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ある山岳地帯での話|短編小説|5,272字

 立山黒部たてやまくろべアルペンルート。

 富山と長野を結ぶ、その山岳観光ルートは世界有数であり、外国人を含めて多くの観光客が訪れる。自然を満喫できる春から秋にかけてはもちろんのこと、自然がその姿を完全に隠す、冬の時期においても、バスの高さを超える雪の壁を眺めることができ、その圧倒的な景観は絶え間なく観光客を呼び寄せていた。

 それは草木が眠りにつく準備を始めた、秋の頃だった。1年の中でもっとも多くの観光客が訪れるその季節は、登山客が熊に襲われる事故がもっとも多い時期でもある。

 そのに最初に気づいたのは、立山黒部アルペンルートの最高地点に位置する、室堂むろどうにあるホテルの従業員であったとされた。少なくともメディアはそのように取り上げたし、多くの民衆もそうであると受け止めた。

 その音は、耳鳴りのときに聞こえる高音、あるいは航空機が空を駆ける音、あるいはその中間のようであったと、のちに多くの人間が証言している。つまるところ、漫画で言えば「キーン」といったオノマトペで表現される、人間にとってやや耳障りな音であり、自然に囲まれた地で過ごしている人間からすれば、およそ現実のものと知覚しづらい音だった。

 それが耳鳴りや幻聴の類でないと気づいたのは、他の従業員も同様のことを訴え始めたからである。そのときに感じたのは、自分だけに起きた異常事態ではなかったという安心感だったという。不気味に感じる一方で、軽い冗談を言う余裕も生まれ、未知のものに対する好奇心さえ抱いたそうだ。

 しかし、日が登り、宿泊客が起き出してくる頃には、漠然とした不安感を抱くようになった。それは他の従業員も同様であったという。

 その音は、宿泊客にも聞こえていた。しかし、この地を初めて訪れる彼らは、さして気に留める者も少なかったらしい。それは、長旅の疲れからだったかもしれないし、寝起きで頭が回っていなかったのかもしれないし、異常なことに遭遇するはずがないという、精神の安定回路が働いたためかもしれなかった。

 しかし、朝食会場のレストランに集まる宿泊客が増えるに従って、その音についての話題が様々な席でなされ始め、しだいに軽い集団的パニックの様相を呈してきた。その時になって初めて、宿泊客の一人が従業員に対して、この音の正体は何なのかと訪ねたそうだ。

 事が大きくなり始めたのはそれから間もなくのことだった。朝食を終えた宿泊客の数名が、体調不良を訴え始めたのだ。人間にとって耳障りな音であるというのは、その場に居た誰ももの共通認識であったため、その音のせいで気分が優れないのだろうという空気感が支配した。どうせ一時的なものだ、気づいたときには治っている、と。

 しかし、軽い痙攣けいれんや幻覚といった症状を訴える宿泊客も出てきて自体は急転した。どうやら只事ではないと気づくと、ホテルの支配人は119番――あるいは110番の方が適切だったかもしれないが――に通報し、ことの次第を伝えた。そして、宿泊客にその旨を伝え、冷静に務めるようにと周知した。

 なお、この時点では従業員に体調不良者は出ていなかったらしい。余暇を愉しむ側と、仕事を奉仕する側、その意識の張り詰め方の差がそういう結果を生んだという説も生まれたが、それを検証する術はなかった。どうにせよ、個人差が合ったのは間違いない。

 有名な観光地といえど、なにせ山奥のことである。急病人の数が限られていれば、救助用のヘリを飛ばすという手もあったが、大人数を一度に移動させるのは不可能だった。結局、宿泊客自身の足で下山してもらう運びになった。

 幸い、自力で移動することが困難なレベルの重傷者は居なかった。しかし、より幸いだったのは立山黒部アルペンルートの移動手段である、バスやケーブルカーなどが正常に運行していたことだろう。ホテルの従業員と同様、それらの交通に従事する者たちも、体調不良を訴えるものは殆ど居なかった。

 そして、リスクよりも休暇を優先しようという、ごく一部の宿泊客を除き、殆どの宿泊客が下山を目指すことになった。これと同様のことが近辺のすべてのホテルで起きており、交通手段である乗り物は当然ながらかなり混み合う事態となった。しかし、全員が同じ体験をしているという事実があったためか、大きな混乱は起きなかった。

