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お金を生み出さないとuselessと思う感覚

私はフランスに引っ越して気づいたことがある。

働かなくていいなら、それに越したことはない。そういう精神が自分の中にあるということを知った。

いわゆる「職業」としての仕事がコロナ禍で休業した時も、私は日々こんこんと結構幸せに過ごしてきた(これを書いている今も)。料理をしたり、掃除を念入りにしたり、オンラインでフランス語を勉強したり、日本語で話せる関心のあるコミュニティのオンライントークに参加したり、読書したり、絵を描いたり。家族と時間を気にせず電話を週に1回ほどしたり。窓際の植物や野菜を育てたり、ヨガをしたりと自分が思い描いていた、まるで老後のような時間の使い方をしていた。

そしてとても満たされた。

外側に向いていた矢印を一つずつ内側に向けて、自分を生きる感覚。いかに見栄を張って、変なプライドをひっかけて生きようとしていたのか少しずつ肌身で実感した。

それでもだ。一方で思うのだ。人は社会との接点を求めている。これは西脇で、ミナペルホネンの皆川さんとお会いした時言われた言葉。(当時の会社を辞めたいと話したら「あなたは辞めてどこにいくの?社会との関わりをもっと大切にしてみたら?」と助言をくれた)

数年越しに、ああなるほど、たしかに求めている!と思いました。(遅いね!)

去年、体調を壊して一時期結構どん底だった時があった。その時、知っておきたかった体のこととか治療の仕方、心の構え方とか当時知りたかったことを発信してみよう、一年前の自分のような人が見つけてくれたら、何か心の支えになるのかもしれないと思い、本名を伏せて、その分赤裸々に体験や知恵をシェアすることを今年の初夏に始めた。秋からは小さな有料サークルをnote上で始めて、参加者の経験や知識をシェアする場を作ってみた。

はじめて、いわゆる定職の職業とは全く関係のない形で社会との関わりを試みた。それはすごくいい体験だった。

同じような志や社会への問題意識を抱いている人と、ネットを介して繋がってオンライントークイベントを開催したり、一人でも多くの人に伝わっていく体感が人と繋がるダイナミズムを感じさせるもので。無給でも達成感があった。こういう風にパッションに身を任せて仕事ができたらどんなに幸せかと思った。

現状の私は、アパレルのブランドの売り子として仕事を持ちながら、それは再び開店するまでは一時的失業手当というものをもらえているので毎月の収入はおかげさまで困ってない。私はこの点ではフランスはすごい手当が手厚いなと感心している。(そして感謝もしている。)同年代の子たちをみても、いろんな理由で退職した後、政府からの手当がしばらくでるから、転職を急がなくていい、もしくは手当を支給してもらっている3ヶ月〜一年の間に、人生でやってみたかったプロジェクトをはじめてビジネスへと軌道を乗せられるか実験するチャレンジをしていたり、その時間を有効に自分らしく使っている。

正直、その手厚さを知った当時は「働かなくてもお金がもらえる保障があると、働きたくない怠け者の人間を作ってしまうのではないだろうか」と卑下すらしていた私だった。でも、図らずも自分が保障を受ける側になって思う。このご時世、しかも外国人の私にとって、このシステムはありがたいし、私は数ヶ月前よりまた少し自分を自分の人生に手繰り寄せられている気がする。

それでも、思うのだ。

数年後どうしようかなって。

どうやって生きていきたいかなって。

数日前、彼のお母さんと3人で食事をした時「あなたはこの人生で何をしたいのか、見つけないとね」と言われた。

その時「そうですね、職業訓練で資格をとって、フランスで仕事をもらえるようにならなきゃ……」と付け焼き刃で思ってもないことを口から出して、その後涙が出てきた(笑)お母さんは「お金とかどうでもいいのよ。お金はなんとかなるものなのよ。そうじゃなくて、あなたが心から情熱を捧げられるものを、あなたのためにやらなきゃいけないのよ」と言ってくれた。

