記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「インサイド・ヘッド」に「愛」というキャラが登場しない理由

映画「インサイド・ヘッド2」を観た。とても感動した。しかし気になったことがある。なぜ主人公ライリーを始め、どの人間の脳内にも「愛」が感情キャラクターとして登場しないのか。

しかし少し考えたら理由は(自分としては)明確に分かった。登場しないどころか、至るところに「愛」があるから、感情のキャラクターとしての「愛」は登場しないのだと思った。

「ヨロコビ」も「カナシミ」も「イカリ」も、すべて「愛」の上に存在している感情たちなのだ。

!この記事は途中からネタバレを含んでいるので、ご注意。ネタバレの前にもう一度注意喚起します!


隠れテーマは自己愛

「ヨロコビ」、「カナシミ」、「イカリ」たちは、ライリーの感情であるが、彼ら自身はそれぞれ、ある程度独立して思考をしているようだ。ここで、彼らにある共通点は「どの感情たちも、ライリーの幸福こそが最大の『願い』である」ということだ。彼らが喜び、悲しみ、怒るのはすべてライリーのことを思った結果であり、またそのそれぞれの感情を通じでライリーに影響を与えることで、ライリーを幸せに導こうとする。

「インサイド・ヘッド2」では「シンパイ」の感情が登場し、ライリーの将来を心配しすぎることでやや暴走してしまい、時に旧来の感情たちと対立をする。しかし、この「シンパイ」でさえ、ライリーの幸せを願って行動しているという点では他の感情と共通しているのだ。

「あなたの感情はあなたの幸せを願っていますよ」というのがこの作品の隠れテーマなのだと思う。

人は自分自身を守るために、進化の歴史の中で、複雑な感情というものを発達させたのだろう。

またもしこの作品の中に、心が壊れてしまった人が登場したら、その人の脳内の世界には、「ヨロコビ」、「カナシミ」、「イカリ」たちがあまり存在しないか、そのほとんどが不活性化してしまっているという形で表現されるのだと思う。

現に、ライリーが心を閉ざしてしまう、またライリーの心の機能が不健全になるということは、この作品においては、感情たち(あるいはその一部)が脳内のコントロールパネルがある部屋から追い出されるという形で表現されている。

基本的に愛というのは「相手の幸せを願っての言動」だと思うので、まさにライリーの感情たちは、ライリーに対する愛情故に行動していることになる。

自分の感情が存在する理由は自分を守り、自分の幸せを願うためなのだ。

「シンパイ」は将来起こるリスクを予見し、それに備えることを促す。「カナシミ」はあなたの精神状態が良くないことを知らせ、精神的な休息を促す、といった具合だ。

!以下、重要なネタバレを含みます!

「ハズカシ」と「正義」

今作は基本的に、「ヨロコビ」ら旧来の感情と、「シンパイ」ら(思春期に対応した)新しい感情が対立する構図になっている。その中で、「ハズカシ」という感情が、新しい感情であるにも関わらず、途中から旧来の感情にも手を貸す存在として重要な役割を果たしている。

「ハズカシ」は仲間思いだ、という描写はされているものの、なぜ手を貸してくれた感情が「ハズカシ」なのかは、作品の中で描写されることはなかった。

しかし、これは「ハズカシ」が正義感という感情を(暗に)含んでいるからだと思う。

「正しくあろうとすること」は愛にとって不可欠な存在

相手を思う気持ちというのは複雑だ。相手のことを思い過ぎるばかり、人は時に自分勝手な行動をしたり、また相手を苦しめたりすることもある。本当に相手のことを考えた言動をするためには、常に自分自身に「自分の愛は正しいのか」ということを問いかけることが大切なのだ。

「恥」は反省を促してくれる感情だ。本当に自分が行っていることは正しいのか、人に誇れるようなことなのか、あの立派な人間に比べて劣っているのではないか、と「恥」は時にして反省を促す。

「恥」がなくなった人間はどうなるだろうか。そういう人はきっと暴走する。愛だとか、安全性だとか、自分自身の短期的な快楽を大義に、人間を良くない方向へと導いてしまう。

もちろん「恥」そのものが必ずしも正しい方向に左右するとは限らないのだが、「恥」という感情のポイントは、外界や新しい価値観との架け橋になっていることだと思う。とても重要な役割を果たす。

人間という種には、生物としての本能を超えた成果や行動に辿り着く個体がしばしば存在するが、そういった個体をもたらすのは正義感や恥といった感情なのだと思う。

次回作では他者愛に期待したい

ライリーの成長に合わせてストーリーが展開する「インサイド・ヘッド」だが、このペースでいけば、第三作ではライリーは20歳前後になっている可能性が高い。

「インサイド・ヘッド2」ではライリーがいじめっ子を助けるシーンがあったりもするが、基本的に脳内の感情たちはライリーの幸せのみに反応して右往左往する。(しかし一方で、ライリーの親の脳内では感情たちが他者であるライリーのことで右往左往している描写も多い。)

しかし、愛には2つある、1つは自己愛で、もう1つは他者愛である。次回作では、ライリーの感情たちが、他者のことで、喜び、悲しみ、怒るところを見てみたい。人の気持ちを自分のことのように感じることは、他者愛への第一歩である。

また愛や恋がテーマになったときに「ハズカシ」がどんな活躍をするのかも個人的な密かな楽しみである。

*愛については、以下の記事で深堀りしているので、是非読んでいただければ幸いです。

Hikari「モテすぎて辛い男について」

https://note.com/to_hikari/n/nd246f0c00572

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?