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5-1:安楽死に対峙する、緩和ケアへの信頼と不信~幡野広志と会う(前編)


「幡野さんの病状は最近どうなのですか?」

 今日もある人から尋ねられた。
「幡野さんはいまどうしていますか?」と聞かれることもある。知っているはずがない。だから僕は、彼の担当医じゃないんだっつーの……。と思いながらスマホのカレンダーを繰ると、最後に会ったのは2か月前。そしてさらにその2か月前にも会っている。そして今月はもう3回も会う予定が入っている。
 なんだ、たしかに外来の患者さんと同じくらいのペースで会ってるんじゃないか、と独りごちて、笑った。
「まあ、元気なんじゃないんですか。SNSで見ている限りは」
 と適当に答え、今日、私はその幡野に会いに行く。

 前回の外来で吉田ユカから、幡野と宮下の名前が出てからずっと考えていたこと。
 それは高願寺で「安らかで楽な死」のトークイベントをして以来、僕らが1年間かけてどのような思想の旅を歩んだのかということを、もう一度確認しておく必要があるということだった。僕はいまだ、吉田ユカやYくんの思いに向き合えていない。安楽死を望む、いや正確には望んでいた患者の主治医として、僕には何が足りなくて、これから何を考えていかなければならないのか、ということを彼らに会って整理したかった。
 幡野広志は、写真家であり、がんの患者でもある。
 2018年の初めころから安楽死についての発信を始め、そして自らもいずれはスイスで安楽死を、と望んでいる。そして彼もまた、吉田ユカから撮影の依頼を受けて、彼女に会った一人だった。

 僕は幡野に、暮らしの保健室に来てもらうことにした。及川が帰った後、保健室のカギを貸してもらって、僕は幡野を待った。夜はまだ少し肌寒い。誰もいなくなった薄暗い保健室で僕は、何度も会っているはずなのに少し緊張していた。インタビューなんてことをするのが滅多にないからかもしれない。
 待ち合わせの5分前。幡野は、エキゾチックな黄色のストールを首に巻き、最近買ったというライカのカメラを首から下げて現れた。幡野はこの1年で随分と多忙になったように傍からは見える。2018年1月に、彼から初めてのメッセージが来たときは、「来週お会いしましょう」なんて言って、すぐにスケジュールが押さえられたのが、今では数か月前から予定を合わせないとならなくなった。まあ、それはお互いさまというところもあるが。
「お忙しいところ、お時間作ってもらってありがとうございます」
 と言って、椅子を促すと彼はライカをテーブルにゴトリと置いて、
「いや、大丈夫ですよ」
 と言いながら座った。

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 これまで幡野とは、高願寺で安楽死について意見を交換して以降も、何度も会ってお互いの考えを披瀝し合ってきた。僕は、医師、そして安楽死には慎重な立場として、そして幡野は患者、そして安楽死には賛成の立場として。
 そんな全然違う立ち位置にいるにも関わらず、僕らはお互いを批判し合うようなこともほとんどなく、対談のたびにお互いの哲学をすり合わせて、まったく新しい視点を見つけてきた。今回もまた、安楽死について新しい切り口を見いだせないかという思いが僕にはあった。

 まず僕は、安楽死についてずっと考えてきたことについて、幡野にぶつけてみようと考えた。
「僕がこれまで幡野さんと議論してきたり、幡野さんが他の方と議論しているのを見ていて考えていたことがあるんですけど。安楽死がいいとか悪いとかっていう議論はもうあまり意味がないと思っているんです」
 というところから話を始めた。
 安楽死について議論すると、どうしても「賛成派か」「反対派か」という旗を掲げて論陣を張るというのがこれまでは一般的だったが、その議論の内容を見ていて、反対派と賛成派の主張がまったくかみ合わないことがいつも気になっていた。
 反対派は賛成派の言うことに対し社会のリスクを盾に譲歩することをしないし、賛成派は反対派の主張に「あなたはそう思うかもしれないけど、私はそう思わない」という形で、その同調圧力を拒む。まったく建設的な議論にならず、司会は「まあ、今回もいろいろな立場からさまざまな意見が出ましたね、今夜もよい議論でした!」と、まとまってないのに勝手にまとまったことにする。だとしたら、そんな議論は根本から時間の無駄で、もっと未来に資する議論にした方がいいと思ったのだ。

