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会って、話す。

当たり前のように人と会えた世界が、遠く昔のことのように感じる。

少しずつ日常は戻ってきてはいるけど、

無条件にたくさんの人がいる場所に自分がいる、

という環境は時間が経つに連れて段々と減ってきている。

学生時代、人混みが嫌いだった。

学食は常に人で溢れていたし、

300人規模の大教室での授業は息が詰まるし、

仲良くないけど挨拶する程度の通称「よっ友」すら顔を合わせるのが面倒だなと思う節があった。

一緒にいると居心地の良い友人が数人いれば良くて、

毎日顔を合わせるのが当たり前で、でも1人の時間も必要で…

というなんかわがままにも見える立ち振る舞いをしていたと思う。

「あそこに行けば、誰かがいる」

そのありがたみもなんかよくわからないまま時間だけが過ぎていった。

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以前は「会う」ことが当たり前で、特別だなんて思っていなかった。

だから、どちらかと言えばLINEとか、電話とか、

会わないで話す方が「特別」な時間だった。

スピッツに言わせるなら「誰も触れない2人だけの国」

YUIに言わせれば「指先で送る君へのメッセージ」

その人と自分だけのプライベートな空間というか、

直接話すより相手の心の内が言葉になって返ってくるのが好きで、

四六時中画面を見てニヤニヤしていた気がする。


その価値観が、今少しずつ変わってきていて

「会って、話したい」と思うようになった。

それは、コロナ禍がそうさせているのか、

学生時代の友人たちが遠く離れた地域に行ってしまったり、

結婚してなかなか会えないという寂しさからなのか、

人と一緒にいるのが好きだから、なのか。

明確な理由はわからない。

多分、全部ある。

最近、人と会って話したことで

今、自分に必要な何かに気づけたような気がしたからこれを書こうと思った。

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友人に自分がどんな人かを聞くと、

おそらく学生時代までの友人と、社会人になってから出会った人で答えが異なるだろう。

学生時代までの友人からは、「一匹狼」

社会人になってから会った人からは、「社交的」

180°異なる、対象的な自分のイメージが返ってくるのには理由がある。


場に応じて、自分を明確に演じ分けてきたからだ。


元はと言えば、誰に対しても分け隔てなく話しかけ、

明るい性格だったように思う。

両親に聞いても、幼い頃から道ゆく人に話しかけてしまうような、

そんな人見知りしない性格だったようだ。

それが、なぜ「一匹狼」を演じるようになったかというと、

中1で洗練を受けたいじめにある。


地元から離れた中学に入学したこともあり、新たに友人関係を構築しなければならなかった。

当然自分はありのままクラスメイトに接していたので、最初の頃は仲良くできていた。

学級委員にもクラスメイトから推薦されたし、

男女関係なく友人もできたし、休み時間は笑いが絶えなかった。

新生活が始まって2ヶ月後、

なぜか突然、本当に突然、クラスの誰も口を聞いてくれなくなった。

話しかけても無視。

そこにいないかのように身体をぶつけられたり、悪口を言われたりした。

「ああ、目立つ奴は嫌われるんだ」

そう思った僕は、そこから自分を殺して生きるようになった。

なるべく目立たず、休み時間は逃げるように廊下に出て、

用もないのに図書館に足を運んだりした。

学年が上がるに連れ、ありがたいことに僕を受け入れてくれる友人ができたけど、つるんでいるのは怖かった。

そうしてできた僕が、「一匹狼の僕」だ。

今でも1人の時間が好きな理由も、

LINEとか、電話が好きな理由も、多分ここにある。

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そんな僕の唯一の救いがサッカーだった。

サッカーだけは、本来の自分を表現できる場だった。

友人関係とは異なって、結果で評価される世界だったからだ。

チームメイトに省かれようと、悪口を言われようと、

試合に勝つためにゴールを決めれば賞賛されるし、

チームのために自分が振る舞えば信頼を得られるし、

味方になってくれるチームメイトも増える。

そんな自分を評価してもらい、選抜チームに選ばれれば、

