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連載小説|挑み続けるアンゲシュテルター #1

この連載小説は毎週月曜の更新を予定しています

僕の名前は、橋谷はしたに英志えいじ。某製造メーカーに就職して3年と3ヶ月が経過したところです。職場は人事部、主に社内の労働待遇や人材育成のプログラムに関わる仕事をしています。
入社して間もない頃は右も左もわからず、ただ先輩や上司から頼まれる仕事を黙々とこなしていたけど、最近は一人で担当することも時々あります。

一見すると順風満帆に見えるかもしれないけど、僕には永遠に解決できない問題を一つ抱えています。
それは、僕がハーフであること。
ドイツ人の父と、日本人の母。父は日本が気に入っていて、すっかり日本人だと思いこんでいるぐらい。だから、僕の名前もごく普通な日本名なんです。
しかし、遺伝子は正直で、僕の顔は父の面影が強く出てしまっている。これが、僕をいつも悩ませていた。

「英語しゃべれるんでしょ?」
「おまえ、顔と名前が合ってなくね?」
「髪の毛を染めてるんじゃない!」
「外人みたいだね」

皆、単純な興味本位だけで喋りかけてくるだけだと思っています。小さい頃は人気者だった気がして楽しかった。中学高校になると、見た目で判断されて誤解されることが多く、僕の気持ちを理解してくれる友人はほぼいなかった。大学時代には、同じような境遇の友人が多く見つかり、今でもSNSで交流を続けている。大学の教授もいい人に恵まれて、僕のこの生い立ちを生かしてキャリアコンサルタントの学科試験合格に繋がりました。
さらに、その教授の指南もあって、こんな複雑な境遇の僕でもすぐに内定がもらえました。

だから、会社内でも自分のできる事を最大限発揮したい。そういう気持ちで毎日出勤しています。
「真面目すぎだよ、英志くん〜」
そんな僕に色々教えてくれる先輩の小山おやま主任は、いつもラフに構えていて僕の真面目さに呆れている。でも、このラフさと真面目さを足して2で割ると程よい論点に着地することが多く、かみ合わせは抜群だと思っているのです。
そして会社内を舞台にした人事活劇の幕が上がっていきます、この先輩と共に。


第1話 止めろ!退職ハリケーン

1.リービングメッセージ

「昨今、キャリアに関する情報や大手転職サイトのCMが増えたことによって、自分自身を見つめ直している人が増加傾向にある」
「当社でも、ここ2年間と、過去10年間の退職者数を比較したところ、2.8倍に増加していることが、このグラフからもわかります」

人事部の担当役員である、新條しんじょうさんに、小さな会議室でプレゼンしている。新條役員はふんふんと頷きながら手元の手帳にペンを走らせている。少し間を開けて、再び説明をする。

「退職時の理由について、人事部と面談に応じてくださった13名の回答をまとめたのが、こちらのスライドです」

  • 上司との関係性悪化 ・・3名

  • 家業を継ぐため ・・1名

  • 会社の待遇、福利厚生面の不満 ・・1名

  • 両親の介護のため ・・2名

  • その他 ・・6名

「その他ってなんだ?」

新條役員が即刻突っ込んでくる。小山主任がのっそり起立し、プレゼンしている僕の隣までやってきて、体を新條役員へ向ける。

「分類が難しく、言いがかりのような内容です。個々のコメントは全部紹介できますが、いかがしましょう?」

役員に詰め寄られていても、落ち着いたトーンで対処してくれる頼れる先輩。

「ぜひ教えてほしい」

新條役員はそう言うが、隣にいた水浦みうら部長の表情に焦りが見えた。それを確認しつつ、小山先輩が手元の資料を読み上げていく。

  1. 仕事に対する評価が想像より悪く、評価制度に不信感しかない

  2. 営業部の重点活動と全く関係ない業務ばかりで、やりがいを感じなかった

  3. キャリア構築という名の下で肉体労働ばかりだった

  4. H役員から「絶対に昇格はさせない」と断言されたから

  5. 人事部の施策である給与体系の見直しに、嫌気が指したから

  6. モラハラされ続けていて、人事部に相談したが相手にされなかった

濃厚な内容であり100%人事部案件ばかり。小山先輩と僕はこの内容を表に出したかったが、水浦部長からは「その他にまとめておけ」と指示されていた。だから、今こうやって改めて役員から開示を求められる状況に僕は、水浦部長に対して「してやったり感」を感じて満足する。

