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大好きなおじいちゃんへ。

おじいちゃんの文字
双葉は新芽です
周りを見渡せばどこにでも芽吹いている存在です
でもきちんと意識をしないと見えない存在でもあります
双葉で身近にある当たり前を表現した作品になります

このたび、大切なおじいちゃんが旅立ちました。
ずっとそばにいてくれると思っていました。
よく考えたら、そんな夢のようなことは無いことぐらいわかるはずなのに。あなたとの時間が幸せすぎて。そんなことさえ忘れて過ごしていました。
普段は冗談を言い合ったり、時にはお互いの意見をいいあったりできた。そこにはとても優しく、夢のような温かい時間が流れていたのだと、今あらためて感じています。何よりも、おじいちゃんは本当に優しくて、温かい人でした。

ふとこれまでの人生を振り返ると、社会に出て競争の荒波に揉まれる中で、私はいつの間にか「大切なもの」をまた、見失ってしまっていました。

その「大切なもの」とは、おじいちゃんとの時間でした。どこかで「ずっと一緒にいられる」「100歳まで、120歳まで生きてくれる」と、勝手に信じて疑いませんでした。でも、それは私の甘えであって、現実はそう甘くはありませんでした。

元気そうに見えたおじいちゃんも、実際にはそうではなかったのだと、今になって痛感しています。母のときもそうでしたが、やっぱり一番優しい存在が犠牲になり、私たちを支えてくれているのかもしれません。世の中には、自分にとって一番優しい存在が陰ながら支えてくれている、そんな仕組みがあるのではないでしょうか。

「今、気付けないことがある。」

その事実と向き合う時間を私はおろそかにしてしまいました。

もしおじいちゃんがいなくなることが、わかっていたら、きっと自分の在り方は大きく変わっていた、そう思わずにはいられません。

明日会えないとわかっていたら。

もっとしてあげたかったこと、話したかったことなどが湯水の如く湧き上がってきます。

人としての深い悲しみとは、「そのとき」が来てから「こうしておけばよかった」と強く痛感することなのかもしれません。

おじいちゃんが旅立ったその日、病院の霊安室で二人きりになった私は、久しぶりにおじいちゃんの手をそっと握りました。照れくささから普段はなかなかできないことでしたが、そのときは自然と手を取れたのです。その手は思ったよりふっくらとしていて、でもしっかりとした力強さや心の温かさや豊かさを感じました。それはいつも私たち家族を守り続けてくれた、おじいちゃんそのものでした。

「おじいちゃんの存在って、こんなにも大きかったんだね。」

「いなくなって、わかることがこんなに沢山あるなんて。」

「ごめんなさい。」

そう心の中で思いながら、静かに手を握りしめたまま、一方的ではありましたが自分の思いの丈を話しました。

長いあいだ私たち家族を支え、守り続けてくれたこと、その深い愛情を改めて感じて、胸がいっぱいになりました。

おじいちゃん、本当にありがとう。
今まで生きていてくれて、そしてずっと私たちを応援してくれて、本当にありがとう。

でも、どうか許してください。競争や自立にばかり気を取られて、大切なものを見落としてしまっていました。おじいちゃんのことを、もっと気にかけるべきでした。きっとたくさん心配もかけてしまったと思います。それでも、おじいちゃんは最後まで私を応援してくれていました。

その想いにこたえるためにも、これからはおじいちゃんが誇れる私でありたいと思っています。
おじいちゃん、どうか天国で安らかに過ごしてください。
そしてこれからも、どうかそばで見守っていてください。
いつかまた会えるその日まで、私はおじいちゃんに恥じない人生を歩み続けます。
本当にありがとうございました。

最後に
生きている今、この瞬間にこそ伝えられる想いがあるのだと、改めて気がつきました。

これからはそのような覚悟をもって、大切な人たちとの時間や言葉を心から大事にしていきたいと思います。

もしおじいちゃんが生きていたら今日は誕生ですね。

本当にありがとうございました。

メッセージ


生きていると、「大切」と思いながらも、それを後回しにしてしまうことがあります。

忙しさ、不安、社会の期待、競争。そういったものに飲み込まれてしまうと、ふと気づいたときには「本当に大切なもの」が見えなくなっていることがあるんです。

私にとってそれが、おじいちゃんでした。
いつも優しく、いつも私を気遣ってくれたおじいちゃん。でもその優しさを「当たり前」と思っていました。

その存在がいなくなって初めて、どれだけ支えられていたか、どれだけその存在が温かかったかに気づきました。

また、人の命は永遠じゃない。これを忘れてしまうと、大切な人との時間や関係を「無限に続く」と錯覚してしまうことがあります。

でも、それは実はとても儚いものなんです。
命あるものはいつかいなくなる。

だけど、その「いなくなる」という現実を、私は普段あまり意識していませんでした。

だからこそ、日々の些細なやりとりや時間が、どれだけ貴重で、どれだけ限られたものなのかを見落としていました。

私はそれに気づくのが遅すぎました。

これを読んでいるあなたには、きっと「大切な人」がいると思います。
その人が何気なくかけてくれる言葉や、あなたのそばにいるだけで生まれる安心感は、普段はあまり意識しないものかもしれません。

