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愛は、実在しているがそれは目に見えずそのそれぞれの解釈に鍵がある。

こんにちは
生命という器の中にある命その命を生き
そしてよく死ぬこと
それを追求する中で
今『愛する事』について考えております。


 以前愛は、種類があるようだと記しました。
様々な愛の種類についての考え|命に向き合うとある看護師 (note.com)

また最近は、親に対して“親ガチャ”という言葉が目に触れるように
なりました
確かに、出生の国、地域、環境、親どれも選ぶことは一見できない
ように思えます。そしてそれはひいては、うける愛の量も質も選べないと
いっているように感じます。
今回は、『様々な愛の種類の考え』
この記事をあげてから、生活し、遭遇する出来事を迎え入れ、
そして考えるなかで、今は以下の見解につながったのでそこを。

~自分が実践した愛をどう内省するか、
~または受けた愛についてどう振り返って解釈していくか
それがすべて。
そこにある、ないと考えたり悩んだりしている、その目に見えない愛は
あると解釈すればあるし
ないと解釈すればそれはない(少し乱暴か)
いまそこにある愛を、評価することではなく
ランク付けというか、カテゴリ化することでもなく
どう感じ、どう解釈するかそこをどう工夫して、
そこに光を見出していくかそれが、すべてであること

今の私の大脳の限界より

 私自身が、実は、非常に生きづらさを抱えて、生きている子供でした。
それはずっと成人後も続くことになります。
関連する記事は以下を
そして、命とは何かを、共に考える。|命に向き合うとある看護師 (note.com)
 だから、私は
今、病院で働く中で
自らの体を傷つけてしまう、
死にたいと生きる意欲をなくしてしまう
そして、実際に衝動的に、実践して救急搬送される
自殺企図患者に対して、
心の中で少し、その患者側の気持ちを理解しようとして
できうることはないかと考えるのだと思います。
その出来事があったおかげで、
間違いなく私の患者理解は、深くなったといっても過言ではない。


 そうはいっても軸がぶれやすい私は、
今人生100年としてその折り返しの年齢にあたりますが
今でも、
『あの親の影響で。』とつぶやいている
表出しているじぶんが日常にいて
ハッとする事があります。
 そしてそんなときは、
その自分も認めて責めずに
そう表出したことをできうる限り
次に、生かしていこうとして
そのぐるぐるとした、葛藤の中に光を見出そうとして
また今ここで表現している。


 ようするに
『愛』に限らず、
様々な事象を
どんな視点でみられるかは、
最終的に自らで決められるという事実

ずっとそこにあるということなんですね。
過去、今現在もですが
受けた事象について
どうみていくか、どう解釈していくかを
自分で選ぶ自分で決めることは
どういう自分でいきてくのかを決める事につながっていく。

~そして、病院の中で、様々な患者様、スタッフに出会い
時に悔しく寝れないことも
時にうれしくて寝れないことも経験し
今ここで存在している、息しているってことは
もうすでに、愛されているんだと実感するようになりました~

 過去愛されなかったから。。
今愛されていないから。。という解釈だと
愛されない自分として、自分自身が自分を
フィルターを通して頼りない自信のない自分を
創り出して、そしてそう生きていくことになります。
~時にそれが
人によっては、ストレスや、精神的バランスの不安定さを
より促進させて、
愛着障害とは別に、
自分で自分の首を絞めることになる。。


だから、『親ガチャ』とか、『条件付きの愛』などと
一辺倒に
今そこにある愛を、解釈せずに
一度、
解釈を見直してみる、時に難しい時は
誰かと話しながら、誰かの助けを借りながら
もしかしたらその想いこみ、観念を
そっと丁寧に無理せず時間をかけて
勇気をもって、脱ぐこと
それは自分で自分の人生を生きると決める事。
自分を愛することにつながる。。。と思います。


時と場合によりますが、
自らが実践した愛、受けた愛どちらもですが
時に人は、
自らの思い込みと、観念にて苦しんでしまうこともあります。
そちらを覚悟を決めて、でも軽やかに
ちょっと見直してみる作業、、それが
自らの人生の主人公が自分であることを思い出し
そして『生きているこの日常』そのものが
景色がかわることもあるということかもしれない。。


 今日は
前回2週間ほど前に記し
ずっと自分の心の中に、違和感を感じていたこと
そしてその違和感について
時に他者と話したり、自らで内省したことを含め
記しました。

愛は、目に見えないし、これです!とデーター化するものでない
愛は、でも明らかに今ここにあり、だから私たちは存在している

それぞれの関係性の中で生み出している愛
そちらについてどう解釈していくか、そしてその中で光を見出す姿勢
それがよりよく生き抜き、そしてよく死ぬ事かもしれない。

そう思っています。だから愛は、そこにあるもので、
かつ自分の心もち、解釈で、いかようにも変えられるということ。

今生きてる中で、気づけたことが
上記でした。
今日も私の中での愛の見解が深まったことに感謝して
すべての出会いと出来事に愛をこめて

皆様よき週末をお過ごしくださいませ。


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