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海外の人でも発音しやすい名前って

子供の名前はジョージにしたんだ。海外の人でも発音し易いものがいいなと思って。

留学に行く前に会ったぼくの友人はそう言って笑っていた。漢字は知らない。

子供にどんな名前をつけるかというのはなかなか悩ましい問題ではないかと思う。特に日本語の場合、音だけでなく漢字もあてないといけないし、その漢字の意味もさることながら画数的に運勢がどうのと気にしだすとなかなかに大変だ。ぼくの両親はぼくの名前をつけるとき、「ゆうき」という音は自分たちで決めたけれど、どんな漢字にすべきかはお坊さんに相談したらしい。良い運に恵まれるように漢字をあてたんだと聞いたことがある。

大樹にいろんな動物や人が寄りかかるように優しく頼りになる人になってほしいという意味が込められているのだそうだ。これについては昔、台湾の友人たちとお互いの漢字を披露していたとき「君の名前って大きな木って意味?」と言われて、その通りですと言ったことがある。

友人は漢字にこだわりはないと言っていた。ぼくはマジかよと内心驚いていたのだけれど、非漢字圏には画数がどうのと気にすることはないのだから、これはある種宗教のようなもので信じない人には何の価値もないのだろう。そうすると、ぼくはわりと気にするタイプのようだ。

子供の名前…か。
まわりに子供が生まれ始めてぼくも将来子供ができたらどんな名前にしようかと妄想したことがある。そのときは、やっぱり冒頭の友人と同じように海外の人にも発音しやすい名前がいいなと思っていた。女の子ならAgathaとか。これは10年くらい前、フィリピンに語学留学に行ったとき、Yukiという名前をなかなかうまく発音してくれなかった経験によるところが大きい。Keiとかちゃんと発音できる名前がよかったなと思った。

けれど、不思議なことにイギリスに留学に行ってそういう考え方が変わった。わりとぼくの名前を難なく読めていることに気づいたからだ。振り返ると、セントビンセントにいたときもそうだったのだけれど、その当時はまったく気にも留めていなかった。

これはひとつにグローバル化の影響があるのだろうと思う。キリスト教文化圏だけでなくいろんなバックグランドを持った人たちが英語を使ってコミュニケーション取ることが普通になったことで、多くの人がいろんな文字列の名前に接する機会が増えたのだろうと思う。

ぼくの名前も、なんて読むのとはほぼ聞かれなかった。スペイン語圏の人たちには少なくとも初見はずっとジュキと発音されているけれど、これは言語的に仕方のないことなのだろうと思う。もちろん、ユウキと発音はされなく(できない?)、ユキーなのだけれど、それはそれでわりと気に入っている。かわいい。たぶん、昔フィリピンにいたときもユキーだったのだろう。世の中が変わったというより、ぼくの社会に対する寛容度が変わったのかもしれない。当時は、まだ反抗期で幼少期から周りにユウキがいっぱいいたのもあって自分の名前の音がそんなに好きではなかった。

それで、ここからが本題なのだけれど、ぼくもそうだけれど海外の人も 名前の文字列、たとえば yuki oka という文字列を見て、どこの国の人か、男か女かを推察する。そして特にアジアの人に多いのだけれど、アニメを観て育ったり現在進行形でアニメを観るのが趣味な人がけっこういる。そういう人は高確率で、ぼくの名前をみると、女性なんだろうなと思う。ゆきさんだと思うわけだ。だから「yukiって女の人の名前なんじゃないの?」という会話が始まったりする。あるいは「あなたの名前は雪って意味なんでしょ?」と名前にどんな意味が込められているかの会話が始まる。こういう会話を2~3回経験して、結構めんどくさくなってきてもいるんだけれど、日本のこと結構知ってるんだなと推察されて嬉しくもあり、じゃああなたの国ではどういうふうに名前を決めるんですかという話にも花が咲くよいきっかけでもある。

つまり、海外の人も発音しやすいようにって欧米風の名前にする必要はないのではないかと思うのだ。それに、これまで欧米以外の海外の人で欧米風の名前を持った人に出会ったこともない。みんな自分の国について散々文句を言いつつも、誇りと愛着を持っている。しっかりとしたアイデンティティがあるように感じる。

もちろん、冒頭の友人をバカにしているわけではない。それぞれの国の文化に則った名前は外国人には発音しにくいのは間違いない。Natsaran や Gizemなんて、ぼくだってえーっと…と思ってしまう。ジョージはどこの国の人でも難なく読んでもらえるだろうし、日本語としても一般的だし良い選択だと思う。ほんとうに。

何が言いたいかよくわからなくなってしまったけれど、ただアニメを観てるだけじゃなくてサブリミナルに日本の文化の知見も貯まっていくのはありがたいことである。

そして、まだ全然その予定も兆候もないのだけれど、なんとなく、ぼくも子供が生まれたら、友人のように海外の人にも呼んでもらい易い音の名前がいいなと思っていただけに、選択肢が増えて多過ぎて選べない現象が起こりそうだなと感じている。

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