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【短編恋愛小説】女性の生きづらさを考える一助としての小説|『しえん』

【短編恋愛小説】女性の生きづらさを考える一助としての小説|『しえん』

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 色濃い煙草のけむりが漂ってきて、思わず手を払った。中目黒の居酒屋《かがりび》だった。グラスを触っていたせいで水滴がぴっと跳ねた。右隣の席の、煙草を吸っていた男に当たった。私は眉を下げて、笑顔をつくった。
「ごめんなさい。煙がきたから、つい」
 眉をひそめていた男は、私の目を見るなり、にっこりと笑った。顔を真っ赤にした、大学生くらいの男だった。だぼっとした服を着ていて、手首にはシル

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病に至る恋(原題:Hello, I'm Victim)

病に至る恋(原題:Hello, I'm Victim)

 猥雑な喧噪に埋もれた居酒屋の座敷で中学の同窓会は行われていた。座は緊張感と好奇心とで満たされており、誰もが顔に笑みを貼り付け、忙しなく酒を口に運んでいる。

 僕は座卓の端に坐り、当たり障りのない話に花を咲かしているクラスメイトを順に見ていた。みんな変わってしまっていて、中には十年前の面影すら残っておらず、一目見ただけでは誰か分からない顔もあった。

 だが、彼女が来ていないことだけは確かだった

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輪廻

輪廻

「ルリ、ちょっとくらい寝ててもいいよ。疲れたでしょ」

 夕刻、リビングのソファで父が私の頭を撫でる。そこに邪念がないことにがっかりする。

「ぼくが後で起こしてあげるから」

「お父さん、もういいから」私はそう言って、父の手をやんわりと払う。寂しそうな顔で父は、「もう中学生だから恥ずかしいか」と苦笑いを浮かべた。それが普通の考え方だ。

 みんな、年頃の子は中学生にもなれば思春期が訪れて、人目を

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心さえなかったなら

心さえなかったなら

 歌うのが好きな少女は、喉をからしてしまいました。

 彼女にとって歌とは生きる意味でした。

 それを失ってしまった彼女は、生きていることに絶望しました。

 もう楽にしてほしいと何度も思いました。しかしそれを伝える声がありませんでした。だからただ泣くしかありませんでした。

 声の次は涙をからしてしまいました。どれだけ悲しくても、もう泣くこともできません。このまますべてをなくして、消えてしまい

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二匹の獣

二匹の獣

 小学生の頃、飼っていた犬が病気に臥せることがあった。学校に行っている間に死んでしまったのではないかと、家に帰ってから安否を確認するまでのあの数秒が一番不安で緊張した。今抱えているのはそれと同じ感情だ。それともいつ爆発するか分からない危険物を身体に巻き付けられている感覚だろうか。

 二階でくだを巻いていた静寂がわたしの立てる衣擦れの音に飛び起きた。わたしは浅い呼吸でポケットの重みを意識しながら部

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白い闇

白い闇

〈十一月十一日〉

〈十一月十二日〉

〈十一月十三日〉

〈十一月十四日〉

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〈十二月二十四日〉

〈十二月二十五日〉

 患者が持ってきた新品同様の日記帳を見て、私は首を捻った。メンタルクリニックに勤めてもう四年になるが、なかなか奇特な相談だ。だってこれの何が問題なのか分からない。

 だが患者は生気のない顔に焦りを滲ませ、

「これ、昨日までの弟の日記です

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波に抱かれて

波に抱かれて

 潮風が攫ってきた海の臭いに男は顔を顰めた。

 男にとって地元はもっとも忌むべき場所だった。どこまで行っても海しかなく、それに囲われた町には磯の臭いが常に、背後霊のごとく纏わり付いている。防波堤にぶつかった波のはぜる音、餌にありついたカモメの嬌声、漁港を去って行く船の雄叫び。幽霊はときにそんな幻聴も聞かせてくる。町には幽霊の見えない年寄りばかり溢れていた。若者はそんな先代に唾を吐きかけながら高台

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狂信者

狂信者

 母がトラックにはねられたと聞いたとき、身体中から力が抜けた。駆けつけた病院で医師から「このまま意識が戻らない可能性も覚悟していてください」と言われたときようやく実感が湧き、人目を憚らず泣いてしまった。

 母は認知症を患っていた。病状はそれほど良くはなく、普段は落ち着いているのだが、ひどいときはわたしを泥棒だと勘違いして泣きわめくこともあった。そんな調子では当然一人で外出もさせられない。いつか赤

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私が大好きな小説家に殺されるまで

私が大好きな小説家に殺されるまで

『憧れの相手が見る影もなく落ちぶれていくのを見て、目を瞑るのが愛情で、目を開くのが信仰だと思っていた。だから私は、先生から目を背けました。』

 洒落た言い回しだと思った。当然だ。この文言は私が生み出したものなのだから。

 この小説を読んだとき、顔も知らない誰かに骨の一本一本まで視姦されているような恐怖と心地よさがあった。タイトルが『私が大好きな小説家に殺されるまで』というのも、その感覚を大きく

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