「それは、僕もそう思いますね。賛成とか反対の議論は意味がない」
「幡野さんもそう思いますか。僕は、安楽死制度をどう作っていくのかという前提で、議論を組み立てていくほうが意味があると思うんです。そのうえで、どういう制度設計にしていくのか、どこに社会的不備があり、それはこうやって改善すべきだ、とかの議論をしてくべきではないかなと。
 ただ、僕は医者なので、安楽死制度ができたとしても、それを使いたいと思う人が一人でも少なくなる方法を考えたいと思っているんです。これについては幡野さんどう思いますか」
 そう、これが僕がこの数か月ずっと考えてきたことの結論だった。
 安楽死について賛成・反対、という議論から僕は降りる。
 制度を作っていこうという流れに反対はしないけど、積極的に加担もしない。でも僕は医者として、仮に安楽死制度が日本にできた時、ひとりでも人が死なずに済む方法を今から考えておく。そのときに重要な役割を果たすひとつが緩和ケアであり、その内容を突き詰めて実践していくのが僕の仕事だ、という結論だった。
「それはそう思いますよ。安楽死をしないで済むならそれに越したことはないですよね」
 まずは、幡野に肯定してもらえて少し安心した。安楽死をしたい人を止めよう、ということは幡野の生き方を否定すると取られるのではないかなと心配していたからだ。もちろんそれは誤解だけど、完全に誤解とも言えないかな、そこを否定されるとこのあとの議論がだいぶ厳しいものになるな、などと考えていたのだった。

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 幡野は続ける。
「欧米、たとえばスイスなどでは、個人の尊重という考えで安楽死を選ぶと思うんです。でも僕は患者になって、いろいろな取材や個人の体験から感じることは、日本人が安楽死を選ぶ場合、欧米のようなポジティブな意味合いの安楽死ではなく、ネガティブになってしまう側面があると思っていて。僕は正直なところ、安楽死制度は必要だと思っていますけど、そういうネガティブな死は無いほうがいいですよ。ただ、じゃあ安楽死制度はいらないんだってしてしまったら、それは自殺に流れるだけだし、それ以上に苦しむ結果になる。だから僕は、制度としてあったほうがいいけど、使う人がいないに越したことはないと思います」
「ということは、幡野さんと僕とで考えていることは一緒ではありますね」
「そうですね。制度としてはあったほうがいい。選択肢のひとつとして。ただ、運用側と使用側、双方のリテラシーが上がっていかないと制度ができるのも難しいだろうなとは思っちゃいますね」

「そもそも安楽死制度というのが、日本でできるようになるか、どういう条件があれば、できるかということについてはどう考えます?」
 幡野は、うーんと腕組みをして考え、
「安楽死制度自体は、いずれはできると思っていますよ。10年では難しいでしょうね。でも20年、30年くらい経ったら、それは踏み切らざるを得ないんじゃないですか。社会の声もそうですし、少子高齢化が今後も進んでいくでしょう? 子供の生まれる数よりもがんになる人が増える時代に、移民を入れて社会保険料を徴収する仕組みでも作らない限り、必然的に進めざるを得ないんじゃないでしょうか。それは表立っては言わないだろうけど」
 と答えた。
 おお、そこで財政と安楽死の話に行くのか。
「社会保障費に関連した話の中で、安楽死が議論されることはこれまでもありましたよね」
「僕は患者で、先生はお医者さんじゃないですか。それぞれの立場からすれば、その視点から主張していくのはマズいだろうと思いますけど、健康的に働く30代とかの人からすれば、そんなの関係ない話ですからね。それぞれの立場があるということから考えてみると、安楽死を財政とからめた意見が出るのは当然でしょうね。それにそういう人たちって深くは考えていないでしょうから、安楽死を肯定しがちで、そういう人たちが多数になると世間が流されていってしまうでしょうね」
「ただやはり、お金と安楽死のことを絡めて議論するのは危ないという意識はあります」
「それはそうでしょう。まあ実際問題、医療費のことを気にしている患者には僕は出会ったことはないですけどね。生活保護受給者の方にもよくお会いしますけど、彼らが財源のこととか気にしているかというと、そんなことはないし。健康な人でも、そんなに医療費のこと考えている人なんていなくて。だから医療費のことを気にして安楽死をするというのは考えにくいかな、と」

