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映画『the little things』

 真実は細部に宿る。
 だから、これでもかという程に良く観察し、あらゆる角度からものを観る事が肝要だ。
 私達の目は大抵節穴で、見ているようで見えていないし聞いているようで聞いていない。だから奥さんに怒られるのだ。帰宅した時の髪型の違いに気が付かないなどというのは言語道断で、観察不足を通り越して無関心としか言えない。もっとも、無関心なのはそれにとどまらず、昨日の晩ごはんすら何を食べたのかすぐには思い出せないくらいに私達の注意力は散漫だ。

 しかし、これがひと度仕事のこととなると案外と細かなことを覚えていられるもので、下手に他人に指摘したりしようものなら逆に嫌われたりもする。家でそんなことをすれば喧嘩を売っているのと同じ事なので、結局のところ無関心がちょうど良いのかもしれぬ。

 殺人事件の捜査をする超優秀な刑事が何かのきっかけで心に傷を負うのは稀ではないだろう。毎日のように残忍な犯行現場に遭遇しているうちに、遺体が放つ強烈な異臭すら感じられなくなるくらいだから、どこか心に変調をきたしてもおかしくはない。
 犯人を検挙することに異常な執着を見せるのは、殺された被害者の無念を晴らすためだ。その想いを背負ってしまった刑事は、たとえ家族との時間を削ったとしても捜査に執心することをせずにはいられなくなる。

 個人の生活と仕事を切り分けてそれらのバランスを取るという考え方が持て囃されていたりする。仕事でのあれこれをプライベートにまで引きずるのは精神的に良い事ではないが、そもそも人の心は分割など出来ない。 仕事でのことであれ、後々も苛まれる出来事があったとすると、それを無視して前に進むことは普通は出来ない。それでも立ち止まっている訳には行かないのも事実。 だから、見えないところに葬って無かったことにする事が必要だし、それは些細なことだ。 少なくとも亡霊として蘇って来るまでは。

 日本では公開されなかったこの映画の主人公を演じるのは名優デンゼル・ワシントン。それなのに上映されなかったのはコロナの影響が大きいだろう。しかし理由はそれだけでは無い様に思える。
 終始暗いトーンのまま話が進み、終盤に掛けて物事が見えてくるに従い映像のトーンだけは明るくなる。
 淡々としながらも最後に畳み掛ける展開が待っているプロットは良いとしても、ありのままに受け止めるには重すぎる結果が待ち受ける物語は万人受けはしないだろう。
 私は見ながらブラッド・ピットの『セブン』を思い出していた。しかし、かの映画が人間の闇に焦点を当てたものだとしたら、この映画は現代社会への痛烈な皮肉である。批判ではなくシニカルなコメディであると気が付けばニヤリとしながらエンドロールを眺められるだろう。

 それにしても、この映画のタイトルが全て小文字であるのは何でだろうか。
 是非考えてながら味わってみて欲しい。

おわり

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