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あの日、魔王バラモスを倒した勇者まさゆきは...

『クロノトリガー』の発売が決まって毎週ジャンプがその情報を特集していた頃や

今度の『KOF(キング・オブ・ファイターズ)』に誰が参戦するんだろうと騒がれていた頃が、1番TVゲームに夢中だったように思う。

プレイステーションセガサターンが普及し出した頃からゲームがどんどん小難しくなった気がして、僕はゲームから離れていった。

絵も音楽もチープだったけど、80年代から90年代初期のレトロなTVゲームの感じが僕は好きだった。

だから僕のゲーム離れはとても早い。

『クロノトリガー』が発売されたのは1995年の3月だし、『KOC』のメンバーが劇的に増えたのも95くらいだった気がするから、中学1年の頃が僕のゲーム熱のピークだったとも言える。

僕は1982年生まれなので、同年代の人たちにわかってもらえれば良いくらいの気持ちでこの文章を書いています。

文章に出てくる設定や用語も補足はありませんのでご了承ください。

ファミコンとの出会い

子供の頃の話。

小学3年生の途中まで僕の家族は借家の一軒家に住んでいた。

近所には父親の親戚が住んでいて、幼稚園の年少か年長くらいの頃、その近所に住んでいた親戚のお兄ちゃんとよく遊んでいた。

名前も顔も思い出せないし、いくつ年上だったのかももう覚えていない。

もし『嗚呼!バラ色の珍生!!』でひさしぶりのご対面を果たしたとしても、何の感動も生まれないと思う。

司会の島田紳助の伝家の宝刀「素敵やん!」を引き出すような感動のご対面には絶対にならないでしょう。

あ、今日の記事は「隙あらばボケたい!」「笑いを取りにいきたい!」という気分なので、こういう脱線が多くなると思いますが、これはこれで「悪くないだろう」と思って読んで頂けると嬉しいです。

時を戻そう

名前も顔も歳も覚えていないけれど、そのお兄ちゃんと木の棒でチャンバラごっこをしたり、近くの空き地を探索したり、時には泥んこになりながら遊んだ記憶がある。

泥だらけで帰るといつも母親に怒られていた。

名前も顔も歳も覚えていない親戚のお兄ちゃんと遊んだ記憶をなぜ振り返っているのかというと、そのお兄ちゃんの家で生まれて初めてファミコンというものをプレイしたからである。

それまでファミリーコンピューターという存在を知っていたのかはわからないけれど、ファミコンというものをプレイしたのはこの時が初めてだったと思う。

お兄ちゃんは色々なソフトを持っていて、『チャレンジャー』『スーパーマリオブラザーズ』など、たくさんのゲームをプレイさせてもらった。

ドラクエ3と勇者まさゆきの冒険

ある日、お兄ちゃんが『ドラゴンクエスト3』をプレイしていた。

のちにRPGというジャンル、『ドラゴンクエスト』という人気ソフトということを知るのだが、ゲームのキャラクター、モンスター、武器・防具などのデザインが、『ドラゴンボール』の作者・鳥山明なのが子供心に目を引いた。

この当時から鳥山先生が書く『ドラゴンボール』や『Dr.スランプ』が大好きだったのだ。

最初は横でプレイしているのを眺めているだけだったのだが、どういう経緯でそうなったのか覚えていないけれど、僕もプレイさせてもらうことになった。

勇者のなまえは『まさゆき』

そう、僕の名前だ!

兄ちゃんが「ぼうけんのしょ1」で、僕が「ぼうけんのしょ2」だった。

兄ちゃんにサポートしてもらいながら操作を覚え、“勇者まさゆき“の冒険が始まった。

途中、兄ちゃんの「ぼうけんのしょ」が消えてしまうという出来事があった。

当時のソフトはカセットだったから、強い衝撃を与えたり、丁寧にセーブしてカセットを本体から抜かないとデータが消えてしまうという危険性があったというのも、当時の『ドラクエ』をプレイする上での醍醐味だったように思う。

接触が悪いとカセットを「フーフー」するのは日常茶飯事で、ファミコン世代あるあるでしたよね?