そのことばがとてもあたたかくて、正直予想もしていなかった。

そして私はまだ心の中にわだかまる思いがつい口から出た。「だって、ちゃんと仕事としてお金を生み出さないと、自分のことをuselessだと思ってしまう。私がパッションを持ってやっている活動(先ほど記した女性の病気へのケアなどに関わる発信)は、なかなかお金にならない。いつもそうなんだ」と。(モヤモヤをすべて吐き出した瞬間でした)

そして気づいた。ああ、まだ自分のことをそう思っていたのかと。

もちろん経済力はこの世界で生き抜くのに必要だ。

でも私は「消費」することを好まない。いつも必要十分あればいいと考えるし、足りないくらいでも心は満たされるという精神でいたい、と思う方だ。そういうやつだから、お金はなんとかなる。若いからそう思うとかもあるかもだけど、でもなんとかなるものだと私も思うのだ。

その一方で「お金を生み出さないとuseless」という感覚が自分にあったことに驚いた。それは実は、私の母がたまにこぼしてしまう弱音に近しいものがあった。専業主婦として生きてきた彼女は、社会的には「専業主婦」であり、何者でもないことを不安がる時があった。その言葉を聞くたびに「そんなことないよ、2人の子どもを立派に育てて、お父さんを支えてきて。みんなお母さんがいなかったら、今はない!」と繰り返し伝えていた。それは心の底からの本心だ。お金を生まなければ意味がない、という考え方は大切なものをすっぽりと見落とす。お母さんに自分の頑張り、自分の人生を認めて欲しかった。

ただ、失業手当をもらってる身の自分が、その言葉を今になって自分に対して発していることに気づいてしまった。

これは、私自身が乗り越えるべき思い込みだなと思った。


小さい時から、私は教育環境にも恵まれて、運動も好きで、いわゆる「一番」が大好きだった。二位になると悔しかった。

小学校の高学年になると、中学受験が近づいて「偏差値」が大切だということを知った時に「偏差値を上げさえすればいいんだ」という思考に頭のどこかで至った。受験勉強は当時の自分も結構根詰めてやっていたところがあり、偏差値に必要かどうか?いらないならばローエネルギーで対応、みたいな生命力が低い死んだ植物みたいな小学6年生を送った自負すらある。

やればできちゃう子どもだったということ、勝気だったということ、人と比べる「偏差値」が基準になった時期があるということ、どれもプラスの面もある!最低限はこの世界で必要な能力だから。ただ、あの時の「半端な優等生」の思い込みが今もあるんだなと最近気付いてしまったのだ。

社会に出て、仕事をし始めても「仕事を好きでなければいけない」「勝たなければいけない」「適当にやってはいけない」「他人の期待に応えなければいけない」「好きを仕事にしなければいけない」という考え方があったように思える。いわゆるエリートの道を歩んだわけではないので、すでに自分らしさを生かそうとしていた節はあるけど、それでも100%自分に素直になることはできず、ひとまず見栄えのいい職業を選んで、逆算して、勉強して、自分で選んだつもりにもなっていた。

そこにはいろんな失敗が含まれているんだけど、いいことはその道中でも本当にたくさんのことを人から教わったということ。「作る」ことを職業としている人たちに囲まれて、見習う姿勢は山ほどあった。布の世界でやっていくには少なすぎる経験だけど、自分を選んで就職させてくれたボスたち、会社の先輩、工場のおじちゃんたち、すべての人に「仕事とは?」という根本を見せてもらったようにも今になってあらためて思える。


これは何かオチがある文章でもない。

ただ、私はこの人生で何を学びたいと思って、どんな使命を設定して生まれてきたのかな〜と最近たびたび思うのだ。

でも今できることは、置かれている環境に感謝して、仕事を楽しみ、純粋な自分の活動を継続していくことなのかなと思います。

私はフランスにきた理由、住み続けることにしたわけはたくさんあるけど、その一つは「不便」で「自分に不利」な環境だということ。変な理由だけど「治安が良すぎないこと」もある。そのくらい不安定な状況の方が、動物的本能がちゃんと作用すると言いますか、生きている実感すらあるのよね。

この選択は自分にとって十分挑戦だわ。果敢に挑みたいと思います。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。 書くことを気長に続けていくことで自分なりに世の中への理解を深め、共有していきたいです。