説かけるようになりたくないわけじゃない。しかし、こういったtheクリエイティブ力が欲しいわけじゃないのだ。

自分がほしいものは「柔軟性」かもしれない。
日々迫りくる障壁をうまいことやりすごす力がほしいのだ。
スマホゲームの黎明期に流行った、走りながら障害物を左右に避けるゲームが如く、日々、様々な問題が降って湧いてくる。子は何も予告なしに風邪を引くし、妻は階段で転んで怪我をする。家計簿をつけているのに相変わらず僕の財布の紐はゆるゆるだし、社長に送った提案メールは返事が返ってこない。ゴンチャに並ぶ勇気はない。
そんな日々を「まぁ、なんとかなるか」と思いながら布団に入れる胆力がほしい。

はたしてこの1000日チャレンジで、人生に対する柔軟剤は手に入るだろうか。


幸福度は上がったかもしれない

ただ、なんとなくだが、日々の幸福度は上がった気がする。
僕は人と話すのが苦手だが、"人の話"を聞くのは嫌いじゃない。まとめブログを過剰摂取してきた人間もどきなので、人に話せるような人生を過ごしていないが、面白おかしい他人の人生話に飢えている。
この飢えを、小説と詩が潤してくれる。

また、毎日会社と通勤路と自宅のソファに座って見える景色とアホみたいなyoutubeのショート動画ばかり目に入ってくるので、1000日チャレンジで読む本の中の風景が、日々狭まっていく自分の視野の、外側にあるものを教えてくれる。

車であれば側面すべてにこすり傷をつけているような注意力のない一日だが、本を読んでから終えるとほんの少しだけ、前向きに寝られる。気がする。

だから、もう少し続けようと思う。

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