もう1つ余談を追加するけど、「ぼうけんのしょ」が消えた時のBGMは大人になった今でも苦手。

僕の「ぼうけんのしょ」は運良く消えなかったので、僕の「ぼうけんのしょ」をメインにして、僕とお兄ちゃんが交互にプレイしながら、2人で協力してゲームクリアを目指すことになった。

ネクロゴンドの洞窟

記憶に残っているのは、ネクロゴンドの洞窟

最後のオーブを取るためにはネクロゴンドの洞窟を抜けてほこらに行かなければいけないのだが、このネクロゴンドの洞窟は僕にとってかなりの難攻不落だった。

そこに登場するモンスターが一癖も二癖もあって、一筋縄にはいかないのだ。

真っ向から戦えばHPとMPを消費して終盤が辛くなるし、かといって戦闘を避けようと思っても簡単には逃がしてくれない。

結局は洞窟の終盤にMPが尽きてHPが回復出来なくなって、力尽きるというのがオチだった。

だからボロボロになりながらネクロゴンドの洞窟を抜けてほこらにたどり着いた時の嬉しさは半端なかった。

今までのゲーム人生で1番嬉しかった瞬間と言っても良いくらい喜びを爆発させたと思う。

ラーミアに初めて乗った時の興奮も未だに覚えている。

いよいよ悪の権化である魔王バラモスに挑むところまでやってきた。

バラモス城とじごくのきし

ネクロゴンドの洞窟に比べて、バラモスがいるバラモス城は楽勝だった。

バラモスとの戦闘は苦戦したけど、バラモスがいる王座にたどり着くまで苦労した記憶はない。

唯一あるとすれば、じごくのきしというモンスターの「やけつくいき」という攻撃。

これに被弾してしまうと体がマヒしてしまい、戦闘が出来なくなってしまうのだ。

タチが悪いのが、パーティー全員が被弾してマヒしてしまうと、HPのあるないに関わらず全滅してしまう。

じごくのきしは2回攻撃をしてくるので、最大3体が現れた時の計6回攻撃は地獄だった。

そんなじごくのきしがメチャクチャ嫌いだったし、「やけつくいき」のスペシャリストとして僕の記憶に刻まれている要注意モンスターだ。

ちなみにこの頃の僕は「スカートめくり」のスペシャリスト(カッコよくすな! 最低なことやぞ!)と呼ばれており、先生方からは要注意園児としてマークされており、女子からはメチャクチャ嫌われておりました

僕がじごくのきしをメチャクチャ嫌いだったように、女子もまた、僕のことがメチャクチャ嫌いだったのです。

因果応報ですかね?

バラモスは強かった

バラモスは攻撃力も高く、メラゾーマやイオナズンという最強呪文を兼ね備えており、ほのおという全体攻撃で容赦なくこっちのHPを奪ってきた。

それに加えてバシルーラメダパニという変化球呪文を使ってくる点も本当にイヤだった。

被弾する確率は低いのだが、この変化球呪文に被弾してしまい、泣かされたドラクエフリークは多いはず。

前者は吹き飛ばされて帰らぬ人となり、後者は混乱状態に陥り味方を攻撃してくる。

この場合、勝機は少なくなるのでいつも心を折られていた。

正直、今バラモスと初見で戦ったら勝てるかどうかは別として、もう少し賢く戦えるだろうなとは思う。

スクルトで防御力を上げて、ピオリムですばやさを上げて、フバーハでほのおのダメージを軽減して、ルカニで相手の防御力を下げ、バイキルトで攻撃力を上げる。

効く可能性は低いだろうが、状況によってはラリホーやマヌーサを使うかもしれない。

けれど子供の時はそんな対策を練ってバラモスと戦っていた記憶はないし、ヤバくなったら回復しておくという危機管理能力も低かったから、そんなの抜きで真っ向勝負を挑んでいた気がする。

