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議事録 参

 企画にゴーサインが出てからの僕たちはてんてこ舞いだった。週に何度も顔を合わせて詳細を詰めて、撮影までの段取りや分担を話し合った。七月下旬の定期試験を辛うじて潜り抜けて夏休みに入ると、本格的に泉高祭のムードが上昇した。今まで無機質だった廊下や壁際に資材が運ばれ、放課後に至る所で生徒や先生方が準備に奔走している光景が見られるようになった(「奔走」という言葉は、学園祭の忙しさを体現する最も的を射た表現だと思っている)。
 帰路、真っ赤に染まる校舎を出たとき、ふと門の下の方に文字が刻まれているのに気がついた。一年以上も通っていて、意識したことはなかった。雑草の茂みで隠れていたのが、泉高祭に備えて除草したことで露わになったようだ。そこには「KJ・ハル」と書いてあった。不思議なイニシャルだなと思いつつ、僕は急ぎ自宅へ走った。
 泉高祭の十日前、自宅で生徒会メンバーのシフト表作りに疲れた僕は、仰向けになって窓の外を眺めた。白いクッションを二つ、三つと重ねたような入道雲が、こちらを見てにっこり笑っているようだった。母親が「根を詰めすぎないでね」と麦茶を持ってきてくれた。親一人、子一人の家庭で育った身としては、わずかな母親の仕草や言葉さえ胸にすっと入ってくる。もっと反抗してもいいくらいなんだろうけれど、不思議と母親に楯突く気が起こらないのだ。
 僕はふと思って、母親に尋ねた。
「あのさ、なんで僕、生徒会を始めたんだっけ?」
 母親は目を丸くして馬鹿息子を見つめる。
「突然何を言い出すかと思ったら。まったく変な子ね。中学一年生のときよ。ほら、学年で誰も生徒会に立候補する人がいなくて、担任の先生が貴方に白羽の矢を立てたのよ。『毎日本ばかり読んで暇そうだから』ってね」
 いい加減な理由だなと呆れてしまったが、今から思えばその担任の先生の言う通りだったのだ。中学までの僕は友達がほとんどおらず、話しかけてくれる子に対しても頑なに心を閉ざして受け付けないようにしていた。「僕」という人間が何者すら知らないくせに、必死に「僕」の世界を守ろうと躍起になっていたのだ。その鉄壁の鎧が脱げるきっかけになったのが生徒会だった。生徒会には、クラスでは出会えないおもしろいメンバーがなぜか集まってきた。みながみな、自分の存在を強く主張していて、それが許されている雰囲気があった。だからこそ、僕は僕の思いや意見を素直にぶつけられたし、口下手であっても仕事を話題にして他者と関わることができたので、心地よい安心感を覚えた。
「小説にのめり込んで、生徒会にもハマって。とことん少数派の趣味に浸る癖があるわね。本当、先行きが不安だわ」
「ひどいなあ、母さん。別にマイノリティがマジョリティより悪いわけじゃないだろう」
「まーた、小難しい言葉を覚えてきて。誰にでも伝わる表現を使いなさい」
 文句を言いつつも、すっと僕の隣に座った母が囁いた。
「まあいいわ。好きになったものは、徹底的に好きになりなさい。妥協は許さないわよ」
 千回以上は聞いた母の言葉に、ありがとうと言おうとしたときには、母は夕食の支度のために台所へ消えていた。僕はお腹に力を入れて、シフト表作りを再開した。

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