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親孝行は今からしてください

あなたは親孝行、毎日してますか?
「ありがとう」と感謝を伝えてますか?
母の日、父の日だけ、プレゼント渡してるだけではありませんか?

9月9日は、ぼくの母親の命日でした。
他界してから、20年経ちます。
ぼくは後悔してます。
思う存分、母親孝行できなかったことを。
後悔の念はなくなることがありません。

今、生きていれば・・・
といつも思ってます。
生きているうちに、親孝行を存分にしたかった。

こんにちは。
フリータンス とどすぺです。

とどすぺの母

母はとても優しい人でした。
美人だったと思います。
怒ることはなく、優しく見守ってくれました。
間違いの時は諭してくれました。

ぼくのところはママとパパで呼んでました。
当時は少数派です。
なぜかわからないですが、そう呼んでましたね。

幼少の頃から、母に連れられて聖書の勉強をしてました。
まぁ小さい頃から慣れ親しんでたので、違和感はなかったです。
思春期にはちょっと嫌なとこもありましたけど。
まぁ大人になって、自分で決めたので恨んではいません。

いろいろと学んだので、人格形成にはそれなりによかったのかなと。
社会では役立たずになりましたけど。

それでも相談に乗ってくれたり。
父親とケンカしても、仲介してくれたり。
ご飯も美味しかったし。
叱ってもくれましたし。

ぼくが病弱で、喘息持ち。
アレルギーもあるので、毎日大変だったんじゃないかと。

病院も調べてくれて、連れて行ってくれました。
肺炎で入院した時も、いつもいてくれた。
あんまり覚えてないですけどね。
4、5歳ですから。
小学校でいじめにあった時も、いろいろと励ましてくれました。

ぼくが悪さした時は、泣いて悪いことだと教えてくれました。
毅然ともしてました。

ぼくもすっかり甘えてましたね。
いつまでも傍にいてくれる存在。
居なくなるなんて、これっぽっちも思ってなかった。
居るのが当たり前でした。

乳がんだった母

そんな母が、乳がんで亡くなりました。
ほんとにあっという間のできごと。
54歳だったと思います。
若すぎです。

ぼくが28歳。
まさか母がいなくなるとは思ってもみませんでした。

当時は乳がんについて、よく知りませんでした。
すぐ治るんだろうと思ってました。
そうではなかったんですね。

母もいろいろ調べて、乳がんで闘病している知り合いからも聞いてました。
その結果、手術ではなく、ワクチン治療にすることに。
母が決めたことなので、当然治るんだろうと。
結果、母には効果がありませんでした。
というよりも、無理をしすぎた。

母と祖母とのドラマチックな出会い

母の母。
つまりぼくの祖母になりますが、ガンで闘病生活に。
元々胃がんで、摘出してたんです。
何十年も元気でした。
が、歳のせいか、ガンが再発。

その看病を長女の母がしてました。
自らも乳がんでありながら。
家族も「そんなに無理しちゃダメだよ」と言ってたんですが・・・
母や一向に耳を傾けません。
なぜか。

祖母と母とは、ちょっとした生き別れだったようです。
母が生まれてから、祖母はすぐに離婚し家を追い出されたそう。
祖父は再婚します。
そこから娘に会っていなかったとか。
母も祖母のことを知らずに成長。

祖母は北海道でした。
母も北海道生まれ。
で、祖母は離婚してから、東京の病院に看護師として勤めてました。

母も就職で東京に。
そこで鹿児島生まれの父親と出会い、同棲してたそう。

そんな時に、近所のおばちゃんがとても良くしてくれてたそう。
まったく面識ない人。
いつも「なんであんなに良くしてくれるんだろう?」と思ってたそうです。

そんなことが続いていくうちに、父親が「お母さんじゃないのか?」と言ったそう。
父も母から、「生みの親がいて、会ってない」と話を聞いてたそうです。

そこである時に直接、近所のおばちゃんに聞いたそうです。
「お母さんですか?」
「そうです」
との答えが。
なんだかドラマの世界です。

近所のおばちゃんは、母の生みの母親だったんです。
素性を隠して世話をしてくれていました。
どうやって、母の所在の情報を知ったかは定かではありませんが、調べたんでしょうね。
どうしても会いたくて、世話したかったんだと思います。
自責の念もあったんでしょう。
「育ててあげられなくて、ごめんね」と。

そこからは生みの母親として、毎日のように交流していたそうです。
母としては、東京という不慣れな土地で、面倒を見てくれてた心強いおばちゃんが、実の母親だったとは嬉しかったことでしょう。