 その後、正式な避難勧告が発令された。のちに、この判断は遅かったと一部で批判されたが、未曾有の事態に対して、適切なタイミングで避難勧告を出せたと称賛する声のほうが大多数だった。

 その頃に至っては、宿泊客の誘導などを終え、張り詰めていた気が緩んだのか、従業員の中にも体調不良を訴えるものも出てきており、症状の重いものから計画的に下山を進めていくという方針で固まった。

 それは比較的スムーズに実行に移されたが、それでも立山黒部アルペンルートにいる全員が避難を終えるまでには、それなりの時間を要した。より重い症状を訴える人が増え、中には意識を失う人も出てきたためである。その頃には救助用のヘリも出動しており、重傷者はヘリによって麓まで搬送された。

 結局、全員の避難が終了したのは、あの従業員が最初に音を聞いてから3日間ほど経過してからだった。あとになって考えてみれば、この避難活動のさなか、交通事故が一つも起きなかったのは奇跡的だったと言える。

 多くのメディアは、この件を『立山黒部アルペンルートの室堂付近において、謎の異音』といったタイトルで報道した。

 室堂付近という点は正しかった。のちに、避難者の証言をまとめると、室堂付近において症状が顕著であり、そこから遠ざかるに従って症状は低くなるか、あるいは全く現れなくなるのだった。

 違っていたのは異音・・という点で、実のところそれは空気を媒介として伝わる音ではなかった。それが判明したのは、避難前に従業員が機転を利かせ、自らのスマートフォンへ音を録音しようと試みたためだ。しかし、いざ下山してから再生してみると、そこには例の音は一切混ざっておらず、広大な自然が発する、静かで長閑な音のみが録音されていた。

 学者を含む、多くの人達が予想したのは火山ガスなどによる中毒症状の結果、集団的な幻聴に陥ったのではないかということだった。仮に、人間の脳に影響を及ぼす類の有毒ガスが発生したとしたら、そうした幻聴を引き起こしてもおかしくはないのではないか、と。

 しかし、救助にあたったヘリに搭乗したパイロットも、上空にて同じような音を聞いたという証言をした。この証言は、有毒ガス説を否定するのみならず、新たな疑念を生んだ。

なぜ、ヘリの騒音の中でさえ音を聞き取ることができたのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 結局、学者たちは有力な仮説を立てることができず、国は立山黒部アルペンルート付近一帯に対して、立入禁止例を敷いた。少なくとも、その付近に近づかない限り、例の音が聞こえることはなく、体調不良に陥ることもないと判明したためである。これは自衛隊の隊員が、身を張って実地調査を行った結果のたまものである。

 誰が言い出したのかは不明だが、インターネットのSNS上では『ブラックマウンテン(Black Mountain)』という呼称が定着した。立山黒部アルペンルートに含まれる”黒”からの着想と思われるこの呼称は、シンプルながら日本のみならず世界中で使われるようになった。

 その後、インターネット上では様々な仮説が挙げられた。有毒ガス、集団催眠といった科学的なものから、ノストラダムスの大予言や宇宙人の侵略説といった非科学的オカルトなものまで。それらは明らかに根拠に欠けていたが、実際のところ発言者達も真面目に説を唱えているわけでもなく、単なるエンターテインメントとして楽しんでいるだけであった。

 事態に変化があったのは、最初から数えて18日目だった。

 立入禁止例を無視したあるメディアが、ヘリで現場に向かったところ、例の音が聞こえないことに気づいたのだ。その記者は、やはり集団催眠に過ぎなかった、といったスクープ記事を公開し、山場を超えたと思われたインターネット上の波にあらたな火種を注ぐことになった。

 そのスクープ記事の真偽については、どちらかといえば否定的にとる者が多かったが、その2日後に国が自衛隊を派遣させて再調査を行ったところ、実際に音が聞こえなくなっていることが判明し、その事が正式発表されると、インターネット上での議論が再加熱した。相変わらず、根拠のない説ばかりであったが、事態が好転したこともあってか、人々はそれらをよりエンターテインメントとして楽しんだ。

