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数時間前の自分の発言を振り返ってみた

本当に性格が悪い人間だったら、自分から「性格が悪い」とは言わないし

本当に人見知りな人間だったら、自分から「人見知り」とは言わないし

本当に人を信じられない人間だったら、自分から「人を信じられない」とは言わない。

本当の弱点やコンプレックスは誰にも教えたくないし、誰にも知られたくないものなんじゃないの?

隠して隠して隠し通したいものなんじゃないの?

それを自分から発信できるってことは、実はホントのホントのところ

それを短所でもマイナスでもコンプレックスだとも思ってないんじゃないだろうか?

実はそれらをオイシイと思っているか、そういう人間に見られたいという願望を主張しているだけなのかもしれない?

それらを踏まえた上で、数時間前のこの男の発言を振り返ってみたいと思います。

事実か事実じゃないかの二元論はひとまず置いておいて、他人から「大喜利が得意」と思われるよりも、「白目が得意」と思われるより

「攻撃的なツッコミ」

「ミニコント」

「ヒトや物事をナナメから見ること」

この3つが得意な人間に見られたいという主張をしているだけなのかもしれませんね。

「人見知り」とか「人を信じられない」とか、「○○」の部分は人それぞれだけど

もし自分が、もしくは他人がそういう発言をしているのを見かけたら、その発言の語尾にこれをつけたら良いんじゃないかと思う。

・○○という人間になりたい/なりたかった

・○○という人間だと周りから言われたい、言われたかった/見られたい、見られたかった

自分が本当に好きなこと、本当に得意なことは、実は損得抜きにしたこれらの裏側にあるのかもしれませんね。

2019/09/16

飛田将行 とびたまさゆき

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