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#75.雑談 介護を始めてみて思うこと①

久しぶりに実家に帰ったのが1年前。婆さんは87歳だが元気そうだった。ただ話していておかしな点があった。どうやら婆さんの頭の中では、私が結婚していることになっているらしい。婆さんがアルツハイマー型の認知症であることを母から聞かされた。

正直に言えば、認知症と言われても、年寄りだからそりゃいつかはそうなるだろうとしか思わなかった。我ながら冷たかった。婆さんに遊んでもらったり良くしてもらったりという記憶がなかったからだと思う。

私が実家にいた頃、婆さんは老後を楽しんでいるように見えた。ゲートボールに社交ダンス、カラオケに編み物と、色々な習い事をやっていたし、友達と出かけることも多かった。元気だった。

私が家を出て一人暮らしをしている間はどうだったか。婆さんは友達と仲違いをしたようで、習い事を辞めてしまっていた。父・母・兄は仕事に行っている。婆さんは日中誰とも話さない。一人きり。寂しかったのだと思う。毎日(文字通り毎日)、母の職場のスーパーまで歩いて行っては、朝食用のパンを買っていたらしい。1日に2度来たこともあったとか。思えばこの頃からちょっとおかしくなっていたのだと思う。

そこにきて、数年前に家の建て替えを行った。ここで完全に呆けてしまった。私の友人にも祖父母の介護をしている人がいる。その人も家をリフォームしてから祖父母の呆けが進行したと話していた。どうやら見える景色がガラッと変わると、違うところに連れてこられたという感覚になるらしい。「いつもの家じゃない。だから近くにいるこの人たちも多分知らない人だ」という感覚なのだろうか。毎日のように名前の確認をしないと、私と兄の区別はつかないようになってしまった。

実家に戻ってきてから、私は何気なく1冊のアルバムを手に取った。私はスナップ写真を撮るのが好きだが、自分自身を撮られるのは大嫌いだ。自分が写っている写真を見るのも嫌い。だからアルバムを開くなんて久しぶりだった。見覚えのない柄だったから手に取ったのだと思う。それは古いもので、婆さんがまだギリギリ働いていたころの写真だった。テーマパークのようなところに小さいのを二人連れて写っている。兄と私だった。

そう。私はまだ小さかったからその時の記憶がないだけで、婆さんに遊んでもらっていたのだ。間違いなく可愛がってもらっていたんだと実感した。その時どうしようもなく物悲しくなったし、同時に感謝の気持ちが湧いた。可愛がってもらった分、面倒を見ようじゃないかと思えた。アルバムは大嫌いだったけど、案外悪いもんじゃないなとも思った。

続く。

いつもお読みいただきありがとうございます。教育者の端くれとして、自分が持っているものを他の人に伝承していきたいと思っています。今後とも宜しくお願い致します。