 うん? どういう意味だ? さっきは財政と安楽死をからめた意見が出るのは当然、と言っていなかったか? いま言ったことと矛盾してないか。
「ちょっと待ってくださいね……。あ、そういうことか。つまり、国として議論を発議するときの動機としては、医療費のことはたしかにありうることなんだけど、実際の運用をしていく上では関係なくて、それ以外の要因で考えないといけないということですよね」
「そう。医療費の問題で議論を持ち上げる人は出てくるし、それがあるから反対だっていう人も出てくるはずなんですけど、結局はお飾りの議論になってしまって本質には届かない。僕はそういう意味では、医療費の問題と安楽死を近づけてほしくないですね。どんどん本質から遠ざかるから」
 おお良かった、正解だったらしい。幡野は続ける。
「僕は、制度を作ることそのものはそんなに難しいことだとは思っていなくて。そこから先の運用のほうがはるかに難しい。たとえば、がんの疑いがあると言われて、そこから確定診断がつくまでの数週間ってとてつもない不安に襲われるわけですよ。で、がんと診断されて、そこから先どれくらいで立ち直れるかは人それぞれですけど、そういったときに、『死にたい』という気持ちが襲ってくるんですよね。
 もし、その時に安楽死という選択肢があったらけっこう簡単に選んでしまうんじゃないかなと思うんですよ。ここから、治療も大変、お金もかかる、迷惑かけてしまう……。そういう時に『安楽死できますよ』という制度になっていると、それを選ぶ人はたくさんいると思いますし、僕自身もやってしまっていたと思います。でも、そこから先に進み、立ち直って、受容する時期になると、生きやすくはなってくる。そうなる前に誰もかれもが安楽死でいなくなってしまうのでは、大変な世の中になる」

 たしかにそれは大変な世の中だろうと、僕はうんうん頷く。幡野もどうやらノッてきたらしい。畳みかけるように自説を続ける。
「それを食い止めるのには、結局緩和ケアしかないと思うんですよ。だから緩和ケアの発展というのは、安楽死をする上では絶対に必要なの。安楽死を止めてくれないと。それがないと、どんどん死んでしまうから医療全体の質も、緩和ケアの質も下がってしまう」
 おおー、僕が言いたかったことを幡野が先に言ってくれた。

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「緩和ケア関係の医療者の方とお話すると、安楽死があると緩和ケアの発展が止まるっていう方がすごく多いんですけど、僕は逆に緩和ケアが発展しないと安楽死はできないと思ってるの。緩和ケアって、もちろん体の痛みを取るとかそういうのもあるんだけど、患者に教育を施すようなものもあって。患者の家族に対しても、悲嘆への向き合い方を教育したり。
 早期から緩和ケアが入ることで、どう生きるかってことをある程度道筋を立ててあげないと難しいでしょうね。病状だけで安楽死をしましょうと決められるのでは。スイスとかではそうなってしまっているので、よくないですよね。それだとまた残った家族も苦しんでしまう」

 僕はただうんうん頷くだけで、幡野が二人分語ってくれるから、なんだか随分楽な会話だ。でも僕も何か言わないとと思い、
「ただ、緩和ケアの発展というか均てん化、全国どこにいても質の高い緩和ケアを受けられるようにするのが先であって、安楽死の議論をするのはその先だという意見に対し、『じゃあいつになったら緩和ケア広まるんだよ』ってことも、以前おっしゃっていましたよね」
 という、幡野のTwitterでの発言で気になっていたことを聞いてみた。
「ああ、それは今でもそう思います。そしてそれは不可能だと思います。日本全体どこでも、一定水準のものが広まるとは思えない。それは、医師それぞれの死生観とかも反映されてしまうし、地域格差を何とかするのは無理だと思っている。だったら、各主要都市に緩和ケアの専門施設をつくって、そこに資源を集約して、質を保ったほうがいい。緩和ケアに限らないけど、全国に医者を分散させたから医者不足になってしまっているわけで。
 日本中に緩和ケアが広まって、質が上がるのを待ちましょう、そこから安楽死の議論を始めましょう、というのは健康な医療者だったらそう思うんだろうなって感じ。患者の立場からすれば、何言ってるんだと思いますよ。それは現実逃避にも近いものを感じますね」

(中編に続く:2/27公開予定)

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