だから何度も何度もバラモスに挑んでは、何度も何度もバラモスに負けた。

それでも子供なりに勝てない原因を検証して対策を練って根気よく挑み続けたのだろう。

何度目かの挑戦で、僕たちはバラモスを倒すことに成功した。

サプライズ

『ドラクエ3』をやるようになってから、毎日のように兄ちゃんの家に行ってはファミコンに明け暮れた。

「いつまでゲームをしてるんだ!」と兄ちゃんの父親や母親にはよく怒られた。

ウチの母親も、毎日兄ちゃんの家でファミコンをやっていることを快く思っていなかった。

兄ちゃんの家でファミコンをやるようになってから「ファミコン買って!」としつこいくらい僕が言うようになったもんだから、それもあってこの時期は余計に母の機嫌も悪かった。

だけどその日々ももう終わる。

僕はバラモスを倒したのだから!

文章を書きながら記憶が整理されて思い出すこともあるもんで、この当時はオレオというお菓子が好きだった。

兄ちゃんの家で遊んでいる時に、兄ちゃんの母親がおやつにオレオを出してくれて、それがめちゃめちゃ美味しくてハマったのだ。

オレオを食べるとチョコクッキーで口の中が真っ黒になるので、その口の中を見せるという遊びをしていたんだけど、「汚いからやめなさい!」と、よく大人に怒られたんだってばよ!(突然のNARUTO)。

バラモスを倒した日のおやつはオレオだった。

僕らがゲームをしている部屋は2階で、オレオが用意されているのは1階で、僕は早くエンディングを見て下に降りてオレオを食べたい衝動に駆られていた。

アリアハンという冒険の始まりの場所にルーラで飛んだ。

王様にバラモスを倒した報告をするために。

街の人に話しかけると皆、勇者である僕を祝福してくれた。

とても気分が良かった。 

そして実感する。

長い旅がようやく終わったのだと。

王様の元へ行くと兵士たちが並んで僕たちを出迎えてくれていて「早く王様の元へ!」と急かしてくる。

王様に話しかけた。

王様も僕らを祝福してくれている。

...が

その時何かが起こった。

予想もしていなかった何かが起こった。

一瞬すぎて何が起こったのかわからなかったし、この現象が何なんのかもわからなかった。

僕はパニックになった!

そして泣いた。

おそらく怖くなったのだろう。

そりゃそうだ、当時5歳か6歳くらいの頭と経験値で情報処理できるような出来事ではなかったと思うから。

下にいた兄ちゃんの母親が駆けつけてきたのを覚えてるから、もうワンワン泣いたのだろう。

あまりにもその出来事が衝撃的だったのか、その後の記憶はいくら頑張っても思い出せない。

バラモスだと思ったらゾーマだった

ドラクエをやったことある人なら「何を今更!」と思う出来事かもしれないが、知らない人もいると思うので、その時何が起こったのかを説明します。

王様に祝福され、「さあみんなで宴じゃ!」みたいなことを王様が言った瞬間、画面が揺れたのだ。

そして整列している兵士が1人1人消されていき、ゾーマと名乗る本当の黒幕が現れるのである。

ここで『ドラクエ3』の真のボスはゾーマであり、バラモスはゾーマの配下に過ぎないということを知る。

冒険はまだまだ終わらない。

その演出が子供の僕には怖すぎた。

ラスボスはバラモスだと思わせておいて、実は真のボスはゾーマだったみたいな演出は、ゲームに限らずエンタメにはよくある手法で、現代ではスタンダードになったけれど、その演出手法は『ドラクエ3』が走りだと言われている。

ミステリー小説などにある、ミスリード(犯人だと匂わせておいて実は違う)や叙述トリックなどといった手法と同じなのだが、世の中にはこういう演出や見せ方があるんだということをこの時僕は知った。

僕は子供の頃から疑り深い性格で、真っ正面から物事を受け取らないし、斜に構えて人や物事を見るクセがあるのだが、もしかしたらこの『ドラクエ3』の体験が、僕の人格を形成する上で少なからず影響を与えているのかもしれない。

2020/06/05

飛田将行 とびたまさゆき

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