そんな祖母にとっての初孫がぼくです。
そりゃ~可愛がりますよね。
だからぼくも甘えまくりです。
こんなんなっちゃいました(笑)

そんなことが過去にあったので、看病には全力でした。
自ら乳がん治療をして、体力もなかっただろうに、全力でした。
今までの恩を返したかったようです。
ほんと祖母は毎週のように、遊んでくれましたし、助けてくれました。

毎日1時間かけて病院に行き、付きっきり。
凄かったです。
家にいることが少なかったかな。

ぼくも祖母が大好きだったので、毎日のように会いに行ってました。
なので母とはいつも一緒な感じでしたけど。

残念ながら、看病もかいもなく、祖母は亡くなりました。
みんなで看取れたのはよかったです。

母の死

そこから半年です。
母が亡くなったのは。

やはり無理がたたったようです。
安静にしてる時は、ワクチンもなんとか効いてたようで、腫瘍も大きくなってませんでした。
もしかしたら切除したら助かってたかもと、思ってしまいます。

みるみるうちに衰弱し、腹水が溜まってぽっこりお腹に。
治ると信じてましたけど。
病院で安静にしてれば、回復するものと。

祖母が勤めてた病院に入院。
みんな知り合いですから、気持ちは楽です。
ストレスも軽減されたのではないかと思います。

毎日、仕事帰りには通って、一緒の時間を過ごしました。
小1時間ですが。
ぼくの中では、親孝行ではなかったです。
当たり前の看病。
元気になって、家族で楽しく、親孝行したかった。

顔色がどんどん悪くなるのが、日に日にわかります。
さすがにちょっとずつ覚悟してきました。

そしてあっという間に、亡くなりました。

もっと母親孝行したかった

当時ぼくは28歳でしたが、もっと甘えたかった。
いろいろ相談したかった。
父親とはあまりうまくやってませんでしたから。

苦労もさせてしまったので、恩返しもしたかった。
もっと楽しい毎日にしたかった。
旅行も行きたかった。

稼いで楽させてあげたかった。
もっといい治療をさせてあげたかった。
代わってあげたかった。

母親孝行への思いは尽きません。
家族で最期を看取ることができたのは良かったのかな。
さすがにショックでしたけど。

大好きな祖母が亡くなり。
半年後に大好きな母が・・・
何もできなかった。
無力でした。

なんでもっと、生きてるうちに親孝行できなかったのか。
いるのが当たり前で「ありがとう」と言葉で伝えてなかった。
なんで伝えてこなかったのか。
なんで、なんで、なんで・・・

そんな思いはずっと消えません。
「後悔先に立たず」です。
ただ、いつまでも後ろ向きになってもよくない。
今まで育ててくれたことに感謝して、前に進まないと。
母の分まで生きて、人生楽しまないと。

そう思わせてくれています。
今母がいたら、毎日感謝します。

昔からではあるんですが、記念日を祝うという習慣が我が家にはありません。
なので、母の日に特別感謝することはしません。
いつでもいいんです。
感謝は毎日、いつでも特別にプレゼントしたりします。

形式張るより、心がこもっていいと思いました。
サプライズにもなりますしね。
商業主義に踊らされなくてすみますし。

今から親孝行してください

ぼくと同じように、家族を亡くされた方はわかるかもしれません。
もっと感謝しておけばよかったと。
親孝行したかったと。

今、両親が健在で、家族がいて当たり前の方はぜひ、今から親孝行してください。
いつ居なくなるかわかりません。
もし1年に1度しか会えない場合は、生涯で数えるほどしか会えません。
両親が60歳だと、残り40回ぐらい。
70歳だと、残り30回。
もっと少ないかもしれません。

忙しかったり、自分の家族も大事なので、ついつい後回しになりがちです。
ぜひ、今から親孝行してみてください。
後悔しないためにも。

ただ、毒親だと難しいかもしれません。
離れた方がいい場合もあるので、事情によるとは思います。
事情が許せばです。

ぼくもまだ父が健在なので、親孝行していきます。
もちろん微妙な関係ではありますが。
いい歳なので、そろそろ介護も視野に。

ぜひ、今から親孝行してくださいね。
会えたら「ありがとう」でもいいと思います。
会えなくても電話やSNSで「ありがとう」と。

変な話、いつ居なくなっても後悔しないように。
ぼくの母が命をかけて、全力で祖母に孝行したように。

「ママ、今までありがとう。」


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

何か1つでもお役に立てれば嬉しいです。
また明日お会いしましょう。

フリータンス とどすぺでした。

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