新條役員は手元のペンを走らせた後、慎重に言葉を選びながら発言した。

「それらの理由こそ、人事部として真に受け止めるべき事実ではないか?」

重たい一撃だった。だんだん目が泳ぎ始めた水浦部長が、こちらをチラチラ見てくる。それは憎悪ではなく、助けて!というヘルプに見えた。

「そうだと思います。それぞれ理由がバラバラですので、原因追求には時間がかかりますが、対応策を検討したいと思います」

僕の中では100点に近い回答だと思った。でも、新條役員は、険しい表情でそれの上をいった。

「ちがう!それじゃいつまでに対策をやり切るのかわからん!真剣度が足りない!」

おっと、ご機嫌が悪い。そして次なる言葉で、小山先輩と僕のこれからの任務を命令されたようなものだった。

「一昨日、技術部で若手社員8人の集団退職の申し入れがあった。今朝の役員会で報告があったのだよ」

ウワサでは聞いていたが本当に実行したのか、と冷静に関心する。今の時代、転職エージェントという存在がいるせいか、個人の労力をかけずとも転職先がみつかる場合が多い。8人同時なんて不可能な事ではない。
ここまで何かにうろたえ続けた水浦部長が、ようやく発言する。

「そ、早急に対応策を検討します」

それが答えではないんだよ、とも言いたげな顔のまま新條役員はそれ以上何も言わなかった。
すっかり脱線した報告会の流れを取り戻そうと、小山先輩が場を仕切りなおす。

「お時間もありますから、残りの報告を簡単にさせてください」

そういうと、僕の顔を見てきた。すぐさま僕は残りのスライドを説明しきった。

会議で使用したノートパソコンをシャットダウンさせつつ、空調をオフにする。忘れ物が無いか、会議室をぐるりと回ったところで小山先輩が話しかける。

「どう思う、8人同時退職なんて、さ」
「今の時代の流れかなと、思います」

諦めたような口ぶりで答えた。

「給与とか、個人のやりたいことを叶えるとか、相当おぜん立てしないと働けないものかな~」

小山先輩が達観した表情で言った。

「やりがいのある仕事に出会えたら、いいんですけどね」
「それをさ、人事部の施策に期待されてるんだよ」

小山先輩の表情が急に険しくなった。キャリアコンサルタントの知識を持っている僕の意見と同じだった。キャリアは、自分で考えるものだ。
すでに会議室の片付けは終わっていて、事務所へ戻る廊下で意見を交わしていた。

「それで、今日の新條役員の宿題はどうするんでしょう?」

内心、携わりたいと思う気持ちが強かった。興味本位の範疇だったけども。
少し小声になった小山先輩が持論を展開してくる。

「いやまて、英志君。8人同時退職の件は、アンケートにあったパワハラH役員の部署のことだ。首を突っ込んでも面倒なことになるから、水浦部長には今やろうとしているキャリアアッププロジェクトだけで精一杯だと主張するんだ」

ただでさえプロジェクトで忙しいのに、緊急案件を取り込んでいる余裕がないという気持ちはわかった。良心が痛むが、先輩の言う通りだと感心した。

「そう、ですね。今のプロジェクトに集中します」

そんなコンビは事務所の席も隣同士。コホンと軽く咳払いをして何事もなかったかのように着席する。そこで20秒ぐらい経過したところで、嵐がやってきた。

「おう、新條さんへのプレゼンどうだったか?」

ガサツな声の掛け方で、今までどこに行ってたか分からない課長が事務所に戻ってきた。大人しい属性に分類される先輩と僕に対し、この課長は「昭和」の匂いがするパワハラ気質のとても危険人物だ。名前は、名頃なごろしんという。ひらがなで書くと「なごろしん」。職場では影で「み」をつけて「みなごろし」というとても物騒なあだ名をつけている。
実際、数人の女子社員を退職に追い込んでいるから。

「散々でしたよ、どうも機嫌が悪くって」

小山先輩が名頃課長に回答する。

「そうか、やっぱりな。技術部の話、言ってなかったか?」

先ほどの他己紹介ではヤバい奴と言ったが、この人、実は仕事はできる。行動力と決断力が半端無いのである。

「言ってました、聞いた時は驚きました」

素直に僕は答える。

「そうかそれなら話が早い。明後日、事情を聴きに技術部の半田役員のところへ行くぞ」
「ええ~・・っ?」「ええ~・・っ?」

息が合ったように担当者二人が声をそろえる。半田役員といえばさっきの会議でその他に分類していた退職理由の一つに挙げられていたパワハラなH役員のことだ。
名頃課長はニヤっとした表情のまま、水浦部長の前にズカズカと向かい、この話について了解を取っていた。水浦部長は驚いた顔のまま何度も高速で頷いている。そこは止めるところだよ、部長さんよ・・。

「よっし!」

どうやら悪いほうに話がまとまったみたいだ。
と、名頃課長がこちらの席に戻ってきた瞬間、小山先輩が席を立ち課長に近づいた。

「課長、キャリアアッププロジェクトも佳境なので、私はこちらのプロジェクトに集中したいと思います。橋谷君の業務は今日の会議で一区切りしています」

先輩にハメられた。

「あ、そうか。んじゃ橋谷、半田役員とのアポ取りよろしくっ!」

即決・即断。

僕はこうして、会社内に蔓延る根深い問題に立ち向かうことになる。

つづく

この作品はフィクションです。
実在の人物、地名、団体、作品等とは一切関係がありません。

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