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どんなに難解な表現も逃げずに「解釈」しよう 魅力的なプロット作りの基本⑤

今回の記事は、まさにコミカライズならではの話題です。そのことを念頭に起きつつ読んでいただけると嬉しいです。*最後に漫画が載ってますよ!


さて、原作からプロットを作成し、それをブラッシュアップしていく過程で、原作の文章が難解すぎて全くイメージが浮かんでこない、とか読み手に解釈を任せているような曖昧な文章も存在するわけです。

むしろ「古典」と言われる文学にはそんな文章だらけ、と言っても過言ではありません。

思わず「何いってんだかわけわかんねえよ泉鏡花…」などと作家先生を呪うこともしばしばです。

だからこそそれをわかりやすく伝えるコミカライズの存在意義もあろうはずだ、とはいうものの。無理ですよね、古典文学の解釈なんて…とあなたは思うことでしょう。僕も同感です。

こちとら文学の権威などではないわけで、それこそいろんな研究者がそれぞれに解釈を遊ばせている中にむやみに飛び込むようなものです。

考えただけでもぞっとしますよねー。特に現代のようにSNSが発達した時代だと、市井に埋もれていた在野の天才研究者なども地上に湧き出して、各々の解釈をああでもないこうでもないと喧々諤々やりあっているのですよ。

そんな中にほとんど漫画を描くことしか能のない奴が飛び込んでいって、あたかもこれが正解ですよ、と言わんばかりに「解釈」するわけです。その恐ろしさたるや


しかし!それでもひとたび文学のコミカライズに取り掛かったならば、それがどんなに難解で曖昧模糊な文章だとしても、(無理やり)「解釈」しなければならないのです!
なぜなら、そうしなければ絵が描けないのだから!


「コミカライズとは翻訳だ」の記事でも書いたように、そもそも文章と漫画では伝え方がまるで違うメディアです。そのため文字だけで書かれた文章で伝わることも、いざ漫画にしようとするときに、文章にほとんどなんの情報も含まれていないため、漫画家が困惑してしまう、ということになるのです。

例えば泉鏡花の名作「高野聖」をコミカライズしたとき、肝心の「私」の情報が全くないのは本当に困ったものでした。主人公である上人の姿は事細かに描写してるくせに、物語の語り手の「私」が一体どんな人物なんだか全く書いていないのです。

しかし逆に言えば、漫画家の僕は「私」をどんな風に描いてもいいということにもなるな、と考えました。


主人公となる上人はずっと和装です。そして彼が語る物語はおとぎ話じみていて、とても(作中の)現代の話とも思えない。
そのことを際立たせるために、僕は「私」を洋装にし、洗練された現代人である、という風に「解釈」し、デザインしたのです。
(素直に考えればこの「私」は泉鏡花自身だと同定してキャラを作ればいいのでしょうが、そのキャラ設定だと泉鏡花がすでに浮世離れしたキャラなので上人と被ってしまうと考え、あえてその道はとりませんでした)。



文章を「解釈」するとはつまりこういうことです。それが正解かどうかなんて当たり前ですが関係ないのです。無理にでも「解釈」しないと漫画にならないどころかそもそも絵にならないのです。

「解釈」する、という意味がおわかりいただけたでしょうか?



では僕が夏目漱石の「夢十夜」の「第七夜」をコミカライズした時の過程を見ていきましょう。

まず原作をお読みください。お手間は取らせません、1分で読めます。



いかがでしょう。一体なんの話だこれは、とうめきませんでしたか?僕はうめきました。

夢の話なんだから不思議なことが延々書いているのは当たり前だろ、と言われそうですが、それでも第六夜あたりまでは情景描写とかも割としっかり書いていたのです。まあ、それでも四苦八苦したわけですが。

なのにこの第七夜に至っては、いきなり主人公は怪しげな船に乗っているし、交わされる会話はなんだか曖昧だし、デッキで見かけた女は涙を流してるし、果ては主人公は突然自殺に及んで挙げ句の果てにそれを後悔するという体たらく!情景の描写も主人公の内面もほとんどよくわからんわ!

なんだそれ。曖昧模糊にもほどがあるぜ漱石先生…。

しかしそれでも「解釈」せねばなりません。しつこいようですが、そうしなければ漫画にならないのですから。


というわけで僕はこのエピソードを次のように「解釈」しました。

・「大きな船」とは日本のことである。
・日本であるところの「大きな船」は凋落を迎えた(と見える)西洋文明をむやみと追いかけ、その船内にも異人が多く乗り込んでいる。
・主人公はそんな風に無批判に西洋をありがたがっている船内の風潮に嫌気がさしている。
・泣いている女はそんな主人公と同じ心を持っている。
・やがて西洋文明の宗教を押し付けられそうになったり、完全に西洋かぶれした若者たちが西洋人の真似事をしている。
・アイデンティティを失いつつある日本であるところの「大きな船」の行く末に絶望した主人公はついに自殺を図る。
・しかしその企みはいかにも軽はずみだった。「大きな船」が果たしてどんな航路を取るかは実はまるでわからないのだ。やはりこのまま船に乗ってその行き着くところをしっかり確かめた方がよかったのだ…。

こんな感じです。多分笑ったり怒ったりする人もいるでしょう。
しかし良いのです。何しろ漫画を描くのは僕なのです。僕の「解釈」が全てです


さて、このように「解釈」をしたので、プロットにしていくのもすんなり進みました。

・日本であるところの「大きな船」は、中に一つの街がすっぽり入る巨大豪華客船に。
・船内の街はすでに異国情緒豊かなものになり、日本風のものはほとんど駆逐されている(ほんとはもっと映画「ブレードランナー」のように和洋折衷のオリエンタルなものにしたかったのですが、それは僕の力不足でした)。
・主人公はその船の街を散策し、異人ばかり目につき、たまに出会う日本の若者も異人のような素振りを見せ…という風にプロットを作ることができたわけです。



いかがでしょうか?


この「解釈」の手法については、オリジナルストーリーを作る人には、あんまりピンと来ないかもしれませんね。自分の物語には必要ない手続きですもんね。

しかしこれで「すでにストーリーの出来上がっている文学」を漫画にすることがそんなに簡単ではないことが、少しでも伝わってくれればいいな、と思います。


ともかく作り手の僕としては、これこそコミカライズの醍醐味なんだよなあ、とも考えています。
文学を漫画にしていく過程で、僕は普通に本を読むよりも何倍もの集中力で原作とがっぷり四つに取り組むことになるのです。そのおかげで作品のもつ魅力や深さを、自分なりにではあるものの、より濃厚に味わうことができるのです。ある意味これはものすごく贅沢な読書術だよなあ、などと毎度感じています。そのぶん消耗も激しいのですが。

それにこれはコミカライズ作品を読むときの一つの楽しみ方にもなるんじゃないか、とも思います。
ああ、この漫画家はこの作品をこんな風に「解釈」したんだな、という風に。
この「夢十夜」はいくつもコミカライズ作品があるので、酔狂な方はそれぞれ読み比べてみても面白いかもしれません。

夢十夜 (マーガレットコミックスDIGITAL)
夢十夜 (まんがで読破 MD112)
夢十夜 萬画版
夢十夜
(発行順)



それでは僕がコミカライズした「夢十夜 萬画版」から「第七夜」をご覧ください。



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