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世界を認識したい

直島の「李禹煥美術館」に行った。寡聞にして、これまで李禹煥の名前を知らなかったけど、直島でぼくにとって一番良かったのが、この美術館だった。

ある展示で、コロナウイルスについての面白い考えかたに出会えた。

人類の歴史は戦いの歴史ともいうけど、病気による死者も多く、疫病との戦いの歴史でもある。だが、「疫病神」ということばもある。
ウイルスというのは、顕微鏡でも見えないくらい小さい、生物とも無生物ともつかない存在であり、また高等生物のDNAの一部を切り出された存在ともいえる。ウイルスは単に生物を滅ぼすだけのものではなく、変化を促し、新しい進化を注入する存在でもある。

このようなことが書かれたうえで、コロナはたしかに人を家に閉じ込め、国民を国に閉じ込め、国によっては監視を強めるきっかけになったけど、
同時に、たとえばインドでは大気汚染が収まり美しいヒマラヤが見えるようになり自然の美しさと強さを人類に見せつけたし、社会においてはデジタル化が進んだりしてこれまでのシステムが制度疲労を起こしかかっていたところに変化と修正をもたらすきっかけになっていると指摘していた。

ものの見方の両面性への指摘、つまりいま見ている見方しかないんじゃなくて、裏からも見えるよということが、いまのぼくに刺さったんだと思う。

この美術館では、たとえば自然と人工などの対比が、ものを通じて表現されていた。ことばを語らぬものによって、世界をどう切り取るか表現されていた。
こうした『世界を認識する切り口』が、ぼくにとってクリティカルなんだと感じた。こうした切り口を、今回みたいに受け取り、また自分で深め、そして伝えるような生き方ができるといいなと思った。

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