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エッグスタンド(萩尾望都)、16タイプ

前回までのあらすじ


それでは、ポーの一族に引き続き、今回はエッグスタンドの16分析をしていきましょう。何か意図せず厳しい内容になっちゃったから、続きは、精神分析ファンの方だけどうぞ。この作品は、精神分析向きですね。


ラウル (ISTP)
とてもわかりやすいISTPだと思いますね。一見するとラウルは、自分のエゴ(Ti-Ni)のために平気で母親を殺すし、ものすごく精神体にタフそうでしょう。だけど、実際は相当に脆いんです。その証拠に、彼は一人は寂しくて一人ではいられない。内向的思考型は、理性の負荷に強いだけで、感情の負荷にはものすごく弱い。そして、とても人恋しいんです。この堪えがたい人恋しさとは、外向的感情が弱いほど起こりやすいんです。わかりにくいか。えっとね、例えばENTJ/ESTJだと内向的感情が劣等ですよね。内向的感情が劣等だと起こることは、人愛しさです。人愛しさというのは、誰かに愛されたいという感情です。一方の、外向感情型が劣等で起こる人恋しさと言うのは、誰かにそばにいて欲しいという感情です。人愛しさ(Fi)の中心が自分である一方で、人恋しさ(Fe)の中心は他者なんです。他者がいなければ埋めることができないんです。それで、ラウルにとっての性というのは、誰かに一緒にいてもらうための行動なんでしょうね。ラウルは超然としているようで、人が自分の傍にいてくれる状況だけは手放すまいとしている。終盤、ルイーズとの間に疑似的な姉弟の絆(半分恋心)が芽生えかけた瞬間、それは踏みにじられる。これは、ISTPが最も嫌がる展開だと思いますよ。ISTPにとって何よりつらいことは、家族を失うことですからね。

なのに、どうして母親を殺せたのか、ですか。少年は男です。女が男を実力だけで支配することなど、不可能なことですよ。女性というものは、概して自分の愛する力を過信する。だけど、男性の破壊する力の方が、もっと強いのです。愛する力より、壊す力の方が強いのです。

ラウルが口にする、"愛も殺人も同じものじゃないの"という主張は、極めてISTP的です。愛すること(Fe、寄り添う)と殺人をすること(Ti、拒絶する)は同じものだ(Ni)というのは、一見超然とした論理に見えるけど、その実かなり私的な発言であるわけです。自分が思う分には愛も殺人も同じ、というのがラウルの感じ方だというだけのことです。

ラウルの視点に戻して、愛が奪うものならば殺人と同じである、という主張が仮に正しいとしましょう。ただ、それだけでは、殺人は奪うことなのだから愛もまた奪うことだ、とまでは言えないのです。アーギュメンテーションの観点から言えば、ラウルの主張は誤りです。


ルイーズ (ESFJ)
ルイーズは、現実的に多芸ですよね。歌える、踊れる、外国語も堪能、こういうのは感覚型かつ感情型の特徴です。服のセンスも女性を出すことをわきまえているとなると、彼女はESFJですね。僕のフランス人の先生(ESFJ)も、ルイーズみたいな性格をしていますね。とても察しが良いんです。勘のいいESFJというのは、本当に僅かなサインから相手の感情を察する力があります。ほら、ルイーズってラウルと接するとき、こういう自問自答を心の中ではさむでしょう。"それは…、きっと…、でもいいわ。私たちの今を見ましょう。今をやっていかなきゃいけないのよ"っていうのね。これはとても、ESFJ的なリアリズムですね。自分がではなく、周りが中心になってルイーズの世界は回っている。周りがあるから、彼女の日常はあるんです。そういうところは、とても外向的感情型ですね。そういう日常に縛られているからこそ、マルシャン(ENFP)の理想論(Ne-Fi-Te)に心を任せたいともなるわけです。まあ、男性を見るときは口ではなく手(職業)を見るのが過ちを犯さないコツではあるんですが、そういうことを言うとお話が終わっちゃいますからね。


マルシャン (ENFP)
理想を掲げる自分を曲げることができないところが、マルシャンをENFP的人物にしています。機転で周りをパッと明るくする力(Ne)、人殺しはやらないという個人道徳(Fi)、事態を俯瞰しようとする知的な取り組み(Te)、そして理想と実生活における無計画さ。やはり、マルシャンはENFPでしょうね。

ただ、マルシャンの視点(Ne-Fi-Te)で暴かれる事の全貌と言うのは、かなり偏向しているんです。価値判断が優位なFiに基づいているから、公平さというよりは個人的な道徳に基づいて物事を判断してしまう。善や悪を判断するときは、公平さの下に検討しなければ誤るという好例でしょうね。例えるなら、収差の多い双眼鏡で覗いた世界がゆがんで見えるのと同じ話。

ラウルがやっていることが社会規範(Te)を横断していたとして、マルシャンが外向的感情型ならば彼を許したでしょう。だって、ラウルはまだ子どもですからね。ヨーロッパは、20歳までは子どもですよ。それで、大人が始めた醜い社会の被害者、それがラウルであるわけだけど、マルシャンはFiが優位だから自分の美徳を否定はできない。だから、裁けないとか言った口で、手は少年を殺してしまう言行不一致に走る。まあ、女みたいなところがある男ですね。そういう矛盾した人物像が、人間としてリアルでいいとは思いますけどね。ENFPというのは素晴らしい理想は言うけれど、じゃあ日常で何ができているのかと言えば、全然な人が多い。マルシャンもその例に漏れなかっただけのことでしょう。周囲の女や子どもすら守れない理想(Ne-Fi-Teに基づく実現が伴わない理想論の仮説)に、なんか意味があったんですかね。

少女漫画は夢を売るのが仕事だし、そういう現実的な指摘をしては酷か。

それじゃあ、またね。




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ヨーロッパの学生、ENTJ/ISTP、IQ136、バイリンガル、16分析の第一人者。16分析カレッジ!→ https://www.theodorex.org/ オリバーのLINE LIVE!→ https://linliv.ee/1LfWE1w/co/ot/sh/ce