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映画レビュー:ゆるキャン△(2022) 社会人となって現実を生きる彼女たちが非現実に思えるほど挫折も苦悩もなく、キャンプという遊び方をプロモーションしているだけの作品だった

ストーリー

 社会人となった、野クルのメンバー。リンは名古屋のタウン情報誌編集者、なでしこはアウトドアグッズ販売店店員、あおいは地元小学校教員、千明は山梨県観光推進機構で、恵那は犬のトリミングサロンでそれぞれ働いてる。
 ある日、今名古屋にいるんだが、と千明からメッセージを受信したリンは居酒屋で落ち合うが、そこで話が盛り上がり、千明は深夜タクシーで山梨のとある施設へリンを連れていく。そこは数年前に閉鎖された、青少年野外活動センターだった。荒れ果ててはいたが、富士山が見える絶好のロケーションである。この場所の再開発計画を任されているという千明に、リンはいう。
「こんなに広い敷地なら、キャンプ場にすればいいじゃん」
 その一言から、かつての仲間たちによるキャンプ場開発計画が、動き出す。

レビュー

 ゆるキャン△は、バブル世代の私にとって、新しいけどどこか懐かしい、そんなニオイのする作品だ。ちょうど就職した頃、「BE-PAL」という雑誌を発端に始まった第一次アウトドアブームに世の中は沸いていた。車ならヘビーデューティーなパジェロやデリカ、二輪ならオフロードバイク、キャンプ用品はもとよりカヌーやログハウス、などなど。そんなバブリーな空気に乗って、日本各地にも、いままでの「野外活動センター」とは一味違った、オートキャンプ場や森林リゾート施設ができた。

 それから、およそ30年。次にアウトドアのブームを運んできたのが、本作「ゆるキャン△」とコロナ禍だった。「ゆるキャン△」は、ワイワイと大勢で楽しむイメージの強かったアウトドアを、「ソロキャン」という言葉とともに、こじんまりと一人で楽しむ時間へとイメージチェンジしてくれた。一人でもいいし、シーズンオフでもいい。道具に凝らなくてもいい。そんな自由さと、肩肘はらない気楽さが、本作の提唱する「ゆるいキャンプ」なのである。

 しかし、本作は、その「ゆるさ」からの強烈な揺れもどしを感じる作品となってしまったように思う。

 なんの事前情報もなく見たので、まず、リンが一人暮らしをしていて働いている、というところでびっくりしてしまった。夢オチなのか? いつ醒めるのか、と思いながら見ていたが、どうも全員社会人になっているようである。とすると、一体何年後の話なのだろう。そういう、導入部分に説明がなく、戸惑いながら見ていたために、なかなか物語に入り込めないまま、千明の強引な誘いで、問題の閉鎖された「富士川青少年自然センター」へリンが連れていかれるあたりから、ああ、もう彼女らは高校生ではなく、社会人でそれぞれバラバラなところに暮らしているのだ、と気づき始める。

 山梨県観光推進機構で働く千明が、再開発計画を任された「富士川青少年自然センター」を、かつての野クルのメンバーたちの力でキャンプ場によみがえらせる、というのが本作の展開の、ほぼ全てである。

 荒れ果てた、しかし富士山の見える斜面に広がる「富士川青少年自然センター」で夜明けを迎えたリンは、ここをキャンプ場にすればいい、と提案。千明はそれならと、かつての野クルのメンバーを集めて、キャンプ場に再生すべく、動き出す。その中で、社会人になったなでしこ、あおい、恵那らの境遇が描かれ、再び、山梨県のこの場所に扱った彼らが、今度は作業着に身を包み、草刈りからスタートするのである。

 これまで、既存のキャンプ場で楽しんできた彼らが、今度は自分たちでキャンプ場を作る、というアイデアはいいと思う。しかし、それが山梨県庁で働く千明の仕事の一環であることや、リンは名古屋、なでしこは東京、恵那は横浜とそれぞれかなり遠方で生活していることで、実際に「事業として」それをやることの非現実性にいやでも目を向けさせられてしまう。自由になるお金のあまりない高校生活の中での彼女たちのそのあり様には、非現実の中の現実性があった。だが、彼らが社会人になってみると、今度は社会人としての現実と、彼らが取り組む妙に現実的なプロジェクトとの間のギャップに、かえって非現実性が増してしまい、嘘くさくなってしまうという罠に陥っている気がする。

 この罠がどこからきているかと考えてみると、冒頭に記述した平成バブル期のアウトドアブームで行政が作った森林リゾート施設を思い出してしまう。千明の計画というのは、あの頃のアウトドアブーム再び、という構図に私たちを引き戻してしまうものになってしまっているのだ。行政という枠組みの中で、彼らが古い施設を再開発してキャンプ場にする、というのはいかにもリアルだが、そのモデルとなったキャンプ場(みのぶ自然の里)が存在していることを考えると、これは、「ゆるキャン△」を使ったプロモーションにしか見えなくなってくる。

 彼らが作ろうとするキャンプ場はどんなものかというと、そこもまた彼女たちらしさがあまり感じられない凡庸なもので、本当なら、リンやなでしこが一番、夢を膨らませ、互いに自分たちの理想を語りながら盛り上がる「計画」部分がすっぽりと抜け落ち、ただ、キャンプ場にするための作業に取り組んでいるだけ、という話になってしまった。

 そうではなく、私ならやはり、「ゆるキャン」なるものを生み出した彼女たちだからこそ思いつく、彼女たちにとっての理想のキャンプ場、というものの絵を、ここで見せてほしかったし、それこそが本作の一番盛り上がる「山」になると思うのだが、作品を作る人たちは、そうは考えなかったようである。

 なので結局、「ゆるキャン△」のキャラたちを使って、既存のキャンプ場をプロモーションするだけの話で終わってしまったな、という感想しか持てずに終わってしまった。

 キャンプの時間は、現実の日常から一歩離れた、非現実を楽しむ時間だと私は思う。それは決して私だけの考えではないだろう。社会人となったリンやなでしこが出てくるなら、彼らもそうした思いを、高校生だったころより、より強く感じるようになっているはずだ。現実の社会人生活は、つらく忙しく余裕もなく、時間に追われ続けるものだからである。そうして、なんだか夢を見失いかけていた彼らが、キャンプ場を作るという提案から、夢見る時間を取り戻していく。そんなお話であればよかったのにと残念でならない。

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