土地の記憶やゆたかさについて
今年の五月の連休は、両親が神奈川から西脇に遊びに来ました。思った以上に楽しかった。思った以上に、二人の帰り際寂しくなってしまった。
移住してから二年間、私はこのまちの何を見てたのかな……と思っちゃうほどに、西脇に初めて来た二人に連れられながら、堪能した3日間だった。
母は、会って早々「西脇、いいところだね!」と。
まだ会って、10秒くらいなんだけども!
ついて早々播州ラーメンを食べて、日本へそ公園へ。
「ここが、日本の中心なんだねえ」
そんなことで、面白がってくれるんだねえ、と当たり前に思いかけていたことが一つずつ、彩度があがるように新鮮に感じられて行きました。初夏の日が差すへそ公園は気持ち良くて、いい場所だったなあ。(三日間、実はゆっくりと来るのが初めてなところばかりだった……。)
公園の中の科学館で昼の天体観測、プラネタリウム上映を大人3人で堪能し、界隈を探索して夜は焼き鳥を食べに行った。
二日目は、父を筆頭に新居の古民家を徹底的に改善。本当にありがたい。
インターホンが鳴るようになって、洗面所にコンセントが生まれた。アンテナを設置してテレビが映るようになって、玄関に感知式の電気を設置して家先が明るくなった。家中の電球もLEDに取り替えて、広い家でも電気をつけるストレスがとっても減った。母は黙々と掃除をしてくれて(笑)小さいことを一つずつ改善すると、こんなにも快適になるのかー!と感激した1日だった。(テレビがついたときは、タイムスリップをして初めてテレビをつけた時の人かのように嬉しかった!)
最終日はキャロットハウスでモーニングを食べ、多可町の翠明湖へ行って、近くにある織物工場を少し訪問させていただき、いちご狩りをして終わりました。
私はどこにも旅行していないのですが、どこに行くよりも思い出深い時間になったのは、あらためて西脇の良さと、あとは家族の良さを感じることができたからだと思う。
両親は重ねて「ゆたかなところだね」と話していた。栄えた時代から受け継がれている人々の暮らしのゆたかさと、自然のゆたかさと、いろんな側面で口にしていたと思うけど、私もあらためてそうだと思った。
それは、今日機屋のお父さんが「機械も糸も、世界のどこにいても輸入できる。この地が誇れるのは、織物に適した水の資源に恵まれた風土だ」と話していたことに繋がった。かつては経済的に今よりも富んだ時代を経ていて、その時から連綿と織物に大切な水資源と自然を大切にして来た場所なんだと。経済的な豊かさと、自然の豊かさって共存できるんだなあ、と気づかされた。それはむずかしいんだと、どこかで私が思っていたんだと思う。
ゆたかさってなんだろう。
一言ではたどり着けないけど、旅行のように西脇を楽しめたことや、いつでもどこでも、科学館でも家の修繕でも、何でもないことを面白がって、不完全だからこそ作り上げていくことを楽しんでいる両親二人と久々に過ごしていたら、私、もっと毎日を大切にしていこうって思えたんでした。
そして、シェアハウスである新居の古民家、とっても居心地良さそうに過ごしてくれたのが嬉しかった。朝日で目覚めて、風通しの良い家はいいねと。私は母親と共に霊感がある方なので、引っ越してきたときは「私一人ではない気配がするけど……おじゃまします!!!!」という気持ちで、ひたすら掃除をしていた。ここに住んでいた人たちのものを大切にして、息を吹き替えして、ここで新たに生活をしていければいいなと。それは誰にとってもきっと嬉しいことに違いないと。
家を快く貸してくださった大家さん、改修してくださった方々から始まって、人がまた住み始めて、家がさらに整頓されて、住みやすくなって。
「家族の笑い声や話し声が響いていたのも、この家は何年ぶりだろうねえ」
母親のその一言で、きっと喜んでくれているはず、という予感がどこか確信に近いものに変わっていきました。家が息をふきかえしていく、というのは面白い体験だなあ。町にしても、家にしても、場所の記憶って目には見えないけど、たしかにある。それも確実に、ゆたかさの一部だと感じました。そしてそれは、今を生きる自分たちが変えていけるものでもある。
うーん、リフレッシュした!いい休みをいただきました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。 書くことを気長に続けていくことで自分なりに世の中への理解を深め、共有していきたいです。