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六畳間のむつみ荘から、東京ドームを経て、土曜の深夜に戻る

※「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」に関するネタバレがあります。ご注意ください。

2024年2月、赤えんぴつが武道館を真っ赤に染め上げた興奮の冷めやらない中、ラジオリスナーにとってもう一つのビッグイベントが訪れようとしていた。

遡ること11ヶ月前、いつもと違う雰囲気で始まったその放送は、その日が東京ドームからの生中継であること、そして約1年後に4万5千人を集める史上最大規模の番組イベントの開催を発表した。
「オードリーのオールナイトニッポン」、番組放送開始から15年経過した今もなお、リスナーの数を飛躍的に伸ばし続けているモンスターラジオである。

ハナから現地での参戦を半ば諦めていた自分は、直前にデビットカードに紐づけている口座の残高が足りず大量注文したグッズが軒並みキャンセルを食らうといった悲劇に見舞われつつも、予め確保していたヘアバンドと黒の宣伝Tシャツを身に纏い大阪某所の映画館に来ていた。

全くもってそんな場合ではないのに勢いで買うつもりのなかったリトルトゥースユニフォームを購入し、なんなら自分でラベルを設定することができると言うドリンクサービスで痛さ丸出しのラベルを書き出した上でライブビューイングに臨んだ。

若林が好きだと言うミルクティーを選択した

普段はライブでも自分の周りが言うほど盛り上がってないな、と判断したらリアクションを控えめにしてしまうタイプなのだが、今回はそういった遠慮を全て取っ払って楽しむことにした。
本気で笑い、割れんばかりの拍手をし、思いをスクリーンの向こう側、約束の卵へ届けるという一心でのめり込んだ。

会場も演出も、その規模は5年前の武道館のそれをはるかに上回っている。
それでもなお、どこか近さというか、放課後のバカやってる感がいい意味で抜けないのは彼らのらしさなんだろうか。
体力作りの一環で始めた自転車がきっかけでUber Eatsの配達員を始めた話。
学生時代足繁く通った中華料理屋の店員と再会し、思い出の味を伝授してもらう話。
いつも通りの、深夜にラジオのチューニングを合わせたら聞こえてきそうな話をしていた。

その後、往年の27時間テレビを彷彿とさせるような、まるでビートたけしが明石家さんまに対してしたように若林が春日の愛車のゲレンデにあの手この手でイタズラを仕掛けるひろしのコーナーがあったり、「外食のラーメンで味玉をつけるか否か」で春日とフワちゃんが本気でプロレスをしたり、星野源がサプライズ登場してLIGHT HOUSEが一夜限りの再結成を遂げたり、とても濃密な時間が流れた。

その後、お馴染みの「死んでもやめんじゃねーぞ」で程良く空気の解けた会場は、エンディングへと突入していくのであった。

ラジオブースを模したトロッコでオードリーとチーム付け焼き刃が会場内を一周しながら客席につっこんだりその日の感想を言い合ったりする。
途中「今後ニッポン放送のイベントでトロッコが恒例になるんじゃない?佐久間さんとかやりそうじゃん」という話になった時は「もうやってるんだよなぁ…」と思ったし、「これは反省柱案件だなぁ」とも思いました。
同じことを思った方、家の中で一番強そうな柱を選んで近所迷惑にならない範囲でやりましょう。
佐久間さんは水曜日のオンエアでよろしくお願いします。

一旦イベントの幕が下りたのち、本番とも言えるオードリーの30分超えの本気漫才が始まる。
正直、圧倒された。
漫才の枠をはるかに超えた、オードリー24年の歴史の詰まった、あの頃の2人のじゃれ合いを見ているかのような錯覚に陥る「人(にん)」の詰まった漫才だった。

そうして、3時間半にわたる長丁場のイベントが終わった。
1年前、発表されてからあっという間だった気がする。
結局この1年間で俺自身は何も為せなかったどころかより一層転がり落ちてる気が否めないでもないが、でもこの1日は間違いなく俺の人生の「お守り」になるかもしれない。

もし、もし次があるのならば。
次こそは現地で、生で、同じ空間で、「同じ周波数のムジナ」改め「おともだち」と全身にトゥースを浴びたい。そう思えた時間だった。

ありがとう、オードリー。
これでまだもうちょっと生きられるよ。
また、土曜の深夜にお会いいたしましょう。

アディオス!

割とカツカツな人生の足しにします。割とどころじゃなくてマジでカツカツなのでサポートしてくださるとありがたいです。