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髪とスニーカーと私

最近いろいろと人生の岐路に来ているなと感じる。

最近スニーカーを買った。真っ白のスタンスミス。真っ白のスニーカーを買うのは中学以来じゃないだろうかと思う。ぼくの時代の中学は「白の運動靴」という縛りがあって、まあいつも無難なものを買ってもらって履いていたんだけれど、白単色というとその校則のイメージがあってこれまでどうも気乗りせず避けてきた。

どうして今回真っ白のスタンスミスを買ったかというと、そろそろ一度定番を通っておくかと思ったからだ。それ以外の意味は特にない。

アラサーにもなると、いろんな人に出会う。仲の良かった同級生のライフステージも変わっていく。

何人かが「スニーカーはスタンスミスって決めてる。いつもこれ買ってる」と言っていて、その感覚はおもしろいなと思った。ぼくはそんなことこれまでの人生で思ったこと一つもないから。

例えば、ぼくがファッションに多感だった時期は大多数の人と同じように大学時代だったんだけれど ―神戸に住んでいたというのもあるかもしれない―、赤や緑のスニーカーを履いたりしていたけれど、それでも特定のブランドにこだわっていたなんてことはなくて、スニーカーの予算は5,000円MAXくらいで状態の良いユーズドを探してた。履き心地はよっぽどでない限り気にならなかったし、気にしてもなかった。シルエットと値段。ぼくがスニーカーを選ぶ基準はそれだけ。

大学を出た後は、2~3年ごとに引っ越しが普通になってだんだんとミニマリスト志向になって、スニーカーもどんなスタイルにも合わせられそうなものを選ぶようになったんだけれど、それでも毎回同じものを買ったりはしなかった。感覚としては自分にとってのベストを探していると言ってもいいかもしれない。

だから、「いつもこのスニーカー買ってる」だなんて同世代に言われると、「えー、もう自分のベストを見つけたのか」と思うし、ぼくにもいつかそういうスニーカーを買いに行く行為がトイレットペーパー買いにいくみたいな、ただの作業になる日が来るのだろうかと思う。そう考えると、自分はスニーカーを買いに行く、あるいはネットでスニーカーを選ぶ、眺める行為をなんだかんだで楽しんでいるとも言えるかもしれない。

似たようなことで、ぼくがいつも気になっているのが髪型。ぼくは月1回は髪を切らないといけない程度にもっさり伸びるのだけど、毎度、今回はどうしようかけっこう悩む。メンズベリーショートでググって良さげなのを探している。

けど、人によっては、というか多くの人が決まった髪型を維持しているように見える。ぼくは高校野球をやっていて高校3年間丸坊主だったからか、そこでリセットされてしまって、それ以来およそ10年ほど迷走している。自分にとってのベストを探す旅をしている。アラサーなのに。

みんなどういう基準で決めているんだと思う。別に、お前それはダサいだろとか言いたいわけではない。ただ、どういう経緯や基準で、その髪型に落ち着いたのか、それを維持しているのかを知りたい。ぼくが知る限り、多くのぼくの友人はイメチェン以外で髪切ったの気づいたことがない(そんなに他人の髪型に関心がないのもある)。

アラサーになり、なんちゃってミニマリストぶるようになり、他人の視線を気にしなくなり「自分」という確固たる意識というか芯ができて、俗世から解脱している気分なのだけど ―要するに、基本的に身につけるものにこだわりがない≒おじさん化している―、「今日はどんな感じにしましょうか」と聞かれると「ええと、どうしようかな…」と焦るこの気持ちはなんなんだろうか。

シーナ・アイエンガーというアメリカの心理学者は人生は選択の連続で、その選択ひとつひとつが「自分」を形作っていく、みたいなことを著書の中で語っていた。

だとすると、「俺はスニーカーはこれからずっとこれ、髪型はずっとこれ」と定番を決める行為は、そこからの人生の広がりに蓋をすることにならないだろうか。もう俺のセンスは伸びないのか、それでいいのかと、内なる俺がぼくに囁く。

一方で、ビジネス書なんかにはよく、人間の一日の意思決定できる量には限りがあるんだから、無駄なことに消費すべきでない。スティーブ・ジョブズは同じ服ばかり着ていたし、マークザッカーバーグだって同じTシャツばかり着ているだろう?みたいなことが書かれている。

重要じゃないことはルーティン化して無駄な消耗をするなという趣旨だ。

身の回りのものを決まりきったものばかりで固めていいのかという思いもある。効率化といえば聞こえは良いけれど、個性が失われていくな気がして、日常に遊びというかゆとりというか、バッファーみたいなのがなくなってしまうような、かといってそこまで大事なものかいわれると、うーんとなる。

とりあえず、スニーカーは白のスタンスミスを買ったことだし、何も問題なければそれを定番にしてもいいかなと思っている。問題は、髪型。来月からイギリスに引っ越すこともあり、まーた散髪に頭を悩まさないといけないと思うと気が重い。

セントビンセントにいたときは、選択肢がなかったのもあり、髪の毛一度伸ばしたいのもあり、マンバンにしていた。月1回ほど友達にバリカンで両サイドと後ろを刈り上げてもらっていた。

さて、イギリスではどうしようか。アルムナイコミュニティでは15~20ポンドで現地在住の日本人美容師が髪切ってくれますという話だけれど、毎月約3,000円の出費かー、毎月1,000円カットの身からすると絶妙に高い。ぼくは私費留学でとにかくお金がないから余計にうーむとなる。

かといって、バリカンで友達に刈ってもらうかというとそれもどうなんだろうと思ったりもする。どうせ仕上がりは坊主だし、坊主だと、たぶん他のアジア人と差別化できないと思うから「あ、Yukiだ」って認識されにくいと思うんだよな、非アジア人には。

ほんと、引っ越しの度に散髪は悩みのタネになりがちだから早く良い方法を見つけたい。


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