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生きていて重ねるもの


ハッ...
暑い暑い

なんか今日は目覚めいいな

外暗いけど、えっ今何時???

枕元に置いてあるスマホを確認する。

01:30???
なんだまだ寝れるじゃん。ラッキー。


でも珍しいなぁ。
普段こんな時間に目が覚めることないのに。


暑いからなのかな?


エアコンつけて、布団を剥いで、さあ寝よう。


zzz





あアラームなったわ
6:55???ちょい寝坊した。


あの時は目覚めよかったのになぁ。不思議だ。


✳︎✳︎✳︎


その日も普通に仕事で、
いつもより少し出発が遅れてしまった。


だけど運よく朝一番でいい結果が出せて、
今日は余裕だなぁ。観光しちゃおうかなとフラフラしていた。



このまま行くと今日はいい営業成績出せそうだと思っていた。同僚の喜ぶ顔が少し浮かぶ。


少し遊んだあと、次のお客様の元へ移動した。




あと少し敷地を跨ごうとした時、
ケータイが鳴った。




父からだ。



よく見たら、3コールもきてた。
気付かなかったな


嫌な予感がして電話に出る。

「もしもし?」

「あ、今大丈夫?」

「大丈夫だよ。どうしたの」



「親父が亡くなった」

...

実は大阪に住んでいる父方のおじいちゃんの癌が最近悪化していた。

来週にはお見舞いに行こう、
ついでに大阪漫才劇場へ行こう。
だからなんとかそれまで生きていてくれ。


そう思っていた。

私は「そっかぁ」と静かに呟いた。


父は夜行バスで大阪へ向かい、6:00過ぎに着いたらおじいちゃんが家に居た。

病状が悪化したおじいちゃんは自宅で最後を迎えたいと、9:00に病院から家に着く予定だったはず。


横たわったおじいちゃんを家族みんなで囲んでいた。父はおじいちゃんと目があって、動いたような気がしたらしい。


「あれ親父なんでいるの?」



父は死に目に会えなかったらしい。
その話を電話口で淡々と静か語った。




この前noteでも書いたように
「会いたい人に会う」が私の、私生活の上で大切なことだと思うようになっていた。


おじいちゃんの病症が悪化した聞いた時は
直近で取れる振替休日をすぐとった。


仕事柄、おじいちゃんと同年代の人と話す機会が多く「会わなきゃな」と思っていた。



そんな気持ちもあって、
確かにコロナはあったけど
大学生の暇な時間になんで会いに行かなかった?


猛烈に後悔した。


仕事中だが涙が止まらなくなってしまった。
人がいないところに移動する。


電話先で泣いてる私をなだめる父。
一番辛いのは私じゃなくてあなたでしょ。
そう思うつつ泣いた。


涙が落ち着いたので
今朝目が覚めた話をしてみた

「今日珍しくさ、夜中にパッと目が覚めたんだよね
1:00-2:00あたりにさ」


「えっマジで
親父が亡くなったの、ちょうどその時間だよ」

「え!?」


「俺は夜行バス乗ってたけどなんもなかったわ。
そんなこともあるんだ」


「虫の知らせってやつかな
ただ目が覚めただけだったんだけどね」


「俺はなかったのに!笑」


今朝の不思議な出来事のおかげで不思議と
最後は不思議と笑って電話を切れた。



✳︎✳︎✳︎


今は忌引き休暇をとり
新幹線で大阪に向かっている。

忌引きなんて制度があることもはじめて知った。
結構休み貰えるんだね。


なかなか、こんなことなかなかないので
今の心情をnoteに綴ってみようと思い、涙目でスマホをぽちぽち。



次第にじんわりろ涙が出てきて
少し恥ずかしいけど

こうして書き残すことで、この出来事をいつしかネタに昇華できるようにしたい。


ちなみに、私の大好きなシソンヌじろうちゃんのネタ作りのテーマは「悲しみをいかに笑いに変えるか」らしい。



✳︎✳︎✳︎


今回仕事を1週間以上休むことになったけど
上司も同僚も「家族と過ごす時間を大切にね」と声をかけてくれた。



花金だった昨日は、
夜遅くまで一緒に飲んでくれた。


飲みに積極的に誘うタイプではないが
昨日は、一人でいる時間を作りたくなかった。



初めて終電を超えて、タクッた笑
運転者がおしゃべりなおじさんで、
ずっと話してた。


同期と上司が付き合ってくれることになり
本当にありがたかった。


本当に人に恵まれた職場だなと改めて思った。


でも仕事に慣れ始めた結果もで始めたところで、1週間も間が空いてしまうのは正直怖い。


けど、残ったおばあちゃんと一緒にしゃべったり
4年振りの大阪は少し楽しみ。



今回まだお通夜も葬式も迎えていないが
二つ思ったことがあった。


ひとつは、やはり会いたい人がいつまでも生きてるとは限らないこと。

そして、会いたい人がいることのありがたさ

交通費などは気にせずに、
悔いが残らない行動をとりたい。


ふたつ、月並みかもしれないけど人生は「出逢いと別れ」を繰り返すということ。


長く生きるほど、別れを経験するんだなと。

自分は今回悲しみでかなり気が滅入ってしまった。

仕事も手がつかず、大半ぼうっとしていた。

お年寄りに対して、
老害だとか言う人も居るしそうしたお年寄りがいるのかもしれないけど

こうした別れや悲しみを乗り越えて今を生きていると思うと、無条件でひとつ尊敬できる。



年を重ね、別れを重ね、悲しみを重ねる。
そう気づいた時に、この曲の歌詞を思い出した。


悲しみの歴史それが 
人の歴史だとしても
ああ やっぱ何度でも立ちあがる人の姿は 
どこかまぶしい

この曲も歌詞も大好きで、なにか失敗して辛いことがあった時に「何度でもたちあがる人の姿はどこか眩しい」と思って救われていた。


今回は「悲しみの歴史それが人の歴史」というフレーズの意味を体感した気がしました。


悲しいけど、これが人の歴史。
生きていくってことなのかな。


悲しみを感じた時にどう解釈するか?



悲しみとの付き合い方を、少しづつでいいので今後考えて行きたいです。



✳︎✳︎✳︎

今回のnoteは大分感傷的で、
あらためて見直すとクッサイ文章かもしれません。


うまく繋ぐ言葉が思い浮かばず
✳︎を多用しています笑



まぁいっか。



読み返して思う所があれば、
その時はひとつ黒歴史を重ねたということで。



それでは、最後まで読んで頂きありがとうございました✨
















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