そのチームで自分を表現し、評価されればまた上に選ばれる。

普段の学校とは異なり、サッカーという共通言語があるコミュニティでは

自分という人に興味を持ってくれる子が多かった。

そして自分も、相手がどんな人なのかとても興味が沸いて、

色んな学校の子と、色んな話をした。

そんな環境で出来上がったのが「社交的な僕」だ。

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そんなこんなでなんとなく大学生になり、

好きなことを学び、あっという間に就職活動を迎え、困ったことが起きた。

「自分の魅力を伝えるために、自分のことをよく知りましょう!」

こんな質問に立ち止まる自分がいた。

いわゆる自己PRと呼ばれるスキル面を伝える内容は、

まあそれなりに上手くまとめられたし、それっぽいことは書けた。

でも、もっと根本にある「自分」のことは、全然わからなかった。

自分らしさって、なんだろう?

本当の自分って、なんだろう?

何度もペンを持っては、ノートに何もかけず、

時間だけが過ぎて行ったのを覚えている。

結局、よくわからないまま社会人になった。

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社会人として6年目を迎えた。

なんとこんな自分に、先日インタビューの依頼がきた。

依頼先は、同僚ではあるものの、ほぼ一度も話したことがない人。

なんで自分なのか、不思議だったけど、

別に断る理由もなかったし、何か協力できるなら、

と引き受けた。

なんでこの仕事を選んだか、仕事をする上でのモットーは?

そんなことを、45分間撮影した。

ぶっちゃけ、話している間は楽しかった。

自分のことを、言葉にする作業も好きだったし、

それを引き出してくれるインタビュアーに、嬉しくも思った。

撮影後、インタビュアーをしてくれた人に、ふとこんなことを聞いてみた。

「なんで、僕だったんですか。」

彼の返事はこうだった。

「君の仕事ぶりは、兼ねてから少し目に入っていた。

 それで君がどんな人なのか、興味があった。

 会って、話がしたい。そう思った。」

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インタビューが公開されてから1週間が経った。

この1週間にも、色んな反響があった。

職場の同僚からは、

「すごく良かったよ」と言ってもらえた。

後輩から、「とっきーさんってこんな一面あったんですね。今度ご飯連れて行ってくださいよ。色々話しませんか?」

と連絡をもらえた。

友達からは、

「この考え方、すごく好き」と言ってもらえた。


僕は、下手かもしれないけど、

自分の言葉であるがままを話すのが好きで、

それに対してリアクションをくれた人と、もっと話したいと素直に思った。

多分、人が好きで、興味がある。

やっと、素直に言葉に出来た気がした。

と同時に、それを他人の目を気にして押しつぶして生きてきたことに

後悔を覚えた。

誰になんと言われようと、

あそこに行けば、誰かがいる、という恵まれた環境で、

「ねえ、話そうよ。」

そう言えれば良かったんだな。

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幼い頃、友達になるには特別な儀式は必要なかった。

大人になるにつれて、友達の定義も、

作り方(なり方)も

段々とわからなくなっていた。

でも、目立たないように、とか、嫌われないように、とか

そんなに難しく考える必要はなかったんじゃないかと思えるようになった。

だから、最近、「良かったらご飯でもどう?」と身近にいる気になってる人や、懐かしい旧友に声をかけて誘ってみた。

そりゃもちろん断られることもあるだろうし、

不思議がられることもあるだろうけど、

またその中から、居心地の良い友人が見つかるかもしれないし。

話をすることを大切にしてみようと思った。

もちろん、1人の時間も変わらず好きで、

LINEや電話も変わらず好き。


でも、少し勇気を出して直接会って話すのも増やしてみようと思ってる。

多分、今の僕にとってはそれが「特別」な時間だと思うし、


自分らしさってなんだろう?という問いの答えを、

やっと見つけた気がするから。


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