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赤穂緞通工房ひぐらし

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赤穂緞通の工房とギャラリーです。 見学と購入ご希望の方はHPからご連絡ください。 http://akodantsu.com/
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#私のイチオシ

シルクロードの東の果て 文様考察2

シルクロードの東の果て 文様考察2

「Chinese Carpets」は工房六月の蔵書を借りています。この本を渡してくれる時に赤穂緞通とそっくりの文様がある!といっていた19世紀新疆の絨毯。
縦糸横糸は綿でパイルは絹、珍しい文様と解説にあり。96×178cm。

そしてこちらが収集の中の赤穂緞通、未手入れ。94×190cm
推定制作年代は明治末期から大正時代。
もうここまでそっくりだと、現物を見本にして作ったとしか思えません!
額縁

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シルクロードの東の果て 19世紀

シルクロードの東の果て 19世紀

赤穂緞通はどうして生まれたか?の続きです。
1845年前後の清は激動の時代でした。アヘン戦争が1840年に勃発し、南京条約1842年、北京条約1860年と続きます。
そして中国の絨毯は進出してきた英国を中心とする欧米列強によって流出していきます。一方ペルシャ絨毯は最盛期が17世紀までといわれ、18世紀にはアフガンの侵略などにより急速に技術が衰えたそうです。このクラッシックペルシャ絨毯は19世紀から

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赤穂緞通はどうして生まれたか?

赤穂緞通はどうして生まれたか?

さて、ずっと私が疑問に思っていたことがあります。
赤穂緞通は児島なかという女性が弘化年間(1845年ごろ)に高松で万暦氈を入手し、それを再現しようと試み、明治3年(1870年)座布団大が完成、明治7年(1874年)に一畳織り完成、という点。地元の郷土史研究家による資料の中に明記されていますし、一般的に公開されている赤穂緞通の紹介にもそのように説明されています。
赤穂緞通についてはこちらがわかりやす

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シルクロードの東の果て 文様考察

シルクロードの東の果て 文様考察

ひぐらし引きこもり日記13で書いた内容の続きです。

昭和49年9月に日本橋三越で開催された「中国の古緞通展」図録より
包頭絨毯「花王団文」19世紀後期 125×65 2枚

上の額縁部分に使われている紗綾形文は、日本でも古くからある文様だとぼんやり思ってましたが、明の時代に日本に渡ってきたらしいです。
そして紗綾文は包頭の西の寧夏の緞通にもよく使われていて、このサイズはイスラム礼拝用に作られたと

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ひぐらし引きこもり日記13 謎の文様

ひぐらし引きこもり日記13 謎の文様

赤穂緞通の文様の中で私が一番気になるのは、このどう見ても中国風の緞通の文様。作られたのは化学染料が使用されていることや糸の状態から推定で昭和初期。

2枚組で入手し、しばらく赤穂御崎の森の家に敷いていました。
ちょっとのあいだ手放さないでおこうと思ったのです。
これと似た文様がシルクロードの要衝の地であった新疆ウイグル自治区ホータンで一時期作られていました。
http://www1.tcn-cat

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ひぐらし引きこもり日記11 文様

ひぐらし引きこもり日記11 文様

時間に余裕のある時に、と写真を整理して出てきた「懐かしい緞通」
facebookの赤穂緞通工房ひぐらしページでアップしていってます。
で、この写真の緞通の説明書いていて、書きたいことが多すぎて止まらなくなってしまったので、続きはこちらで思う存分書きます!

赤穂緞通は明治の初めに製品化されたのですが、瀬戸内の一地方から広く海外に販路を伸ばすようになるにあたっては、京都の鉾町との深い関わりがあります

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ひぐらし引きこもり日記9 貸切美術館

ひぐらし引きこもり日記9 貸切美術館

今日は久しぶりにたくさんの人類にあいました。
銀行&スーパー&コンビニ&給油&仕事の打ち合わせetc。スーパーやコンビニはコロナ対策が行き届きはじめてるから、接触者としてカウントしなくてよくなった。透明ビニール越しの買い物は味気ないけど、そんな贅沢を言ってられない。問題は仕事の打ち合わせ。普段はオンラインでしているけど顔合わせというのはやはり実体が会わなくちゃ!というわけで、お互いマスクをしている

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