でも、どうか一度その存在を心の中で感じてみてください。

そして、その人に「ありがとう」と伝える瞬間を、どんな形でもいいので持ってみてください。
それが、言葉でも、行動でも、たった一瞬でも、きっとあなた自身の未来を変えるきっかけになると思います。

おじいちゃんが、私に教えてくれました。
「誰かを思う時間の尊さ」「優しさが生む力」「大切な人の存在を見過ごさないこと」。
その教えは、いなくなってからの方が、さらに深く私の中に刻まれています。

今になって思うこと


あの時には、手を伸ばしても、もう戻れない。
言葉を超えた心の交流をもっとしておけば良かった。

手を伸ばしたらある時に
できることをした方がよいのに
わかっていてもできないのが
人間なのでしょうか。


その時(いま)を深く味わうことがとても大切だった。

例)
一緒に食事をしている時間、何気ない会話をしている時間、それらを「ながら」でやるのではなく、ゆっくりと味わうようにする。たとえば、食事しながらスマホを見るのをやめ「この時間を共有できているのは奇跡だ」と感じてみる。

「後悔を減らす」「より良い別れにする」というテーマは、突き詰めると「どう生きるか」「どう家族と向き合い、命を感じるか」という人生の根本的な問いに行き着きつくのではないでしょうか。

反省


大切な人はいつまでもそこにいてくれるわけではない。
頭ではわかっていても、日々の慌ただしさに追われて、「いつか」「そのうち」と先延ばしにしている間に、取り返しのつかない時が訪れることがあります。

「もっと一緒に写真を撮っておけばよかった」「元気なうちに沢山聞いておけばよかった」「どんな人生を歩んできたのか、話を聞いておけばよかった」

いなくなってはじめて、あなたの凄さや素晴らしさに改めていろいろきづき、後悔だけが胸を締めつけるのです。

「本当はもっと大事にしたかった」「心の声を聴きたかった」もし少しだけ勇気を出して、ほんのひと言でも「ありがとう」「ごめんね」と伝えていれば、最後の瞬間に手を握って見送っていればきっと違った未来もあったはず。

後悔は、まさに行動できなかった自分自身への思いでもあるのです。

だからこそ、競争社会で見失いやすい、身近な優しい存在との今ある時間を大切にしてほしいです。

「恥ずかしい」「言わなくても伝わっているだろう」という遠慮や、先入観を少しだけ脇に置いてみてください。昔話をじっくり聞いてみたり、感謝の気持ちをきちんと言葉にしてみる。そんな小さな一歩が、かけがえのない宝物になります。

私はもうできません。
全てこれは私がすべきことでした。

今ある時間は、一度過ぎてしまえば決して戻せません。今、あなたの心に引っかかっていることがあるならば、どうかその気持ちを行動に移してみてください。その瞬間から救われるのは、きっとあなた自身でもあるのです。自分の人生を一層あたたかく、力強く照らしてくれるのは、何よりも「後悔のない思い出」なのではないでしょうか。

社会より家族。
家族より大切なものはないでしょう。
私はそれを忘れて生きてしまいました。
死を自覚してなかったんです。
人はいつか死ぬことを忘れてました。

これからを生きる


すべては永遠に続くわけではなく、ただ一瞬の“今”がそこにあるだけ。そう思うと、何気なく過ぎていく日々のなかで、大切な人と交わすささやかな会話や、ひとつひとつの言葉が、どれほど尊い時間なのかをあらためて感じることがあります。

「ありがとう」や「大好き」「元気でいてね」という短い言葉ほど、実は心を込めて届けるのが難しいのかもしれません。照れくさかったり、言わなくても伝わっていると感じたり。そんな思いに揺れながらも、少しだけ勇気を出して口にしてみることが、何気ない日常を心に刻むきっかけになるように思います。

いつかふと振り返ったとき、その一言が自分自身を支えてくれたり、遠くにいる誰かの笑顔を思い出させてくれる。そんな温かい光になるのだとしたら、やっぱり伝えてみる価値はあるのではないでしょうか。

時間は不可逆で、一度通り過ぎれば戻せない。だからこそ、「後悔する前に何ができるのか」を想像してみることは、決して重い課題ではなく、むしろ自分らしく、心を揺さぶられるような人生を歩むためのささやかなヒントになるのではないかと思います。

大切なものは、それぞれ違います。大切にしたい人や場所、ことば、思い出の形も、人の数だけあるのでしょう。だからこそ、誰かに押しつける必要はありませんし、自分の中でそっと抱いておいてもいい。たったひとつの「大切」を守り育てていく心が、きっと今をより鮮やかにしてくれるはずです。

過去でも未来でもなく、ほんの一瞬の“今”に目を向けてみる。そこにある人とのつながりを大事にしてみる。それだけで、暮らしの輪郭が少しだけやさしく見えてくるのではないでしょうか。心のどこかにそんな感覚を持ちながら、わたしたちは日々を重ねていければいいのかもしれません。

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