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石の「あたたかさ」に触れた旅

山深い飛騨にて、コロナの落ち着いた3月末、石を体験させてもらった。忘れられないこの体験、公開したいと思う。

受入れてくださったのは「砂原石材」という会社。創業約300年。創業期は戦国時代で城の石垣なども手がけたという。
お墓などを売る石屋さんは、日本各地に存在する。訪れた砂原石材さんも、いまではそういった会社の一つ。
でも一つだけ違うところがある。それは、地域の石を、自社で加工することに、誇りをもっていること。

もともと日本各地の石屋さんは、ほとんどどこも地元の石を、自分の工場で加工していたそうだ。
しかしグローバル化の波は石業界にも押し寄せる。海外、例えば中国は、石も多くとれるし、加工費も安い。同じお墓でも表札でも、中国の石を中国で加工したほうが安くなる。
自社の工場を動かすことなく、買ってきた石を売る、商社のような石屋さんが大半になってしまったという。

しかし地域に数えるほどずつ、自社での加工をメインで行い続ける会社もある。砂原石材もその一社であった。
さらにそのうえで、地域ならではの「飛騨の溶岩」を使い、新商品の開発を行っているという。
面白いと思い、ダメ元で「工場に伺って体験したい」とお伝えしたところ、なんと快諾していただいた。
石に触れる体験ができる石屋さんは、日本でここだけではないだろうか?

大きな期待と、同時に本当に大丈夫だろうかというえもしれぬ不安を胸に、飛騨を訪れた。

石をとること

迎えてくれたのは社長の砂原様。
人のよさそうな笑顔でいろいろ話してくださり、当初抱いていた不安は一気に解消した。

事務所は壁一面に、世界各地の山からとれる石の見本が展示されている。なかでも日本でとれる石は、採掘所に足を運んだうえで仕入れているという。

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石は、地域が違えば表情が変わる。それどころか隣どうしの山で出る石が全然違うことも当然だという。
よくよく考えてみれば、石は地球の火山活動やその後の水や重力の働きによって、自然にはぐくまれてきたもの。
食べ物なら例えば「京野菜」のように地域ごとに異なる種類があり、そのなかでも一つずつ形が異なる。石も、同じなんだと感じた。

飛騨の溶岩を見せていただいた。

山からとれたばかりの溶岩は、素人目にはそこらへんに転がっている、よくある茶色っぽい石だ。外から見ただけでは、個体差どころか、ふだん目にする石との違いも、何もわからない。
でも切ってみると、それぞれに特徴がある。

ある岩は密に詰まっていて、ある岩はそこまで密でなく、またある岩は上から下に行くにつれてだんだん緻密になる。
ある岩はナナメにひび割れが入っていて使えなかったり、またある岩は固まる際に別の鉱物を抱き込んでいたりする。

社長はそうした内部の状態を、切る前から想像するのだそうだ。形、色、硬さ、草の生えぐあい… 長年の経験で培ったプロの目で、商品として使える石を選びだすという。途方もないことだと、思った。

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石を切ること

工場に運び込まれた石は、人の背丈くらいある巨大な回転ノコギリで、まず真っ二つに切られる。硬い石を切るために、刃はダイヤモンド合金。
この音もすごい。なんと指導ボタンを押させてもらったのだが、腹の底から響くような起動音!!
まるで巨大ロボットの始動シーンのようで、オトコゴコロをくすぐられた(笑)

https://youtu.be/F-fIg_pJSZw

巨大な刃が回転しながら、ゆっくりと石を切っていく。水しぶきどころか水煙があがる。回転ノコギリを使い分け、だんだん小型で精密な機械で切っていく。
ここまで機械が主役の工程はこれ以降なかったこともあり、機械が印象に残る工程であった。

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石を磨くこと

切ったままの石は表面がざらざらで、模様も曇って見える。磨き上げて、よく目にする美しい石の表情を出すのだ。
磨くと言っても、砥石でとぐ。まるで包丁を研ぐのと同じように、丁寧に磨いていく。

https://youtu.be/RBh-wzz6Dew

回転する砥石を石に押し付けて研ぐ。硬い石を削るのだから、そのパワーはすさまじい。思わず体がもっていかれそうになる。
水しぶきが舞う。
長靴をつたう水が冷たい。冬は、身を切るような冷たさだろう。

何種類もの砥石を使い分ける。少しずつ細かい砥石で磨いていく。
このとき、削り過ぎてもかえって凹凸が発生してしまうという。
もともとノコギリで切ったあとは、ノコギリの刃によってmm単位の凹凸が残るものの、石を地面に押し当ててもがたつくことはない。
最適な磨きぐあいは、番手に応じて、このmm単位の凹凸をつぶしていくことだ。もし磨きすぎると逆に、砥石をあてる時間が長すぎる場所ができ、そこが砥石の形にへこんで、がたつきの原因となる。
この磨き具合が難しいという。実際私には、どこで終わりか、全然わからなかった。

それでも、石が削れていくのは楽しい。嬉しい。
もともとのがたがたした地肌が、だんだんときれいな、美しい面になっていく。これを自分の手で作り上げたんだと思うと、うれしくなる。
手間暇かかるぶん、自分が削り磨いた石への愛着がわいてきた。

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石を彫ること

天然の石を商品に仕上げる最後の作業が、この彫る工程である。サンドブラストといって、石の粉を高圧で石にぶつけて削る。細かい作業、一番失敗が許されない。
もしこの工程で間違えてしまうと、最初からやり直しになる。そういう意味でも緊張するという。

でも、いちばん、商品にする工程だと感じた。
自分だけのものにする工程だと感じた。

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石への気づきと感動


石も大地の恵みの一つであり、
その地の職人が加工する、地産地消の産物の一つなんだと、体験して身をもって感じることができた。
石は、決して無機質な工業製品でははい。ここに愛情を感じた。

ひるがえって、大阪という都心に住む私は、一週間に何回、土の地面を歩いただろう?都会はほとんど、世界中おなじアスファルトやコンクリートに覆われている。
そんなことに気づいたいま、とんでもなく石を地産地消する飛騨市が、恋しく感じるのであった。


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