旅の寄り道、散歩道/緑茶発祥の地(京都府綴喜郡宇治田原町)

画像1 たまたま永谷園のホームページで、京都・宇治田原にご先祖の生家があるというので、行ってみました。(2017年2月12日撮影)
画像2 日本緑茶発祥の地だそうです。
画像3 宇治田原の湯屋谷という山間の集落。ここにくるまでの道はすれ違い不可、横がガードレールなしの川という恐怖の道でした。観光向きではないようです。
画像4 茶宗明神社という神社があります。
画像5 永谷園の創始者、永谷武蔵さんの顕彰碑。ちなみにこの方の生家ではありません。この方は、のり茶漬けを開発した方だそうです。
画像6 茶業従事者の崇敬を集めています。
画像7 神社の本殿です。なんか、事件が起こりそうな雰囲気・・・
画像8 永谷園がたくさんの寄付をしているみたいです。
画像9 2月に訪れたので、雪が残っていました。
画像10 本殿の前は屋根付きです。趣がありますね。
画像11 神社を出て、永谷宗円さんの生家へ。茶園跡があります。
画像12 石垣の様子に、歴史を感じます。奥にある門を入ると、生家があります。
画像13 永谷宗円さんの生家です。この建物は復元されたものです。
画像14 平成27年に、日本遺産に認定されました。
画像15 永谷宗円は江戸時代の1681年に生まれ、98歳で亡くなりました。八代将軍吉宗の頃、もっとおいしいお茶の飲み方ができるお茶の製法の開発をスタート。煎茶の製法を発見しました。
画像16 生家の中にある「ほいろ」の跡です。煎茶は茶の芽をさっと短時間蒸したあと、焙煎できる炉で乾燥させながら揉んで作られます。焙炉の上に紙製の器を置いて、焙煎しながらお茶を揉む、それが「ほいろ」という道具なんだそうです。
画像17 この発明がなければ、私たちは緑茶を飲めていませんでした。すごいですね。ちなみに緑色なのに茶というのは、それまでのお茶が茶色だったからです。ほうじ茶みたいなものだったようです。
画像18 この功績が認められ、永谷宗円さんは従五位という官位を授与されました。ちなみに源義経はそれより下の従五位下。すごさが伝わるでしょうか。
画像19 茶祖 永谷宗円翁の生家跡を示す石碑です。これは古いものですね。横に植えられているのは茶の木でしょうか。
画像20 復元された生家のまわりにも、茶の木の生け垣がしつらえられていました。永谷園の創始者はこの宗円の子孫の一人なんだそうです。

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