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AI美空ひばりから考える”死後のデジタル労働”という概念

(サムネイル引用元:https://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20190929)

AI美空ひばりに起きた賛否両論

昨年の大晦日の紅白歌合戦をみなさんご覧になられたでしょうか?
その中で「AI美空ひばり」が大きく注目を集めました。

AI美空ひばり
『NHKスペシャル AIでよみがえる美空ひばり』の企画として制作された。
機械学習という技術を駆使して、美空ひばりの声、歌い方を再現することができる。それと同時に秋元康作詞の「あれから」が制作され、第90回紅白歌合戦では美空ひばりのCGが同曲を歌唱した。
機械学習
昨今、AIと呼ばれるものの多くに利用されている技術。
名前の通り、機械にデータ(画像や顧客の統計など)を学習させる。そして、機械に画像の内容や顧客の動向などを予想させることができる。
この辺の専門用語などについてはまた別のnoteで解説しようと思います。

AI美空ひばりは大きく賛否を巻き起こしました。
「賛」の意見としては「感動した」「すごかった」などという声があった一方で、
「否」の意見として「死者への冒涜だ」という声もありました。

さて、ここで「死者」に注目して今回の議論を掘り下げていきましょう。

死後のデジタル労働という概念

今年の3月、Whatever Inc.というクリエイティブスタジオがD.E.A.D.という意思表明プラットフォームを公開しました。

D.E.A.D.というのはDigital Employment After Deathの略、つまり死後のデジタル労働という意味です。臓器提供の意思表示をするように、死後のデジタル労働の意思表示ができます。

死後のデジタル労働、という概念を考えたことがありましたか?
僕はこのプラットフォームが公開されるまで考えたこともありませんでした。

死後のデジタル労働は僕たちに関係ある話題でしょうか?
この時点では死後のデジタル労働はミュージシャンや芸術家などに関わる話であって、僕たちには関係ない話のように思えます。

そこでさらに死後のデジタル労働の例を上げたいと思います。

AI美空ひばりと同じくNHKによる企画『復活の日~もしも死んだ人と会えるなら~』が昨年3月に放映されました。

この番組ではAIに用いられる技術を利用して、お笑い芸人の出川哲朗さんが死んだ母親との再会を果たす、という内容のものでした。

似た例として韓国では死んだ子どもとVRで再会するドキュメンタリーが話題になりました。

もう一度考えてみましょう。
死後のデジタル労働は僕たちに関係ある話題でしょうか?

死後のデジタル労働の成立条件は案外簡単なことかもしれません。

僕たちが死んだとして、死んだ僕たちに会いたい誰かがいれば、それだけで成立するのではないでしょうか?
もしくは僕たちが死んだ誰かに会いたいと思えば、死後のデジタル労働をさせる可能性すらもあります。

たしかにまだ一般的な技術ではなく、テレビなどの企画などでしか実現することはできません。しかし、そう遠くない未来AIによる擬似的な死者の復活が一般的なサービスとなる日が来るでしょう。

ここで議論を深めるため、最後にもう1つだけ例を上げます。

17世紀のオランダ人画家レンブラント・ファン・レインの"新作"を人工知能がつくるプロジェクト「The Next Rembrandt」というものが2016年にありました。

The Next Rembrandt
2016年にオランダの金融企業INGが広告事業としてMIcrosoftやデルフト工科大と協力して実施したプロジェクト。人工知能にレンブラント・ファン・レインの絵画を学習させ、レンブラントの「新作」を作成しようとした。本プロジェクトはカンヌライオンズをはじめとした世界的な広告賞を複数獲得。

このときも死者への冒涜という議論は起きましたが、AI美空ひばりに比べ賛の声が多かったように感じました。

そして、「The Next Rembrandt」の時点ではまだ死後のデジタル労働という概念はありませんでした。

あなたは「The Next Rembrandt」を死後のデジタル労働と考えることができますか?

僕がnoteで伝えたいメッセージ

ここで今回の本題とは少しずれますが、僕の話をさせてください。

僕がnoteを書く目的は
「AIを含めた新しい技術とその技術に対する価値観に興味を持つきっかけを提供すること」
です。

また別のnoteで扱いますが、
技術は時に人を不幸にします。そして、今その危険性を大きく孕んでいる技術がAIです。

一方でこれから僕たちの生活に深く関わっていくであろう技術もAIです。
よく言われるものとしては2030年には今ある職業の半分がAIに取って代わられ、2045年にはAIは人間の能力を超えると言われています。

僕たちの生活を大きく変え、不幸にする危険性を持つAIを迎え入れる準備を僕たちはできているでしょうか。

いえ、できていないでしょう。AIに対する知識も、価値観も、議論も十分ではありません。

みなさんと一緒にAIを迎え入れる準備ができるようにnoteを続けていきたいです。

僕たちは何を議論するべきか。学ぶべきか。

本題に戻りましょう。
今回僕がみなさんと考えたい疑問は大きく2つ。

・死後のデジタル労働は僕たちに関係ある話題でしょうか?
・あなたは「The Next Rembrandt」を死後のデジタル労働と考えることができますか?

最初に
あなたは「The Next Rembrandt」を死後のデジタル労働と考えることができますか?
から考えてみましょう。

おそらく、ここまでnoteを読んでいただいた今なら死後のデジタル労働と考えられるでしょう。

では、なぜ「The Next Rembrandt」の時点でその概念は生まれなかったのでしょうか。

その答えは明確で、世の中のAIに対する価値観がまだ未熟だったからです。

新しい技術が導入される際に必要なのは
技術の背景理論、エネルギーや装置などといった技術的基盤だけでなく、

法整備といった社会的基盤、さらには価値観や倫理観といった哲学的基盤も必要となります。

つまり、様々な技術の活用例が出てくるに従って僕たちは議論を重ねて、ルール作りをする必要があるとともに、技術のより良い使い方を考えていく必要があるのです。

それは当然、AIにも当てはまります。

最後に
死後のデジタル労働は僕たちに関係ある話題でしょうか?
を考えましょう。

2つの意味で僕たちに関係ある話題だと思っています。

1つ目は前述の通り、僕たちも死後のデジタル労働をする可能性、させる可能性があるということ。単純に直接死後のデジタル労働に関わる可能性があるのです。

もう1つは、AIがやがて身近なものになるからです。
やがて、AIが身近になるからこそ、僕たちはAIに対する価値観を深める必要があるのです。

死後のデジタル労働というのはAIの新しい価値観の1つとして、考えやすいものではないでしょうか。

死後のデジタル労働が良いものか悪いものかも今の時点ではわかりません。また、どういうときに使用されるのか、状況によっても変わるでしょう。
だからこそ、議論の余地、価値があります。

そして、死後のデジタル労働はAIによって生まれる新しい価値観のほんの一例に過ぎません。

先程、世の中のAIに対する価値観がまだ未熟だから、と言ったとおり、これからAIに対する新しい価値観が次々と生まれてくるでしょう。

新しい価値観が生まれる度に僕たちは議論を重ね、僕たちのAIに対する価値観をアップデートする必要があります。

だから、まず考えやすいところから、AIについての議論を始めていくことが、やがて来る未来への準備になるのではないでしょうか。


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