 それからも定期的に自衛隊による立ち入り調査が続けられたが、それ以来、例の音が聞こえることはなかった。国は”安全性”を理由に立入禁止を続ける姿勢を見せていたが、立山黒部アルペンルートへの観光を復活させるべきという声も多く、最終的には、半年間の経過観察を経て立入禁止条例を解く、ということで最終結論を出した。

 その後、予定どおりに立入禁止例は解かれた。

 もともと立山黒部アルペンルートで仕事をしていた人の大半は、再び山に戻ることを決めた。この山が好きだから、という理由を口にする人が多かったという。観光客はリスクを天秤にかける人も多かったのか、一時的には劇的に減少したが、どうやら安全でらしいと知れ渡ると、半年後には再びもとの人数に戻った。

 なお、謎の音の正体を突き止めようと、多くの研究者たちが山を訪れたが、結局は何も分からずに帰っていた。しかし、研究室に籠もりがちな彼らは、立山黒部アルペンルートの大自然に触れて大層感動したらしく、そのことをSNSに投稿した結果、立山黒部アルペンルートの大きな宣伝となり、復興に一役買うことになった。

 音の正体が分かったのは、それから二世紀もの時が経ってからだった。

 人類は宇宙開発を進める中で、初めて自分たち以外との知的生命体と出会う機会に遭遇した。いわゆる、ファーストコンタクト。高度な科学水準にが達した双方が、会話レベルのコミュニケーションを取れるようになるにはさほど時間は必要なかった。

 その知的生命体によれば、地球人の存在はずっと以前から把握していたが、自分たちと円滑なコミュニケーションがとれる科学水準に達するまで、接触するのを避けていたらしい。そして、かつて地球のーー我々の言葉で言う、日本の立山黒部アルペンルートにおける最高地点である、室堂に降り立ったことがあるという事実を明かした。

 偶然その場に、過去のその出来事について知っている者がおり、その時に人々が聞いた音について彼らに質問した。当時の我々の科学水準では解き明かせなかった、一体何が起こっていたのか、と。

 彼らの答えはシンプルだった。自分たちの姿を目撃されないよう、地球上における知的生命体である人間たちを一時的にその場から遠ざける、ただそれだけが目的だったらしい。

 ただ、彼らにとっても、人間に対して悪影響があったのは誤算だったらしい。本来は意識を誘導させ、その場から立ち去らせる計画だったものの、人間たちの様子がおかしいことに気づき、自分たちの技術が完全ではなかったと気付かされたらしい。その後、彼らは装置を改良し、人間たちに悪影響を与えること無く、たびたび世界各地に降り立っては地球の調査を進めたとのことだ。

 ちなみに、なぜ最初にその地を選んだかと聞いてみると、なんとなく・・・・・らしい。私達と似ていい加減なところもあるのですね、と放った地球人の一言はその場を和ませ、ファーストコンタクトは平和的に終了した。

 広大な宇宙空間に魅力があるのはもちろんだが、依然として地球の景観が素晴らしいことには変わりなく、多くの人々は21世紀と変わらずに観光を楽しんでいた。都市へ、海岸へ、そして山へ。

 ところで、地球外生命体によってもたらされた技術の多くは、一般の人々の生活とは無縁な産物であったが、その一部は身近な商品にも適用された。

 例えば、登山客が用いる、熊よけの鈴・・・・・

 熊が不快感を得ないように改善されたその鈴は、何の音も出さず、もはや鈴という呼称はふさわしいとも思えなかったが、登山者たちはこれまでどおりの鈴という呼び名を好んで使い続けた。

 それ以来、登山者が熊に襲われたという事故は報告されていないらしい。

 立山黒部アルペンルート。

 富山と長野を結ぶ、その山岳観光ルートは世界有数であり、外国人を含めて多くの観光客が訪れる。自然を満喫できる春から秋にかけてはもちろんのこと、自然がその姿を完全に隠す、冬の時期においても、バスの高さを超える雪の壁を眺めることができ、その圧倒的な景観は絶え間なく観光客を呼び寄せていた。

 少しずつではあるが、地球外生命体の観光も増えているらしい。

ー了ー

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